ほえ〜となったお話
音楽を通しての人との出会いに救われたってお話に、ほえ〜となりました。
私は音楽、作品自体に救われた記憶の方が圧倒的に多かったので、そういう人もいるのか〜と。
同時に、いかに私が自分本位で生きてるかということに気付かされた気もしました。
お話されてた方、初めてお会いしたのですが、もう、誰とでも仲良くなれるし誰からも好かれるような、明るくまっすぐな方でした。
いやあ成功している人ってこういう人か〜と。最近思うのは、どんな仕事でもやっぱり人間性だなと…
しっかり私の話も聞いてくださって、お話も上手くて、教えるのも凄く上手くて(本当に、教わった後、言われたことまさにそれだなと腑に落ちた)、私にはスーパーサイヤ人にドーピング飲ませてさらにスーパーになったスーパースーパーサイヤ人に見えました。
ってくらい、雲の上どころか宇宙にいそうな方でしたね。
救われたって言ってましたが、そういう人だからこそ周りがついてきたんだろうな〜とは思って。
私は完全に音楽、作品の世界の中でとどまってた側の人間で。一人で作品楽しんだり感動したりして終了、みたいな。
好きな音楽同じで、ライブ会場とかSNSで知り合ったファン友達みたいなのは皆無です。話しかけて頂いたことは数回あるけども…
だから正直、音楽通して人とつながる喜びみたいなのって、わからないというか…否定してるわけではありませんよ。
いやまあ、多分私以外の大体の人は、こういう出会いも楽しんでいるんだろうけど。
大体の人はファン友達を作ってるし、やっぱ自分はイレギュラーなのかなーと…
今日も話したのですが、私がバンドに興味ないのは、まずバンドってなるとメンバー、人と関わらなきゃいけないから。
楽器やってるのにバンドやってないの!?ってよく言われるのですが、もう全ては対人恐怖というか自分の対人関係の凄まじい苦手さからきてますね。
あとは単純に、私がとりあえず演奏したいから楽器やってるだけです!みたいな。
自分本位ですな。笑
でも、今日、セッション凄くいいよと諭されて、ああ、とりあえずそこまでのレベルに自分を持って行って、一回やってみるのもいいのかなと思いました。
単純というか、バンドも頑なに自分はこうだからやりたくない、だったのですが、柔軟になろう、と。
やってみなきゃわからないし。
話ずれましたが、でも結局音楽にはいろんな楽しみ方があって良いな〜という。
多分私はまだ知らない音楽の楽しみ方がたくさんあるんだろうなと思って。
まずは、自分の抱えてる問題を理解してなるべく改善に向けて、人とまともに関われるような人間になりつつ、音楽通しての出会いに喜べる日が来るといいなと。
まあとにかく人とやる音楽が楽しいと思えるといいなあと思いました。
まあそんなところです。
ウッス
まだ卒業が確定した訳ではないんですけれども、卒業論文を提出するという最大のミッションを達成したので、一応卒業出来るという前提で書きます。笑
本当にこれは声を大にして言いたいのですが、担当教授が違ったらまず今年も卒論提出は無理だったとはっきり言えます!!!
というか多分永遠の大学生になってたんじゃないでしょうか!!!
