また同じ話をしている気がする。
何かの事件があった時に、被害者側へのケアは最優先ですが、加害者側のケアも同時に必要だと思っています。
昨今、加害者はネットで晒されて叩かれてご近所からも排除されて終わり、これの繰り返しで、どうも加害者側のケアがあまりされていないように感じるんです。
私が加害者側にもケアが必要だと思う理由は、加害者を排除して終わりではなくケアをすることで加害者自身が抱える問題につながって加害者自身が初めて自分自身と向き合える(自分の新しい一面を知る)可能性があり、それで自分との対話を進めていくとだんだんことの道理や自身の認知の歪みがわかってくるのかもしれないと。
加害者自身に変化があれば、微々たるものかもしれませんが犯罪につながらないケースも増えるかもしれませんし。
こんなのあくまで理想論で、実際現場で働く方々は現実を知ったうえであいつらは何やってもダメだよって言うかもしれません。救う必要ないし、死んでもらった方が楽と思うかもしれません。
最近、加害者家族の支援のネット記事や書籍が気になっていますが、やはり圧倒的に少ないですね。
ただ、ここで加害者を糾弾して晒して終了じゃ何も解決に向かわない気がします。加害者に向き合ってこそ本質的な問題解決につながるのではないかなとも思います。
勿論被害者側のケアを軽んじているのではなく、同時に何をやったら犯罪はなるべく減らすことが出来るのか?というところで、加害者側の考えについても掘り下げる必要があるのではないかと考えています。
これについては、無意識な社会的圧力(例えば女は子供産めとか男は働けとか)が個人を苦しめている(好きでこの性別になったわけではないが性別的役割を押し付けられることで苦しむ人がいる)とか、そう言う問題も関わってくるので、実は加害者個人的な心の闇だとかそういうので片付けられる問題でもない気がします。
まああとはネットでもリアルでも他人を攻撃せずにはいられない人の心理とか勉強していますね。
対処法と心理、ストレスとの関係とか、そのストレスの根源はどこなのか、とか
あとはずっと人を殺すという判断をするまでに至る人は気になってますね。個人的にはどう考えても損しかない(友達とは遊べなくなり、好きなものも食べられなくなり、一人でゆっくり出来る時間もない…)と思うのですが、そんなのゆうに上回る程の感情ってことですもんね。
これは個人的な恨みなのか社会への反抗なのかケースバイケースですが
とにかく、加害者だ!排除せよ!だけではなんの根本的解決に至っていない気がするんです。
加害者をネットで叩いて晒しあげて暴言吐いてスッキリ、で終わる問題じゃないですからね
いじめを学校以外のところに訴えて被害者を守りながら加害者の家庭環境とか価値観にも触れて、その人が渇望していたもの、心から憎んでいたもの、感情を知るというところまで踏み込まないと、何も変わらない気がするんですよね。
まあ、いくらネットでも被害・加害者の実名出したり家族に中傷したり、要するに必要外のことまでを晒し上げること(ネットリンチ)をやめるのがまず必要なことだと思いますが、ここまで加害者を総叩きにする風潮、そしてネットでなら尚更相手の顔も見えない、匿名性があるため叩きやすい性質である以上、ネットリンチは無くならないでしょうね。
こういったこと(加害者総叩き)は果たして正義なのか?と日々感じています。
社会にも責任があるし、個人にも責任があると思います。社会の構成員である自分にもです。
ただ自己責任論を押し付けるのではなく、現実に基づいてどのような社会問題として捉えることができるか。そして自分に全く関係ないとは思わず、自分ごとでもあると認識できるか。
犯罪は他人事だとはどうしても思えないんですよね。
何が引き金になるか自分でもわからないので。
今後も何か犯罪が起こる度に考えることになると思いますが、この癖は行動のヒントになることも多いと思うので辛くなろうとも続けます。