momomo1124’s blog

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フェイロンについて⑤ フェイロンとはなにゆえフェイロン編

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今月追加された列伝:鉱国の翔龍と英雄の歌

に登場する、フェイロンというキャラクター(バナー右から2番目)について、私なりに解釈してみます。

 

*ここから下、列伝内のスクリーンショットを載せている為、まだ列伝をご覧になっていない方は閲覧ご注意下さい*

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回は、フェイロン自身の変化についてです。

結論としては、私個人としては

・人間として生きる、とは「社会的な生物としての自我」を形成・獲得し続けること

が制作側の意図としてあるのではないか、と解釈しました。

私なりの結論はこれで、あーなるほど、と思った方、そんなのわざわざ言われんでもわかっとったわ!という方ここから先はここから先は完全スルーでOKです!

 

 

なに言ってんのこいつ…と思った方向けに↓

 

フェイロン自身に変化があったのは多くの読み手の方々にとってもわかりやすく感じたと思いますが、彼自身の変化を私なりに咀嚼していきます。

 

まず前提として、社会=人間の集まり、と私の中で考えております。(現段階で且つ自分の中での定義付けにすぎませんが)

要するに人間は人間同士の中で生きているということ。

人間だと先ず挙げられるのが言葉だと思うんですが、言葉なりなんなり、なにかを通してその人間を知覚・認識します。

 

例えば、

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↑これなーんだ?と言われた時に、

クリプトラクトやっている人→(既にゲームの性質上属性・キャラクター名があるという前提のもと)樹属性のハウラ(というキャラクター)でしょ

クリプトラクトやっていない人→ん?なにこれ、なんかのキャラクター?(とりあえずこれがイラストであり、2次元のなんかのキャラクターっぽいということはわかる人が多いはず)

野生の生物・人間の幼少期→………(訳:言葉や言葉の意味がわからないため、そもそもなーんだ?と質問されていること、答えを求められているということさえもわからない、これがイラスト、キャラクター、2次元等という概念すら頭にない状態)

 

フェイロンは序盤はこの人間じゃない生物・人間の幼少期の反応になるかと思います。

なので私は、これは"ハウラ"という名前の、人間という生き物で、2次元という概念の説明と、スマートフォンというモノと、スマートフォンアプリというモノ、幻獣契約クリプトラクトというスマートフォンアプリ、そしてキャラクターという、

クリプトラクトをやっている人間からするとわざわざ確認するまでもない概念の説明からしていかないと、フェイロンはハウラをハウラと知覚・認識できませんよね。

ゆえに、これらを一つ一つ教えなければフェイロンにとってハウラというものは"無"とイコールである。(そんなことあってはならないし←、"可愛い"ってこういうことだよ!という刷り込みも…いやなんでもないです。マジレスするとこういったその人の、特に幼少期の頃に人の外見に対する感じ方を縛るような刷り込みは基本的にはダメです。どう思うかはフェイロンに任せないといけない。)

ということです。私達は常に、だんだんと無意識的にこの作業を通し、人・モノ、あるいは概念等を知覚・認識している、と私は考えています。

 

あと、基本的には人間は心臓が動いて呼吸しているだけでは生き続けられないですよね。

まず衣食住、そしてお金が必要です。生きているだけでコストがかかります。(衣・住・お金が必ずしも必要でない、という世界も存在します。それは列伝序盤においてのフェイロンの生態の通り。食は必要だったのだろうということも同時に読み取れますが。

ただし列伝内ではおそらく衣食住お金が"社会的人間"として生きるために最低限必要な要素として描かれていると感じたため、今回はこの前提でいきます。)

 

あと、私は自分とは何者であるかとか考えたりしますが、普段は特段に自分はそもそも人間なのか?と考えたりしませんし、

初対面の人間に対して先ずあなたは人間ですか?という質問にはならないですよね。(逆にこれをやればヤバい奴になれる!)