いやあもう恩がありすぎるし、教授の人間力が圧倒的すぎてもはや私が教授に何か出来る、恩を返せるとかそんなレベルではないのです。
でも私としては恩がありすぎるわけで、このままじゃ個人的に勝手に申し訳無さすぎて。もらったものだけが大きすぎて。
ものすごく足りない脳みそをフル回転させた結果、もうとにかく教授から頂いた言葉を行動にするのと、卒業後は二度とお世話にならないことだと思ってます。笑
理想ですが何かの媒体介して、おかげさまで元気にやってます!ということだけ伝われば良いなあとは思いますけどね…
私が元気にやれてればの話ですが。笑 まあそこは頑張りますよ。
あとは、私みたいなアレな生徒を二度と持たなくて済むように神に祈るくらい。笑
もちろん何か手伝って欲しいと言われたら秒で飛んでいきますが、まずそれはないと思うのです。多分何か頼むなら他の色々健康な方に頼むと思うんですよね。まあ色々ありまして。笑
でもやっぱり恩を返せない辛さはあって、これは色々な人に言えることなんですがね、
何かをくださる方っていうのは、やっぱり圧倒的に自分より人間力の高い方々なんですよ。
ということは、私にその方々にできることはおそらく何もないのです。悲しきかな。まあだからといって何もしないわけではないですけど、基本的には私が何もしなくても何かしても変わらないなとは思ってます。
まあということはそれ以外の人にやっていくしかないわけで。
アーティスト、ミュージシャンさん方々にも同じく、私が感想を書いたりしたところでその方々に仕事が増えるなんてことはないわけで、実際なんのお力にもなれてないのです。
感想とか、喜んで下さって頂けているなら嬉しいなと思うものの、ファンレターであれブログであれ、目を通して頂けてるとは限らないし、自分が何か力になれてるとも正直思えないんです。
ファンとアーティストの見えない絆みたいなの、正直憧れはありますけどね。
見えない支え合いみたいなの、あったらいいなあとはぼんやりと思いますけど……
いやまあお金は出してるけど、それは皆が出来ることなので、特に自信満々に言うことではないです。
別に恩返しが偉いとか人に感謝するのが偉いとは全く思ってないですよー。ただの一つの生き方でしかない。こんなの別に、美徳でもなんでもない。
恩を仇で返して、ひたすら自分本意に生きるのも一つの生き方。
家族であれ他人は利用するものと割り切るのも一つの生き方。
どれも悪くも良くもないと思いますわ。自分の好きにやればいいだけの話だと思ってます、私は。
私は教授から、迷惑かけたと思うんだったら、迷惑かけられる側になるとか、人にやって返していけばいいんじゃない?と言われたのがずっと突き刺さってるのでそういう生き方をしてるだけで。
色々自分の無力さに嫌気がさして、本当の意味での恩返しって何なんだろうって思って。
多分それぞれに返せるものってのは全く違ってくるだろうと思うし、私が返せたなと思っても、あくまで私が返した気になっただけで、実際その人の何のためにもなってなかったりもするわけで。
でも各方面にやれることはやりたいなあと思う限りです。
全ては自分の無力さをとことん自覚してる故。
私は本当に普通の生徒、まあ、要は卒論以外に手がかかることのない生徒ですね!そういう生徒になれなかったのでそれは本当にひたすら懺悔。です。
私も私で色々あったとはいえ、別に私の事情など教授と卒論には関係ないことだし、豆腐メンタルを卒論に影響出るまで引きずった私がどう考えても120%あかんかったのです。
それを一回も責めないでくださったのは本当にもう感謝しかないし、器の大きさにひたすら頭を下げることしかできないです、本当に。
卒論関係じゃないけれども、石井さんも同じく。
普通、お前はダメ人間だ、どうしてこんなに出来が悪い?と言われるところですからね。これはほんっとに。20年間はこれでしたから。まあ正論なので返す言葉ないですけどね。笑
まあ、色々考えて、自分なりの恩返したるものを形にしていこうじゃないかという。もちろん教授、石井さん以外にも返していきたい方々はたくさんいますよ。お世話になりまくってますよ、本当。まったく自分は…
まあそういうお話でやんした。
大石昌良はいいぞ
ハァ〜〜〜〜!!!!!!!!!
