双翼のディパラトゥーレ 感想①
ついに来ましたね。
グラージャの起源はずっと気になっていて、もっと前からプレイされていた方は双翼のレスレクティオリリース時から、私は闇リティシア実装時から(当時はプレイしていなかったため)心待ちにしていました。
気になっていた歴史を紐解いていく興味深さもありながら、宗教や祈りといった言葉の意味やそれらの本質的な目的等まで踏み込んでいたところが個人的には良かったのではないかと思いました。
同時に人間って良くも悪くもこういうものだというところも描かれていたのも良かったですね。
何事も表裏一体だと思っているし、自分の都合良くはいかないと思っているのでこういったタイプの物語は好きです。
後は終わり方が良かったですね、誰か一人に永遠に頼り続けるのではなく、ちゃんと誰かが引き継いでいく世代交代的なものは私は必要だと思いますよ。
前の人がずっとやってくれていれば良かったのに…とか変化を嫌う人もいるのも承知の上ですが、人間誰しもいずれ老いて死ぬので世代交代は必要不可欠ですし、これからを生きる人がさらにこれからを生きる人のために世の中を変えていくことが必要ですからね。
とにかく今回の列伝は良かったと思います。
関連列伝も併せて読むと更に良く感じられそうですね。
関連列伝は、
・双翼のレスレクティオ
・吹雪舞う蒼の原風景
・救世の真理と天帝の誓い
ですかね。
今回はポイントに絞って感じたことを書いていこうかと思います。
※ここから下、ネタバレとも捉えられ得る内容も記載しておりますので閲覧ご注意下さい※
①人間無理し続けてたら死ぬこともある
今回はリティシアの心情の葛藤で、おそらくリティシアとしては神子様と絶対的なもの、絶対的に民を守ってくれるだとか祈られる(頼られるともいえるかと)対象で、リティシアは国民の声に応えようと必死に幻獣を追い払ったり国民のために燭台を使ってまで頑張り続ける一方、
心のどこかでこれはいつまで続くのか、いっそのこと全て投げ出して楽になりたいという苦しみも抱えなかったことはないと思います。
それは要所要所のリティシアも人間だから、という言葉通り、大体の人間は無理し続けていたらいつか壊れます。
何事も無理し続ける(自己犠牲し続ける)のが美徳のように思われますし、そうじゃない自分になんとなく負い目を感じてしまうことも確かにありますが、
辞めることや引き継ぎ、変化させることも尊重されるべき選択なのではないでしょうか。勿論、何があっても続けている人も素晴らしいですが。
今回の列伝は何事も一人で無理し続けることが正しい選択とも限らないことを肯定しながらも、リティシアの想い続けてきたものは受け継がれている(リティシアの頑張りも尊重されている)ところが良かったと思います。
何があっても続けられない奴はダメだと言われなかった感じが自分には心地良かったですね。安心したというか。
②マニがマグメルに力を分けた理由
これは、個人的解釈ですが光(愛する国民のために自分を犠牲にしてでも国を脅威から守り続けたいという思い)も、
闇(人々から寄せられる期待が自分にとって重く感じられることもあり投げ出したい、それは許されないのかという気持ちであったり、だらだらしたいといった感情や我儘な感情)も、
人間なのだから自分の中にある相反する感情とも共存して生きていこうという意味でマニはマグメルにも力を分けたのかなと私は捉えました。
人間なのかというワードがところどころにありましたが、人間ですし生きてて楽しいことばかりではないですよね。
辛くて仕事を辞めたいとかどうしようもない悲しさや怒りが湧いてくることもありますが、
それは他者に否定する権利はなく自分自身の中で今後も共存させながら生きていくしか無いですよね。人間である以上は。
それが(良くも悪くも)人間らしさでもあるというのが伝わってきたのが良かったです。
③宗教国家とは
宗教というとちょっと恐れ慄いたり、怖いというイメージがあるという人も多いと思うのですが、そんなことはないというか、人の信仰に対し他人が口出しする権利はないです。
ただし履き違えるとある過去の事件のようなことが起こりますが(もちろんそれに限った話ではないですが)、個人的にはあれは信仰ではなく洗脳だと思っています。あと、人の信仰心を悪用する悪徳ビジネスもそうですね。
この列伝では宗教や祈りというものに対して根本的にじゃあそれらってどういうこと?と投げかけており、且つ言葉の意味と行動の理由まで掘り下げた上で否定的でなかったのがとても良かったと思います。
自分はこの列伝での描かれ方に賛同しますが、この辺りは各々の宗教や祈りに対するイメージ次第で反応は分かれるでしょうね。
誰かに縋りたいという思いって誰でもとは言いませんが少なくともある人は多いと思うんですよね。それ自体も決して悪いことではないけれども、じゃあそういった感情を抱えた上でどうする?というところで↓
④理想的な国の在り方
この列伝の舞台である国、宗教国家グラージャの国としての在り方は私も理想ですね。
やはり支え合う(歩み寄る)っていうのがキーになっているのではないかなと思います。個人的には国単位ではなく個人個人との付き合いにもあたるとも思っていますが。
社会って一方的じゃ成立しないし、させてはいけないんですよね。人間同士なので。
絶対的な答えがないからこそお互いに精査していく必要があるんですよね。だから今でも環境問題、人権問題、国際問題、労働問題、挙げたらキリがないほど至る所に問題がある。きっと今後も問題がなくなることはないですね。
それに伴って法律だって時代に合わせて変えていかなければいけないので、絶対的な答えは正直ないです。
ただそれでも一人でも多くの人が安心して生きていける社会にするように国があるんだと思います。
誰も取り残さないのは無理なのはわかりきっていても、それを理由に仕方ないと諦めるのとそれでもどうにかしようとするのは訳が違います。
個人の経験によって個人個人命の価値だとか生きてる意味みたいなものは違いますが、憲法で定められているいない関係なく一人一人が安心して生きていける社会であって欲しいですね。
余談ですが、この年齢になって綺麗事って空想的な理想じゃなくて叶えていくもので、それはつまり現実と向き合っていくということなのかなと思うようになりましたね。逆にそんなの無理無理と諦めさせようとする(冷笑する)ことの方が残酷なのかなと思ったりします。
とりあえずこんなところで、元気があればまた印象に残ったところのスクリーンショット載せて噛み砕いていこうと思います〜