momomo1124’s blog

好きなものなどひたすら壁打ちしています。

数年ぶりのリリースイベント。

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先日はこちらへ。

 

アルバムなりのリリースイベントは基本的に機会があれば(参加券等、仕事終わりでも余っていたりならば)行く派ですが、結構楽しくて好きなんですよね。

制作の裏話とかのお話し聞くの好きなので。

勿論こんなスタンスなのでリリースイベントは毎回毎回行けている訳ではないのですが…

 

そもそも私はCDはそうそう買わなくなりましたが、AKIHIDEさんの作品とか特別にずっと好きな方の作品だったり、ブックレットが付いてたりとかCDならではの特典がついてるもの、ライブCDとかは買うようにしています。

 

今はサブスクリプションが主流な印象があるのとこの辺りは色々な論争がありますけど、私は無理にCDを無くそうとする必要もないのでは?と思っていますね。

それはそれで、それならではの魅力があるんじゃない?って思うので。モノにこだわらない方ならCD買わずにサブスクリプションで済ませば良い話ですし、実際私もCD買わずにそういう感じでしか聴かない音楽も沢山あります。というかほとんどは手軽にサブスクリプションで済ましています。

一概に全部〇〇でよくない?みたいな感じではないですね。

 

まあそれは置いといて、勿論好きでいる期間が全てではないし、それでファン度みたいなもの(どれくらい好きなのが偉いとか)そんなものは測れないと思いますが、

何気に私は中学2年生くらいから現・過去バンドの音楽、ソロ活動(音楽以外の作品も含む)は勿論全てAKIHIDEさんの作品には触れ続けています。

 

毎日絶対にAKIHIDEさんの音楽聴いています!っていう訳でもないし、全ツアー全公演行っているという訳でもないですし、チケット取れない公演は普通に諦めます。公式以外からはチケットは買わないスタンスなので。

ただ、嫌いになったり飽きたり無関心になったりっていうのがなかったから、今でも作品に触れさせてもらっております。

 

なんだかんだでもう当時から時が1〇年以上経って…な…なんでもないです 時の流れは早いですね。

 

今回のアルバム発売にあたり、リリースイベントに行ったことで、私の中のAKIHIDEさんから受けた影響っていうのを改めて考え直してみましたが、無意識のうちに結構影響受けてるような気がしますね。

 

前も言ってるかもしれないんですが、私の中での涙の概念を変えてくれたというか、涙にも多様性があって、必ずしも悪ではない、ということはAKIHIDEさんから教えてもらいました。

 

それまで、親には私が人前で泣けば恥ずかしいと言われ、お前が泣くことで私(親)がどれだけ恥ずかしい思いをすると思ってるんだ、こんなのが自分の子だと思いたくないとか色々私が泣く度に言われてたので、泣くこと・涙ってしちゃいけないこと、悪いことだって思っていて。

親的にはただ人前で泣くなって話だったのかもしれませんし、まあ私も流石に今では人前で泣くと基本的に人に気遣わせることになるからってのはわかるようにはなったんですけど。

 

まあとか言いつつ、仮に私の前で誰かが涙を流すのであればそれに関しては、他の誰かは泣かれたら迷惑とか面倒臭いとか言うかもしれないが、私の前でくらいはそんな奴らほっといてそんな気遣うとか考える暇もなくして素直に泣けや!って思ってますけどね笑

AKIHIDEさんが涙を否定しないでいてくれているように、それに救われた身として私もそうありたいので。

 

ただ当時の私の精一杯の感情表現は悲しくてけど何が悲しいのかさえわからなくて、泣いて涙を流すということでしか悲しみや寂しさややり切れなさなどの感情を表出することが出来なかった、

けどそれを否定されるようなことを言われてしまって、自分でも何故涙を流すことしか出来ないのかがわからなかったし、何故なのか聞いてくれる人もいなかったです(何故を知るのがいかに自分にとって大事なことになるかは大学の時に初めて知りました)

 

人のせいにしてる風に聞こえてしまいますが、私は人に何故?を問うことでその人自身の中の答えというか、考えを引き出そうとする人間でありたいと思っています。

その人自身が自分自身と向き合い、一生付き合っていかなければならない自分自身のことをよく知り、自分自身が望むこと・したいことを精一杯自信持ってやれますように。誰になんと言われても。

 