今日は大石昌良さん関連(Sound Schedule含む)の音楽をあさりに漁るパーティーしてたんですが…
まだにわかで、すごい聴きこんでる訳ではないので、聴いて率直に思ったことしか言えないんですが、
めっっっちゃ個人的にツボでした。
まあ普通に全体的に曲が自分好みのテイストっていうのも大きいんですが、
いやあなんだろう、この素直な一生懸命さと必死さとノスタルジックさと美しさと強さと繊細さが混在してる感じ笑
とにかくどれを取っても嫌味がなくて素直でなんのフィルターもなく自分に入ってくる音楽だなと思って。
1stソロアルバムと最近出た君に聞かせる物語の音楽性をみてみると、本当に最近は一気に広がっていて、でも私はどちらも好みです。
なんていうかどちらも芯がブレてなくてしっかり中身がある感じ。いつもワクワク感と楽しさが大石さんの音楽のそばにあるなーって思って。
だからいつも聴き終わった後にものすごい充足感を覚えるのです。
まあ特に1stソロアルバムのあの街この街は、アルバムの構成的にもアアアアってなるし(大石さんは本当にアルバムの構成にこだわり持ってる人だなという印象)、曲が良いんですよね、スーパーノスタルジックアタックかましてて。
でも決してつまらないとか古臭いサウンドじゃないんですよね。やっぱり聴いてて楽しさがある。ちょいちょい小技が効いてる。
私の中ではノスタルジックと古臭さってイコールではないのですが。
ライブ観て、大石さんの素直にぶつかってくる感じを体感してて、ああなんか本当にこの人は素直な少年だなあと…音楽に対して実直なのがいつの時代をとっても伝わってくる。それが良くて。まあ色々あって今に至ってるんだろうなと思うものの
…年齢に関するツッコミは今は置いておきます!笑
とにかく漢字名義でもカタカナ名義でも、嫌味と胡散臭さがないのが個人的には凄いポイントになってるところで、音楽でもそれを素直に表現できてて、尚且つリスナーに届くように伝えられてるのが凄いなと常々感じております。
歌もギターも上手いのは暗黙の了解だし、多分そういうアーティストはたくさんいるけれども、大石さんは大石昌良っていうちゃんと独自のカラーとその強みを持ってる人だなーと思ってて。
その、上手さプラスアルファがある人な感じ。
プラスアルファってのは、人に何かを伝えられて、その人を動かすものをもってるみたいな感じです。
なんか本当、いい意味での必死さが凄く良いんですよなあ。余裕もってやってる人もかっこいいんですけど、個人的には必死さみたいなのに惹かれるところはある
いやあ、大石昌良さんはいいぞ!!!と声を大にして言いたいし、こういうのがもっといろんな人に届いて欲しいなあと個人的には思います。
価値はつけていくものだと最近思うので、積極的につけていきます。
ファッションモーンスターーーー
なんか、色々なものがファッション化されているのかなと感じます。
人からどう見られるかをより気にせざるを得ない状況が迫ってるというか、ここまできてるというか。
多分ファッション化って、SNSとかネットが普及して個人が公の場に晒される機会が増えて、人が人からの目をより気にするようになったとこからきてるのかなーとぼんやり。
もちろんそこには、単純に人とシェアしたいって思いもあれば、おしゃれな写真あげてる自分、リア充な自分アピールドヤァなパターンもあると思うし、マウンティングも発生すると思うし…
人から見える自分の操作みたいなのが、少なからずネットで行われてるところはある気がする。一概には言いませんが。
上手く使えばいい商売道具になったりするので本当に使い方次第ですが
なんでもファッション化するのはいけないとは言わないし、多分流行がつくりやすくなって(広告とかで大衆化させて人を躍らせやすくなる)、大衆化することで経済活性化すると思うので、必ずしも悪ではない。とは思う。
ただ作品もファッション化されると、作り手の意図とか意思が伝わらず、作品から受け取るものもなく、ただただなんとなく消費されるのは、きっと作り手が悲しいだろうなあと思う。し、作品の役目とは???ってなる気がする。
ただ、私生活にもファッション化が波及してしまうと、多分物事を上辺だけで判断するみたいな、ぱっと見とか一瞬の出来事で物事を判断しがちになったりするのかなと。
私はそれによって生きづらくなる人が出てしまうことがまずいのかなと思う。ファッションメンヘラの登場は特にこの典型かなと。
