momomo1124’s blog

好きなものなどひたすら壁打ちしています。

鉱国の翔龍と英雄の歌 雑談⑥

f:id:momomo1124:20201115222545j:image

※ここから下、人によってはネタバレとも捉えられ得る内容を記載しているため、まだ列伝をご覧になっていない方は閲覧ご注意ください※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今月の列伝は読みましたが、なんとなく今はこの話をしたい気分なので

 

私の中で、「愛国心」と聞くと、反射的にゾワっとしてしまうのですが、それはおそらく私の中での愛国心とは、「こうでなければいけない」感を強いられているような、大きな物語の成員とさせられるような、その成員とならなければ「生きている価値がない」と弾かれるような、

都合良い側面だけ(都合の悪い事実には蓋をして表面的あるいは虚構の美しさ)を取り繕った、そしてそういった思想を強制されるような、一体感たるものを求められているかのような、これらのことからなのではないか、と思いました。

 

この愛国心というワードに対する拒否感は学校教育にもなんとなく通ずるところがあると思っていて(私の中では)

私は小〜高校までの学校に対して、特に林間学校や修学旅行のような学校行事に対し私の魂が反射的に拒否しているかのような(当時はその違和感の正体がわからなかったのですが)感覚を覚えていましたが、

おそらく、画一的な、その型に嵌まらないと人間としての価値がないと言われているかのような、

"強制的な一体感"を強いられていて、その型に嵌ると無意識に自分というものが失われていく気がして、それを私の魂が反射的に拒否したのかもしれない、それは私の愛国心というワードへの拒否感と似ている気がするのです。

マジョリティ(大衆)からしたら私の方がカオスなのでしょうが、

私にとって主体性を封じ込まれるというか、何かを信じ込みそれを決して疑わない、疑う余地も生じない自分になるというのはカオスに呑まれるようなものだと思っています。

 

ただ、不思議とこの列伝ではここに出てくるほとんどのドールの民はドールという国を愛している(途中ゾラに武器を売る人も出てくるが、リュウイの怒り方で安心したところがあった)が、なぜか私の中の圧倒的拒否感が反応しなかったことに気が付きました。

ドールの民もドールを愛している、ドールを愛しているからこそ守りたいと思う、ドールのためにと、それはまさしく愛国心たるものだと思います。なのに、そのドールの民の愛国心に対してゾワっとしなかった。私は愛国心に拒否感を持っていたはずでは?と疑問に思って、改めて考えるきっかけになりました。

 

その中で自分の中で何となくこういうことなのかなと感じたことです。現段階では、ですが↓

・ドールの民の愛国心とは、ドールの民夫々が主体となって生じたものだから←ドールの民の主体性ありき、ドールの民ゆえにドールを愛さねば非国民であるみたいな思想の押し付け・刷り込みではない

・特にリュウイ、フェイロンは現実(ドールの現状)を俯瞰した上で「ドールを守る」という意思が生じているから←国を愛し守ろうとするということは、綺麗な(都合の良い)即面しか見ようとせず都合の悪い事実から目を背けることではない、と遠回しに言いたいように感じた

 

これらの理由で、私の中での愛国心拒否センサーに引っかからなかったのだと思います。

 

ちなみに先述したリュウイの怒り方に安心した、というのは、おそらくドールの民?(もしくはゾラからの刺客?この辺り詳しい言及が無かったので定かではないですが)まあとにかく反乱をきっかけにしてクァンシィの作った武器をゾラに売った人間に対して

f:id:momomo1124:20201115230511j:image

これがもしドールを裏切りやがって…っていう怒り方だと印象が変わっていたと思いますが、あくまでもクァンシィ自身の努力と言っているだけなんですよね。要するにクァンシィの努力の成果はクァンシィ自身が作り上げてきたものだという前提がある。

国(ドール)を愛する者として失格的な発言ではなく、あくまでもクァンシィの意思(主体性)を持った上で行われたクァンシィの努力の成果を掠め取るな、という意図だと私は解釈しましたが…

 

このリュウイの怒りは愛する国に対しての裏切り行為だという怒りより(勿論そういう気持ちも少なからずあったとは思いますが)、クァンシィの努力の成果が呆気なく掠め取られた悔しさ故の怒りであるように私は感じて。

これも私の拒否センサーが反応しなかった理由の一つなのかもしれないと思いました。

 

又、別記事でも言及していますがフェイロンもドールを守るために死を選ぶことを決して正当化していないし、美化させるつもりもない気がしています。

見る人によっては自己犠牲的じゃんと思われる方もいらっしゃるかと思いますが、この列伝を最初から最後まで見れば、おそらくフェイロンの選択は虚構の愛国心に取り憑かれて取ったものではないことが読み取れるかなと思いました。

 

この、みんなこうしろと刷り込まれていない、各々の主体性ありき且つ現実を俯瞰し決してご都合主義的ではない描写が私には刺さったのだと思います。胡散臭くなかった。

逆に言えることは、列伝内にもドールの民がリュウイを裏切り者だと罵る場面がありましたが、まさにそう思う人もいるであろうということです。(これも、それらを見据えた上で描かれていたのがヤバい)

その上で、この列伝は、国の政策等に反対する人に対し左翼だ、共産党だ、気に入らないなら国から出て行けと「愛国心」故に罵る人もいるが、原点に帰って"愛国心とは"、というところも突いてきているとも言えるのではないかと思いました。

私個人としてはリュウイやフェイロンの姿勢を支持しますが、この辺り色々な意見が分かれるであろうところもこの列伝の良さだと感じています。

 

私の中での愛国心というものの無意識的な拒否感を意識的にするという形で炙り出すとともに、改めて愛国心というものについて考えるきっかけになりました。やっぱりこの列伝はヤバい。カオスではなく知の扉が開かれている。

 

今月の列伝の話は気が向いたらしようかなと思っています 今回は以上です!

 

(c)BANK OF INNOVATION 該当画像の転載・配布等は禁止しております。