脱線しまくってますが、今の私の根っこになっている部分ってAKIHIDEさんの音楽含む作品から発されるメッセージに影響を受けているところも大きいというか。

今の自分の土台を作るきっかけになったのは、AKIHIDEさんの考えやモノの捉え方かもしれません。

自分にとって凄く新鮮で驚きもあり救われもして、こうありたいという見本の一例でもあったり、AKIHIDEさんの作品から発されるものから受け取って自分なりに派生させたり。

もちろん影響は今でも周りの方々から受けているんですけどね。

 

AKIHIDEさんは結構、世の中的にマイナスとされること(例えば別れとか)捉えようによってはこうも言えるよねと(それこそ涙にも色々な涙があるとか、別れも自分の人生の血肉になるとか)

その多角的な視点に私は当時生かされて、でもその後も沢山ボロボロになって、また別の人に救われて、で、今も生きていて。

ただ今思えば、物事は多面的であり、見ようによってはそれが自分が生きていくための力にもなるということ。現段階で行き着いているその大元を最初に教えてくれたのはAKIHIDEさんだったのかなと。

 

勿論、別に私は芸能人でもない普通っていうかどちらかというと普通以下の人間で、特に生きてても生きてなくてもどっちでもいい人間に過ぎないので、仮に死んでいたとしても何も変わりません。

でもせっかく死に損ねて今でも生きざるを得なくなっているのであれば、せめてこんな人間を生かしてくれた、くれている自分の周りの人たちにくらいなにかしらの形でお返しだけはさせて欲しい。って思いで今は生きています。

 

また脱線しておりますが、AKIHIDEさんを今でも忘れることが出来ないというか、たまにまだ好きなの?って言われちゃったりしまして、ええ、そうなんですよね、懲りもせず10年ほどがあっという間に経過しても、まだ好きなんです。笑

 

その理由を自分なりになんとなく改めて考え直したかったし言葉という形で残しておきたかったのと、今作でも確信したのはやはりAKIHIDEさんは伝えたいことを必死に形に、作品に残して下さっていること。

1曲1曲想いが込められているから、AKIHIDEさんの作品に大きく影響させてもらったいち端くれとしてせめてその想いを受け取らせていただきたくて。

 

凄く印象的だったのは、AKIHIDEさんのアルバム、ふるさとのツアーでのこの時計が止まるまで という曲の前に、AKIHIDEさんが、この時計(心臓を指して)が止まるまで、音楽を続けます。と言ってくださった時。ああこの人の作品にかける想いって半端なものではなくて、だからこんなに響いたんだと思うと嬉しいやら想いが響きすぎてやらもう色々入り混じって涙を流したのを覚えています。

 

勿論、ハマるハマらないは個々それぞれあると思いますし、何に感銘を受けるか、何を素晴らしいと思うか、何に影響をもらうかも、本当人それぞれなので。

たまたま私はそれの一部がAKIHIDEさんだったというだけですが、私はAKIHIDEさんに影響を受けられた人間に生まれてきてよかったです。

言葉だけでなく音にも心が動いて涙が流れる。私はこんなに素敵な作品たちに触れさせて頂けている。AKIHIDEさんの作品は間違いなく生きてますね。生命力の強さを感じます。

 

とかこんなことを書いていたら、一般発売の発売時間に予約しようとしたら席が取れず、諦めていた今週土曜の横浜の2nd公演に急遽行けることになりました。嬉しいです。

今の時点で空席ありますよとアナウンスしてくださった方、ありがとうございます。

 

生きてるうちに少しでもAKIHIDEさんの作品と向き合って影響をもらって、その影響を私なりに出来れば沢山派生させていければ。

純粋に作品を楽しみたい気持ちも勿論ありますけれども笑、やっぱり最終的に行き着くのはAKIHIDEさんの作品からもらったものは自分なりに派生させて、自分自身にも周りにも何かしら影響になれるように。ここかもしれません。

 

若干脱線しますけど今思えば私はなんとなーく直感であ、この大学行きたいな。って思ったのも、社会学部を選んだのも、AKIHIDEさんの影響が大元にあったのかもしれませんね。

私は母校の中で私の通った大学は唯一好きな学校だったと誇れるので、AKIHIDEさんに自分の歩むべき道を示してもらった感があります←

 

長くなりましたが、今後ともAKIHIDEさんが音楽を、作品制作を続けて下さりますように。

 

とりあえず今週末、楽しんできまーす!