メンヘラ?ああ面倒くさい構ってちゃんね、とりあえず死にたいって言ってる人ね、みたいな、一括りにされるのがまずい気がするし、
例えばほかにも、同性愛は気持ち悪いって認識が広まると、同性愛者の人は生きづらくなるし。
別に個人の感性はそれぞれあってしかるべきだと思うんですが、自分の感性を常識、正義だと思って、誰にでも通じるものだと思い込む→違かったら批判、排除、いじめみたいなのがやばいと思っていて。
判断が浅くなればなるほど、この負のサイクルみたいなのは多発してしまうのかなと…
あとは自分がわからなくなるというか、いざ大衆化が崩壊した時に、自分が好きなもの、楽しいと思うものとかがわからなくなる(今まで大衆や他人に委ねてたから)のも悲しいし、きっとその人は苦しいんだろうなあと思ったりもします。
自分の考えを持て!とか強制するつもりはないし、別に自分の考えを持ってるから偉いとかそういうわけでもないですが。
ファッション化もほどほどにというか、ファッションにしていいところとまずいところがあるなあと思った次第でございまする。
大事なのは最後の数行だけ
うちの親は自分の非を絶対に認めない人で、まあだからいつも必然と私が悪いことになっていた(まあもちろん、私にも原因があるわけで)んですが。
少し前は、いやあまあ正直今でもまだゼロではないけど、なんで感謝を強要されたり、親の思い通りの子にならないと怒られなきゃいけなかったり、出来る子じゃないと自分の子だと認めようとしなかったりとかされなきゃいけないの?みたいな、まあ素直に親に感謝出来なかったです。
嫌でも自分が人間的に欠陥があることを自覚したり自覚させられたりして、自分は死んだほうがいいとか自己嫌悪に陥るとともに、なんでこんなんなったのだ、と、いろんな本を読んだり人に相談するたびに、親子関係が~ってのが大体毎回つきまとってきていて。
まあそんなだから休学決めるか否かで完全にメンタル逝ってた時は親が憎くて仕方なかったのですが(もちろん親以外にも色々あったが)。
最近落ち着いて色々思うようになって。親は親で過去に色々あって、親自身も自分は絶対間違ってない、と思い込んでないとやっていけなかったのかな~とか思ったりします。
ただ、それが私の存在を否定するようなこと言っていい理由にはならないと思ってるので、同情はしないし絶対私は人にやらないけれども、理解はせねばと思った。
でも間違いなく私は親にたくさん手間をかけてきたし、私が親の思うような子になれなかったという、出来損ないなのも間違ってない。
だから間違いなく私にだって非はあるのですよね。
親に母親失格です、と言わせてしまったことがあります。
その時、親にこんなこと言わせた自分死んだほうがいい(昔は基本これでした。本気で自分が消えればすべてが丸く収まると思っていた)とも思ったんですが、正直、お互い違う人間だってやっとわかってくれたか、っていう謎の安心感もありました。
まあでも育ててやってるんだから親の言うこと聞けと言われたら、確かになーと思わざるをえないところもある。まあ全然言うこと聞いてないけど。笑
たぶん親も親で、私と考え方合わないし、私が親の思い通りに動かないしで悩んでいたんだと思います。
なんかそう思うと、親は自分をわかってくれないとばっかり思っていたけど、私は20年、親の状況も考えたことなかったし、曖昧な行動しかしないではっきり訴えてこなかった自分も良くなかったと。大学の先生にも、ちゃんと言わなきゃ進まないよって言われてたなあと笑。
中学のころは、逃げ込んだつもりの保健室で思いっきり、お前はほんっとにわかってくれないわかってくれないしか言わねえよな!(怒)って言われましたね笑。当時はめっちゃ傷ついたし自己否定感マシマシになったし、今でも引っかかるんだけど、冷静になったらただの正論でした笑。
まあ、最近は親も私を諦めたのか、あんまり何も言ってこなくなりました。ただたまに嫌味っぽく遠まわしに否定してきたりもするので笑、ああ、本当に自分の非を認められないというか、もうわからないんだろうなーと思ったりもしますが。笑
でも私も諦められるようになって、何より、親に認めてもらいたい、存在を肯定してもらいたいみたいな願いがまるっきり消えました。諦めました。これは大きいです。