これは、人間同士のコミュニケーションにおいて、わざわざ確認しなくてもわかるよね。の骨頂だと思います。

 

ただ、フェイロンはまずこの"前提"たるものをぶっ壊してくるのです。ここがかなり重要な要素になっていると思います。無意識的な"当たり前""常識"が通用しない。

(密かに、当たり前や常識といったものがいかに人によって違うのかということも含んでいるかと)

フェイロンは見た目は人間でも龍でもあり、なんとも定義し難いというか、あなたは人の形をしているから(ある程度の秩序立った、社会的な)人間、という前提が通用しない。ということは対話不可能、人間の話以前に言葉が一切通用しない生き物。

 

今までの英雄の歌シリーズに出てきた英雄は、みんなわざわざ確認するまでもなく人間であることが前提でしたが、この時点でフェイロンは英雄どころか人間達の中でも異彩を放つ存在であると言えると思います。

 

こちらの台詞からも、

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フェイロンはただただ本能に従って生きていた且つ未知なる力を持っているという(その山で私に勝てる生物はいませんでした。という台詞から)本当に得体の知れない、人間の言葉で言うなら所謂野生の動物ってやつなんだと思います。

 

ただ、野生の動物同士の殺し合いは、そもそもその動物たちの中の世界に法・秩序が存在しない(必要ない)世界であるため、〇〇を殺したら懲役〇〇年だとか裁判とかにはならない。だから殺し放題というか、意のまま本能のままに生きて殺して食べて、という生活が成立します。

 

人間としては、このような未知な生物は自らの身に危機が迫る可能性が高い(脅威にもなり得る)ので、そのままにしておけないですよね。

例えば実際に危険だと言われる野生の動物が銃殺されている場所があったりしますし。その理由はまさしく放って生かしておくと人間にとって何らかの脅威になるから

だと思います。

(今ここでは、実際にそういう人間もいるけど、人間を殺したら罰されるのはなぜ?という問いは置いておきます)

だから、序盤ではギルザとアークはフェイロンを殺しにかかったと。

 

ただ、この殺し合いの後で、

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フェイロンはリンシャンに命を救われたと解釈してもいいのかなと私は思っています。

 

リンシャンに命を救われたということについては、この時はフェイロン自身も何が起こっているのか、また、この人間達は何をしているのか(実際はなにを"話しているのか"ですが)さえわかっていなかったと思います。フェイロンは後にこのことを知覚・認識していくのだと思います。

これについて、ギルザとアークもフェイロンを生かすことに同意しますが、ギルザは殺し合ったが故にフェイロンの持つ脅威を知っているため、

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要するに、"生きるのであれば野生の生き物としてではなく、(社会的な生き物としての)人間として"生きろ、ということで、これはギルザの言う通りです。

権力は時に「権力」という名を履き違え、自分らは絶対的な力を握っていると勘違いし(本当はそんな保証ないし、絶対的な力などない。現実でなら法を歪めていい権利もないんですけどね)何をしても良い、責めるものはいない、というか責めさせる権利すら与えないという方向に暴走しかねませんので。

ギルザ達はその暴走を防止(監視)する、という戒めとしての意を込めているのもあるのかもしれません。

 

ただ、ギルザは言葉すら通じない相手に対して排除するどころか人間の形をしているからといってしっかり言葉を使っているのも、フェイロンを同じ人間として対等に見ている感じで良いですね。

 

また、この後にリンシャンがフェイロンに名前を聞くシーンがあり、リンシャンとしては(人間は名前があるものという疑うまでもない前提のもと)当然名前が返事として返ってくると思いきや、

フェイロンは勿論私はフェイロンという者です。とは言いません、というか言えるはずもありません。言葉さえわからないし、無秩序、(かどうかは生き物によるかも…?)無法地帯である野生の生き物相手に対し、わざわざ私は〇〇です。とか自己紹介する理由も必要もないですからね。

 

で、ここでリンシャンがフェイロンに対し「フェイロン」という名前を付け、ここで初めてフェイロンが「フェイロン」になります。

 

噛み砕くと、子供って生まれた時には名前がないですよね。

だから、私は〇〇(すみません本名公表は差し控えます)という名前を付けられ、自分は〇〇という名の人間としての前提のもと、他者に知覚・認識されます。

逆に言えば他者に知覚・認識されるために名付けられる。とも言うべきかな。(こっちの方がわかりやすいかも…)

 

長くなりましたが、要するに人間が社会(人間の集まり)の中で、彼は名前を得て、存在を他者に知覚・認識される。

人間の中で(社会的な生き物としての)人間として生きていくための基礎中の基礎は、これらの行為を通して形成されていくということですね。

 

まだまだ続く予定なのでまずは一旦ここで切ります!

 

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