momomo1124’s blog

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フェイロンについて⑥ フェイロンとはなにゆえフェイロン編vol2

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今月追加された列伝:鉱国の翔龍と英雄の歌

に登場する、フェイロンというキャラクター(バナー右から2番目)について、私なりに解釈してみます。

 

*ここから下、列伝内のスクリーンショットを載せている為、まだ列伝をご覧になっていない方は閲覧ご注意下さい*

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フェイロンとはなにゆえフェイロン編vol.2です。

やはり結論として、フェイロンというキャラを通して伝えたかったことは

・人間として生きる、とは「社会的な生物としての自我」を形成・獲得し続けること

だと思います。

 

様々な判断材料から自分なりの真実を見つける。様々な判断材料を通すということは、それだけ多くの人と触れ合い、経験もするということ。

だし、私が今思うことも一人で考えたことではなく、今までの経験(や実際経験していなくても書籍を読んだり)や出会った人達を通して形成されていったものです。今の自分も、出会った人達の影響無しではおそらく存在し得なかっただろうと言えます。

 

でも、これがいつまでもどの時代でも通用するとは思っていないし正解も限度もないので、多分一生経験や人との出会いを通して自我、自分というものを形成しながら獲得し続けると思います。

この行為が実は人間として生きるということなのではないか?と思いました。

自我がないとダメというではないですけれども、私達は日々様々なことを経験し、無意識に、敢えて言葉で言うなら自我を形成し、獲得し続けていると思うんです。(獲得というとなんか特別なこと限定みたいになってしまいますが…ある行為に自分はどう感じたか、とかそういったことも含まれると思います)

 

それがフェイロンというキャラクターを通して改めて実感させられたなと感じたので、その理由を前回から書いています。

 

 

今回はフェイロンが言葉の意味をなんとなく理解し、"とりあえずの会話"は出来るようになったことを前提に(列伝内での描写有)話を進めていきます。

 

私の印象としてのフェイロンは、言葉を表面的にそのまま受け取ってそのまま返しているだけ(言葉に暗に含まれている意味・期待されている返答・その会話をする意味や背景まで読み取れていない状態)

だと思うのですが、いわゆる"話が通じない人"であり、同時に"根本から概念を問いかける脳への刺激が強い人"でもあるかと思います。

これがかなり大事です。

人間の会話とは、ただお互いに(表面的な意味での)言葉を発するだけの行為ではないと私は考えています(ブーメラン)。

 

思った以上に当たり前は当たり前じゃないし(自分の中での当たり前や常識は必ずしも万人にとって当たり前ではない、自分の見ているものが世界の全てではない)、その当たり前が他者を踏み躙るものである可能性も存分にあり、また自身を無意識に縛っているものにも十分になり得ます。

当たり前は、考えを放棄するための言い訳ではなく実は常に問い直していく(疑問を呈する)必要があることだと私は思っています。あと時代によってその当たり前は容易く変わるので、絶対的なものではないです。

 

基本的に人間は楽な方向に進んでいくのがまあ一般的(あくまでも、ですが)であり、段々と物事を考えるということが面倒になっていくというか、様々な事柄に対してそんなの小〜中学生で習ったでしょ、当たり前でしょ、常識だよ、という言葉で片付けられるようになっていきます。

 

ここでの「当たり前」は単なる言葉そのものの意味だけではなく、

"社会的な文脈"、要は、これを言ったら失礼に当たるから人には言うべきでないとか、これは褒め言葉でこれは貶し言葉だとか、人と会話していく、つまり言語としてのコミュニケーションをとるのに最低限必要なルール的な意味も含んでいるかと思います。(例えばわかりやすい例なら死ね、と人に言ってはいけないという暗黙のルール的なやつです。

これも究極、人それぞれ!誰かの褒め言葉は誰かにとっての失礼、逆も然りも十分あり得ます。)

 

意外と"人間と会話する"ことって紐解くと色々な要素が重なって成立しており、その要素を重ねるのが難しいです。場の状況や雰囲気もありますし。

これは私の頭が悪すぎるのか共感能力的なものがなさすぎるのか(多分どっちも)、私自身も非常に苦手分野でして今でも、きっと一生努力が付きまとうものになると思います。

 

すみません少し脱線しましたが、

私としてはフェイロンが自我を形成・獲得し続けているキャラであるという観点において、人間との会話がかなりキーになっていると感じました。

 

個人的に一番フェイロン自身の変化に着目したところをピックアップしていきます。

 

先ず、序盤のシーンについてから。(フェイロンがリンシャンの孤児院に来てから1年後、この時点でフェイロンは言葉も覚えて上記の通り"とりあえずの会話"は出来るようになっています。)

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7年前、ゾラはドールを侵略し、この時点で(おそらく完全に支配下に置くためかと。要は植民地化するようなもの)

この時点で権力関係は明らかですし、ゾラにとっては搾取するための土台を整えたというか、有事の際に守るだなんて都合のいい理由を表面的にとってつけたようなもの。

まとめると、ドールはゾラに都合よく利用されているだけです。(守るという名目、表面的な綺麗事でごまかしているだけ。)

 

そもそも侵略してきた上に経済的・物資的搾取、

例えるなら、フルーツって種を植えて木が生えてだんだん実がなって、商品としての果実にするためにはフルーツによりますけど様々な過程がありますよね。決してタダで手間をかけずに出来るものではありませんよね。

その一生懸命育てた高級フルーツを、やっと商品になる状態になり、よし、ここから売るぞっていう段階で搾取側が果実を盗む感じです。こんなのやられた側はたまったもんじゃないですよね。

 