昔はこれに縛られてたから、親に存在否定されるようなこと言われて余計にきつかったんだろうけど・・・
まあただ、なるべくなら、親の意図で子を産んだわけですから、親である方々に対しては自分の子の存在肯定したり、子どもの自己肯定感高めてあげたりしてください、ってひそかに願っています。子どもが泣いてたら、間違っても、こんなの自分の子だと思いたくないとか言わないであげて寄り添ってあげてほしいなあと苦笑。
今は親も親で色々あったんだろうなーとうまく割り切って付き合うことができてるし、子育てって上手くいかないこともあるし、親子だからといって合わないこともあるのでね。
何度だって言うけれども私だって悪かったところたくさんあっただろうし。そこは自分も認めないとだしね。
色々割り切った上で(多分親も同じく)そこそこ平和に生きています。過去の懺悔も込めて、最近は料理とかしたり、なるべくありがとうございますって伝えるようにしてる。今まで何もしてこなすぎたし、私も私で勝手に自分死んだほうがいい思考になって一人で拗らせまくってたところもあったんで。
まあ、一人暮らしは常にしたいと思っていますが笑。
まあ自分がこうなれるようになったのも、親以外の人たちが支えてくれたり、仲よくしたりしてくださったからで。
いいのかわからないけど、優しさとかをもらうのは別に親じゃなくても生きていけるなと思ってしまった。
ただ、いまだに、自分の言葉は悪いなあ(言い方が)と思ったりして、もやもやしたりもする。
別に誰かを否定も拒否もしてるつもりは微塵もないです。
それぞれにそれぞれの事情があること、むやみに否定しないことって大事だなあと思いました。最近は本当こういう配慮が出来てなかったように思う。まだまだですね。
あー、またドラムやりたいし、くろやぎさんたちとバイオリンもやりたい。もちろん純粋に叩きてええええ!!!!!って気持ちなんですけどね、ドラムはね、私的には石井悠也さまに習うことに意味があると思ってて!!(今日一番言いたかったこと)
バイオリンも同じく。誰とやるかっていうのに、最近は意識が向くようになりましたとさ。
大事なのは↑の数行だけです。まあそんなことです。あーまたドラムやりてえええええ
謙虚と自己主張
謙虚でもいたいし(というか、年齢的にも内面的にも謙虚でいなきゃいけないと思う…)、でも自分の考えも持っていたいしっていう。ていうか、自分は持たなきゃ生きられない人間だなと…
なんかそのバランスが難しいなと思いました。
関わる人選ぶって言ってるけど、多分パッと見たら結構傲慢な考え方というか、図々しく見えると思うんですね。ただ見た目で判断するとかは全くないですけど。
ただ、やっぱり選んでいかないと、騙す人間、利用する人間っているので。そこを避けて生きないと、自分が死にます。
自分のために逃げることも避けることも肯定する派です。
あかんやつに盲目的になって依存したらいよいよアウトだなと思っていて。
でも謙虚さも忘れたくないのです。
こんな文章書いといてなに言ってんだ?との声もあると思いますけど、やっぱり自分は良くないところとか直すべきところとか、無限にある思っていて。もちろん外見も…(遠い目)
それを自分でわかってるので。
謙虚でいればそりゃバカにされやすくもなるし気分で当たられたりするし、この人には何やってもいいだろうみたいな。ナメられます!笑
そういう人間にターゲットにされやすくはなりますね!実際色々ありましたね!笑
まあ年齢的にも、まず自分より下の人がいるって環境もあまりなかったので、仕方なかった点もあるんですけどね。
ただなんでも従って一人でこなすのと謙虚さってイコールなのかなあ…って疑問も…まあ仕事ではそういなきゃいけないなと思いますが。
でも本当に素敵な方も見抜きやすくなります。
年下だし、特に良くしても何の利益もない人間に良くしてくださった方々は本当にみなさま素敵な方々でしたね。ありがたかったです。
だからなんか、難しいんですよね。謙虚でいるのと自己主張のバランスって。傲慢な人間にはなりたくはないので。というか似合わないし、私が傲慢になったらいよいよ周りから人が消えると思います。笑
すごい可愛いとか超絶美人とかなら話は別ですけどね。
まあ、私がこう思うっていうことは単なる一個人の考えでしかないので。間違いなく絶対正義ではないです。多分、穴もボッコボコだと思うし。笑
まあ難しいすね、色々と!
