momomo1124’s blog

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列伝 救世の真理と天帝の誓い 感想③

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*スクロール下、列伝内スクリーンショット有のネタバレを含みますので、

まだ列伝をご覧になっていない方は閲覧ご注意下さい*

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回は、第1部でのアークの台詞について。

個人的には、ある部分は自分に生かしたいし感銘を受けましたが、またある部分は見方によっては(現代に生きている身としての目線として)若干危険でもあるのかな?と思ったことについて言及したいと思います。

 

批判したいのではなく、共感するにしても疑問を持ってもアークの発言に対して刺激されて改めて自分はどう思うかを考えられたことは確かでありますし、

あくまで現代、現実に生きているひと個人の考えに過ぎません。

 

ただ、アークの発言はストーリー内に登場する人々にも、現代現実に生きる私にとっても刺さるものであったのは間違いありません。

アークのキャラクターも含め、次元を超えて言葉に力があるというのは素晴らしいですね。

 

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この部分は個人的には凄く感銘を受けました。

特に、人は、理不尽な行いに怒るべきだ。奪われることに抗うべきだ。という台詞は、現代の事なかれ主義に一石を投じるものだと思います。

 

勿論、この理不尽な行いであったり、奪われるとは何なのかにもよります。

この程度もそれくらいいいじゃんとか、何でそんなに怒っているんだ?と思ったり、人によっては差はあると思うのですが、まず言えることは、怒らなかったら好き放題やられる。と私は思っています。

 

寛容さや優しさも勿論必要だとも思います。が、何でもかんでもいいよいいよって許していたら好き放題やられて気付けば自分の身を滅ぼす、滅ぼされる、気付かないうちに奪われていることがあります。

私としてはまず第一に、自分の"身(身体的にはもちろん、精神面も)"を滅ぼさないように、そして滅ぼされないように、列伝の言葉を借りるなら奪われないように、日々考えています。

 

人と人同士ですし、基本的にはなければ何でもかんでも自分の都合よく物事は進まないことはわかっています。

だからこそ、自分の考えを押し付ける訳ではないけれども、対話が出来る相手を選ぶ権利も、そして相手も同様に私と対話するか否かを選ぶ権利がお互いにあって。

お互いに自分の身が滅びないように、そして奪われないように、奪わせないように、

時には物理的距離を置くなり、法的措置を執るなり、程よい距離感を探るなり、物事を敏感に察知出来るようにするなり…色々な方法があると思います。私は個人個人との付き合い方も自分の身の確保も、日々模索しています。

これくらいしないと生きられないような人間向いてない人間なので、致し方ないです。

 

諦めを捨てる、というのは線引きが難しいと思っていて…

諦めないことは美徳かもしれませんが、何でもかんでも諦めなければ良いという訳ではないかと。

 

私としては法に触れない・他者の様々な権利を侵害はしないが理不尽だと思うことにはちゃんと筋が通った怒りにする(自身の感情の鬱憤を一方的に他者にぶつけるようなものではなく、怒りの先に未来や対話がある)程度で、諦めを捨てる、ですかね。

ただ、それを成す為に知識、思考、判断力諸々を諦めを捨てて鍛えることは、鬱憤を他者に一方的にぶつけるような怒り方をしないためにも私にとっては必要なものです。

なので正直、ノアが言っていた知識を持たなければ、という貪欲さだったり、好奇心というのかな、知ることを諦めないということは私にとっては大事なので、ノアの言うこと自体は全否定は出来ないかなと正直思いました。それに伴う行動はまた別ですけど笑

 

まあまとめると、私はご覧の通りそもそも様々な点において"生きる"こと自体が困難であるので(人間向いてなさすぎる…)生きることを諦めない、ですかね。

私はどちらかというと諦めないというより屈したくない、という思いがしっくりくる人間かもしれませんが…

 

ただ思うのが、クリプト内でも3次元でも歴史を学ぶほど諦めなかった人々がこの世を動かしてきた、そして世界はその繰り返しなのかなとは思いましたね。

この列伝で伝えたいこととしては、マクロな視点で見るのであればそういうことなのかなと。

そう思うと、3次元での様々な歴史を学ぶことの意味合いも私の中では変わってきましたね。むしろ当時より学びたいと思うようになってきています。

 

 

ここからは、こういう場面では響くけれども現代視点で見れば若干危険も含むのかな?と思った台詞。

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これは、こういう形でこのような言葉を投げかけられたことによって気付かされたのですが、

私にとってはある種自分の生き方と重なるところもあるけれども、別視点で見たら結構危ないとも言えるんじゃないかなって。

 

列伝内ではまあこの後はお察しのとおり、アークの言葉に鼓舞され人々が竜に立ち向かう→勝利し、人間がこの世に存在を示した、という展開になるのですが、

勿論、この列伝としては人間の可能性を拓く第一歩になり、人類の偉業であります。なので本来は、アークかっこいい!ってなるところですし、

人間は一人一人は弱くても諦めずに困難に立ち向かい、力を合わせれば強くもなれる!ということが言いたい場面なんですよね。

私も、同じ死なら寿命は短くなろうとも立ち向かって活路を開きたいタイプなので。その点に関してはアークの言葉が響きました。

列伝としてはプラスのメッセージを伝えたい意図であろうことは然りと受け取った上での話です。

 

別視点(現代、現実に生きる身としての視点)から見ると、これ戦時中の国民の思考と近いのかなと…お国のために自分の身を捧げる!的な感じは、若干恐怖を覚えました。

 

あの人がこう言ったから、と疑うこともなく盲信し進むことは確かに時にはものすごい力を発揮しますが、思考放棄とも言えるのかなとか思ったりします。

勿論、思考した上で思考が合致したから従ったという方もいらっしゃると思いますが。

 

あくまでも現代現実に生きる身としては、思考し自身の判断力を鍛えることが歴史から学ぶこということの意味なのかなーと思っていて…

人の言葉に鼓舞されることは、背中を押される第一歩になったり、プラスの影響を受けることが多いです。

 

ただし、何でもかんでも疑わずに従順に雰囲気と勢いだけで国民が"一つになった"という美談に仕立て上げることに対しては、ちょっと待て、と。

それ本当に疑わずに進んでいいことなのか?と。私はそういう時に疑いの気持ちも忘れない、一旦ストップをかけられる人間でありたいです。

 

上記同様、奪われないために、奪わせないために、滅ぼされないために。

一つになる、一つにするって、ファンタジーでは聞こえはいいですし、時には仕事なりでそうせざるを得ないこともありますが、

個々の意思や個性を抑圧するような、それでいて美談に見せるような"一つになる"って…それって…どうなんだろう……と外れものの人間は思ったのでした。

 

 

生きてる次元もましてや時代も積み上がっている歴史も違う上にストーリーとして、クリプトラクトの世界観として描かれているので、私も勿論そこの線引きはしております。

なによりも有難いと思ったのが、違和感を感じさせてくれることですよね。それによって私の思考をより引き出してくれている。

 

何れにしても、今回の列伝のアークの台詞、アークにとどまらず他キャラクターの台詞は個人的に影響力が大きいものが多く、その分考えさせられることも多くて…なので今回の列伝はおすすめだと言いたいのです。

本当にストーリーに乗せられることで発揮される言葉の力強さを感じました。

 

流石は5周年列伝、思うことが沢山あってまだ書き足りないくらいなので…

まだまだ感想続きます!

 

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