momomo1124’s blog

好きなものなどひたすら壁打ちしています。

シン・エヴァンゲリオン劇場版 感想③

演出の仕方等全肯定的ではないですが、過去作含め総合的にかなり面白かったです。久しぶりにここまでどっぷりハマりました。

人間の様々な感情に抉られるほど愚直に向き合う感じ、やっぱり好きですね。笑

 

※作品のネタバレ要素を含むため、ここから下閲覧ご注意下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

個人的に印象に残ったキャラクターの演出(見せ方)として、

綾波レイの「私は死んでも代わりはいるもの」という台詞は、設定的には綾波レイのクローンは沢山用意されているのでそういう意味での代わりはいる、ですが、

実生活においても私達は唯一無二の存在ではありながらどこかの側面では「私が死んでも(いなくなっても)代わりはいる」んですよね。

具体的には仕事、恋人。仕事は私が辞めても死んでも別の人を探せば良いですし、恋人もその時は唯一無二の存在かもしれませんが、恋人というポジション自体はいくらでも代わりがきく。

(友達は個人的には一人一人との付き合いを大事にしているので、代わりがきかないと思っていますが人によっては代わりがききますね)

また、綾波レイは〇〇は何?という台詞をよく言いますが、

私も私って何?と思うことがあり、結局自分でもわからないんですよね。でもその中でなんとか「自分」を見つけようとする。

実存的な存在として私という人間自体はいますが、内面的な「自分」は他者や環境によって形作られる、自分自身が獲得していくものなんですよね。そうやってどうにか人は生きているんだと思っています。

自分というものの構成要素を様々な側面から描いた面白いキャラクター設定だなと思いました。新劇場版のアヤナミレイ(仮称)も含め。

アヤナミレイ(仮称)についてはシンで(内面的に)人間が人間たらしめるものを獲得していく姿が印象的でした。

 

・アスカは人によっては凄く刺さるキャラクターなんじゃないかな、と思いました。

どうにかして自己を保つ為に、プライドを高く持つということが過去のトラウマ(コンプレックス)を殺せる唯一の方法として描かれているように感じましたが、実際には過去のトラウマやコンプレックスってなかなか消せないし克服も出来ないんですよね。

そういった過去を手っ取り早く誤魔化す方法として他者を見下し罵倒する、せめてプライドだけは高く保つ等がありますが、そういう方法では根本的に克服できる訳ではない。(そういう人達を見下している意図ではなく、アスカのキャラクターを個人的に分析しただけです)

シンでアスカが本来言いたかったこと(本来の欲求)を吐き出していたのが印象に残りました。

 

最終的にシンでアスカは自分自身に何が必要だったのかを見つけることが出来た…と解釈しています。誰々とくっついたということではなく。

エヴァに乗ってる訳でもないしプライドを高く保っているわけでもない、ただただ私を"みて"欲しい、という気持ちの補完、過去に素直になれなかった相手に対して素直に自分の気持ちを伝えることが出来たという意味での補完。

アスカは自分が抱えるトラウマやコンプレックスとの付き合い方の一つの選択肢を提示してくれたキャラクターだと思っています。

 

・マリについては、とにかく新しい世界に導いてくれる導き手の役割だったのかなーという印象でしたね。

シンジがそれまで認識していた世界って、シンジにとってはシンジが見えていた世界が世界の全てだと思っていたと捉えているのですが、マリによって世界は君が思ってるより断然広いぞと導かれた。

自分も確かに鬱っぽかった時って、その世界が自分の全てだと思い込んでいたんですよね。でもそれがさまざまな創作物や人によって新しい物事の見方を教えてもらって救われました。

 

自分の中では大学時代お世話になった方々が自分にとってのマリに当てはまるかなと思いました。一部ではカヲルくんもかな。

マリのような自分に見えてなかった新しい世界に導いてくれる人との出会いって人生のターニングポイントになるんですよね。

まあ、マリの手をとるか払いのけるかは自分次第ですが私はマリの手を取ることを選び、シンジもマリの手を取ることを選んで新しい世界に導かれた。そのおかげで私は今生きているので(もちろん他の要素もありますが、マリというキャラクターに当てはめるとしたら、という話です)

シンジと私じゃ背負っている世界の規模が桁違いですが笑、要は自分自身のネオンジェネシスなんですよね。

ちなみに当時の方々と今は一切交流がない為、導くのが恋人とか結婚とかといった要素は私の中では排除して考えています。要は導き手となる人は必ずしも恋人とは限らないということが言いたいです。(勿論導き手となる人が結果恋人やパートナーになることもあるとも思いますが)

シンジとマリの恋仲的と思われる要素が一切描かれなかったのは個人的には高ポイントでした。

 

正直最後のシンジの台詞自体はえぇ…!?となってしまいましたが笑、シンジが人とそれなりのコミュニケーションが取れるようになった、ということなのでしょうかね。

いやそれにしても最後これかよ…!?とめちゃくちゃいいところで白けてしまったのは事実ですが笑、いやー、うん…記憶を保持していた証拠、シンジが人とそれなりのコミュニケーションを取れるようになったことを示すための演出なのは理解しましたが…

そう考えるとここで終わってくれて逆に良かったとは思いますね。笑

要は私としてはマリがシンジの導き手となり、シンジもマリ(導き手)の手を取った、という印象でしかなかったですね。

 

 

個人的にはキャラクターに自己投影派でしたが自己投影してみるも良し(特にTV版・旧劇場版・漫画版において人間心理の描写が丁寧でどのキャラクターも自己投影しやすい要素があると感じた為)、

こんな人がいいと理想を求めるも良し、キャラクター単体やキャラクター同士の関係を愛でるも良し…

様々な楽しみ方が出来るのが当作品の魅力であり、多くの人を惹きつけた理由でもあると思いました。まあ、TV版が放映された時代の時代背景も関係しているとは思いますが。

 

長々と語りましたが、にわかだからこそ作品をフラットに鑑賞できたところもあると思います。個人的には一部の描写除いては凄く面白い作品。ただ、その一部の描写が時代錯誤に感じたので終わらせどきとしては良かったと思う、こんなところですかね。

私の中でカヲルくんは残り続けますが。

ネットの感想をざっと見た限りですと思い入れが長ければ長い方ほど賛否は分かれていた印象でしたが、

とりあえず個人的に声高にしてしたい主張としては(成年の主張)

カヲルくん最高!!!!!!!!

ですね!!!!!!

 

シンジ・ゲンドウ・カヲルくんについては思うことがありすぎるのでまた別途書きます。