なんかふと
他人事って当たり前だなと思った。だって自分以外他人だし。と思う私は冷酷なのだろうか
人の気持ちなんて想像するならいくらだって想像できる。というか、本当の気持ちなんて他人には想像しか出来ないと思う。
笑顔を素直に信じるか、優しさの裏に何か隠してるんじゃないかと疑うこともできるし…まあ色々。人次第ということなんでしょうね
まあ、疑い始めたらきりないけどね。なるべく疑われない人でありたいけど。
というか仮に私が嘘ついても口下手だから多分ソッコーバレるわね。笑
まあそれはさておき、その人の辛さはその人にしかわからないから、他人はどうにかして自分の体験と重ねるか、頑張って想像するかしか出来ない。喜びも同じく。
私はあんまり人と感情を共有したことがないので(共通で好きなこととかは共有してるけど)、いつもどういう言葉をかけていくのがいいのかなあと…
薄っぺらい言葉しかかけられてなさそうでなんか自分が情けないなとよく思うし、自分は人間的に大事なものが欠落してるって思ってるんだけど、それはここだなって思ったりする。まあ色々あるけど。コミュ障はまあ…ここでは置いとこう。笑
まあ、他人事って嫌なイメージで使われがちだけど結局みんなそうなんじゃない、って思う。
例えば前も言ったけど、いじめの加害者が被害者を自殺に追い込んでもおそらく加害者はなんとも思わないでしょ。本当に死んだんだ、くらいだと思う。
人を傷つけても、自殺に追い込んでも殺しても、みんな他人事なのよ。
傷ついた側がどれほど傷ついたといえど、傷つけた側にとっては面倒事でしかないわけさ。所詮そんなものよ。
まあ基本的にはそうだから、そうじゃない人が特別になるんだろうけども。
まあだからその程度認定してきて雑に扱ってくるような人間とは関わらなければ良い。それか距離を置けば良い。と思いますよ。
まあそんな簡単なものじゃないのはわかるけど。ただ、そこに依存して執着して、色々見逃してしまうことほど悲しいことはないわと思う。
まあけど忘れられないことってあるもんね。
ただやっと最近割り切れるようになったかな。その程度ならそこに依存する理由ないよねって。もっと楽しいこともあるし素敵な人も良くしてくれる人もいるし。
なんか、あんまり引きずるってのをやめようと思って。過去の経験に縛られて人間不信になったって何も変わらなかったから。
お互い大切に思ってたら関わり続くはずだと思ってますよ。でもそうじゃないなら、その程度だったってことなんだろうな。と。
まあそれが全てじゃないけど!もちろん感謝してる人はいるし、会えるなら会いたいなって人もいるし。素敵な人だって何人もいたし。
二度と会いたくない人もまあそこそこいるけどね。笑 でも、もうそういう人とは会うことないから、別にいいやって感じ。
まあ、他人事は他人事といえど、その他人事との向き合い方が合う人と関わればいいと思います!ってことですかね。
あ〜柿の種辛さ50倍、いいわぁ〜