この段階で明らかにフェアな関係でないことがわかるわけですし、ゾラはドールを守る気なんてないです。権力関係で上に立っているということは守るという約束?条約なのかわかりませんけどドールの人間に勝ち目はないです。

 

それは上記の例で言うなら、ゾラは売れる高級フルーツもドールからぶんどっている上に、それが売れるということは経済的・物資的にも圧倒的にゾラが有利、しいてはドールが不利でしかない状況であるためです。

これ以前にも、ドールを馬鹿にし、下に見る、まるでドールの人間を使い捨ての自分らの都合のいいモノとしてしか見てない発言が見て取れます。


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でも、リンシャンはゾラの本質に気付いていない。後の記述から推測するに、多分本当に実態に気付いていないです。

けど、リンシャンは何も悪くないんですよ。

皮肉にも彼女のいう子供たちのために、というのは、本質的に子供たちのためになっていないし、今後もならないです。状況が変わらなければこのままか、ゾラが調子乗ってもっとひどいことに十分なり得るから。

ゾラの兵士達がアホなだけ!!

 

ただこれは貧困の危惧するところでもあるんですね。これはかなり現実的な話になるのでまた別でやろうと思いますが。


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フェイロンも、リンシャンの言葉を"(表面的に)そのまま"受け取ります。

そりゃまだ名前を与えられて言葉を覚えて1年でゾラの狙いを見抜いて、リンシャンに対して違うよ、ゾラの兵士達の守るというのは名目上だけだよ、なんて言うには無理がありますよね。

 

 

ただ、この後のシーンで私的に引っかかったことがあります。

 

この後に、ドールで最近不自然な地震が多いと聞きつけたリュウイがドールに戻ってきます(フェイロンがリンシャンの孤児院、つまりドールにいる時点では、リュウイは既に孤児院を出てゾラの兵士として出稼ぎに行っています。

リュウイとフェイロンはここで初対面となりますが、リュウイとしては孤児院にいた時に見たことがない且つなんか只者ではなさそうなオーラを放つフェイロンを怪しみます。

要はリュウイはフェイロンにガンつけたってやつです。)

 

フェイロンは、もちろんそもそもリュウイのことを、そして当然彼がリンシャンの孤児院出身且つドール出身であることも知りません。

 

が、フェイロンはリンシャンと初めて出会った時の記憶はあるようです。

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(前に見た連中←ゾラの兵士達がリンシャンに手を挙げ、フェイロンを怪しい男だとゾラに連行しようとした時の記憶がベースにある。

且つ、リュウイがリンシャンの孤児院且つドール出身の人間であり、現在はゾラの兵士でありながらドールに仕送りをするためにゾラに出稼ぎをしていることはもちろん知らないため、"鎧のやつ=あの時のゾラの兵士と同じ"という一元的な判断になってしまっている。

判断材料が鎧というあくまで"それっぽい"という印象でしか判断出来ていない。)
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リュウイに対しおそらくフェイロンリュウイはゾラの兵士、ということはまた手を挙げてくるのではないか?と勘付いたが、リンシャンに何されてもガマン、と言われたため龍の姿にならずリュウイを襲うことはしていない状態。

ガマン、ということの意味と行動は理解していそうな感じですね。

 

ただこの後の台詞で、

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まあもちろん実際はリュウイはドールのためにゾラの兵士として出稼ぎに行ってるだけでリュウイ自身はドールのために働いているのですが、

フェイロンはかつてのゾラの行動から自分が見た真実を言葉にします。ゾラの本質としてはフェイロンの言う通りですよね。

だからといってフェイロンはリンシャンの言葉を信用していないというわけではないし、その言葉を忠実に守るけれども、

ここではフェイロン自身が見て感じたことを言葉にして発している。これがフェイロンの自我形成の基礎になっているのではないかと私は感じました。

 

この後はフェイロンリュウイは和解します。そしてフェイロンはギルザの軍に入るのですが、その前に、幻獣(モンスター)がリンシャンの研究所(リンシャンは7年前のゾラの侵略で亡くなった両親に会うため、死霊魔術を研究中)を襲おうとしますが、フェイロンがそれを阻止します。

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フェイロンはわからないことをはっきりわからないと知覚・認識できています。

で、なぜだか理由はわからないけど、少なくとも"嫌"という気持ちは抱いている。

だから、嫌だと思った理由を探しに行くとなるわけですが、これ、本当に大事です。

嫌、だけでなくじゃあなんで自分は嫌だと思ったのか、まで踏み込むのが大事で。なんでも解決したり必ず言葉に出来る嫌な理由ばかりではないですが、理由を探しに行くという行動は大事というか、先人達のその行動のおかげで今があるんじゃないかと思っていて。

 

わからないってマイナスな発言に捉えられるかもしれませんが、わからない(疑問)から調べる、探す、聞いてみる、等実は様々な行動の基礎になっていて、私もわからないを正直に認める(わからないと思う自分を認める)ことが出来ると色々楽になります。

 

わからないのかと怒鳴る人は、じゃあお前は万物の神なのか?なんでも知ってるのか?と突っ込みたくなりますね。(いざそうなった時用にマイナーな雑学学んでおこうかなあ…笑)

わからないということを認識できるだけでも随分違うのに、わからないから理由を探しに行くって素敵なことじゃないか、と思います。

 

まとめると、フェイロンが自分の気持ちを言葉に出来るようになり、なぜそう感じたのか?と思うところまで進化したということですね。

これはこの後フェイロンがギルザの軍に入り、そこで他者とコミュニケーションを取る上での基盤になっていると思います。

 

もう少し続くので、一旦切ります!

 

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