最近生きてて良かったと思うこと多すぎな件
先日の話にはなりますが、無事にAKIHIDEさんの今ツアー初日横浜2nd公演に行って参りました。
なんか…すごいライブだったなあと(小並感)
AKIHIDEさんのラストライブとか引退ライブとかでは全然ないんですけれども。むしろどんどん色々なことに挑戦されていて、作品も結構コンスタントにリリースしてくださっておりまして。
有難いことに、今でも私はそれを享受させていただけておりまして。
AKIHIDEさんの音と声って、毎回なにか鳥肌が立つ感じというか、理性では抗えない身体的反応があるんですよね。笑 言葉で説明するとなるとこうとしか言えないんですが。
基本好きなことしかブログに書いてない上に、幸いにも私には好きな事が沢山あります。
なので薄っぺらくというか、何でも大げさに書いているとか口だけだと思われてしまっても仕方がないとは思いますが、私としては毎回その時に感じたことをただただ正直に書き残しています。
感情って忘れやすいので。もちろん、その時々の感情はその時々のもので、文字に残したからと言っても、いつか見返した時にその時と全く同じ気持ちになれるかというと、そうとも言い切れないと思います。
ただ、出来ればやはり当時の気持ちを取り戻せるような、確かに私はこんなことを感じていたんだっていうのをいつでも思い出したいという欲もあるのかもしれません。
リアルな感情をリアルなまま残せる唯一のツールなので。
とはいえ数年後、我ながらこりゃ痛々しい…と顔から火が出そうな思いをしそうな気もするんですけどね笑
まあ、この人なんか衝動的で、好きなものに対しては感情動きやすい人なんだな、くらいの認識で捉えて頂ければ笑
わざわざ時間かけて嘘は書きません。そんなことするなら他のことしますね笑
少し脱線しましたが(いつもの)
勿論今回に限ったことではないにしても、今回は特にって感じでAKIHIDEさんの作品の核となる部分と言ったら伝わるかなあ、やっとAKIHIDEさんの作品が自分の血肉になった実感があって。身に染み込んだ感覚。
難しいですけど、勿論今までも頭では理解していましたが、実際の自分とのギャップを強く感じていたというか。
AKIHIDEさんの伝えたいことは頭ではわかっていたし思いとして、とりあえずキャッチだけはしておいて、はて、現実の自分は・・・みたいな感じでした。
わがままだったり、自分の弱さを人のせいにしようとしたり、そのくせ変に臆病になったり、怒らずに諦めに変えてしまったり、上手く取り込めてなかったと思いますね。今思えばですけど。
今回はキャッチして、そして今までの作品も含め栄養分として自分に取り込められるようになったから、自然と涙腺ダム決壊したように思って。
よりAKIHIDEさんの作品をリアルに感じたから。やっと私もこの境地に行けたか、と笑
今の自分は、常に今の自分が一番嫌いではないです。
敢えて好きと言わないのは、私は自分のこと好きって言った瞬間終わる気がするから。まあそもそも自惚れられるほど出来た人間でもないですし。そこは自分の嫌いなところと嫌というほど向き合ってきているのですが…多分一生これやってると思います。
もともとは自分が嫌いすぎて結局自分が嫌いだから死にたくもなったわけで。
そこから自分のことを好きではないけど嫌いじゃなくなれた、というのは私にとっては大きな一歩だった、と自分では思っています。
まあそれは置いといて。
AKIHIDEさんのことは神格化するつもりも理想を押し付けるもなく、人間だと思っています。
優しさはもちろん感じるんですけど、その優しさっていうのも甘やかすとか表面的なとりあえず取ってつけたような優しさではなくて。
もちろん音楽の制作意図も、意図する消費のされ方と、消費者自身(音楽の場合ならリスナーと言った方が伝わるかも)がどう消費するかも自由だと思っていますし、だからこそ消費する側は娯楽として楽しめると思います。
音楽の消費の仕方は各々自由で良いのではないでしょうか(ただし生産者と消費者という立場がある為最低限のマナーは守って然るべき)
まあ現実的な問題として、続けて欲しいと思うなら出来るだけお金落とすべきっていうのはごもっともですがね。
私の場合のAKIHIDEさんの作品は制作側には関わっていないという意味では娯楽として消費するしかないようで、しかし私にとっては娯楽というと語弊があるように感じます。
AKIHIDEさんの理想化し過ぎない作品とか優しさはものすごい現実的で、消費者に対していかに真摯に作品を届けようとしているか。
インタビューやライブを読んだり見たりすることでそれはすごい感じます。多分私自身もAKIHIDEさんのブログは1●年前(ボカしていくスタイル)から読んでいるので、彼が伝えようとしていることはなんだかんだで一貫しているように思うのですが…偉そうにすみませんただのひと個人としての捉え方なので、あまりお気になさらず。
ある種この瞬間が永遠ではないというのは残酷かもしれませんが、私も別れは必ず訪れると思っていますね。
AKIHIDEさんの作品には、大体別れとかなんでも、悲しいとされる、人が生きる上で必ずぶつかる壁となる試練が込められているように感じます。笑
私は特にAKIHIDEさん相手なら、ライブやリリースイベントとか仕事・公式のイベント時以外に時間を共有することはないし、AKIHIDEさんが音楽活動辞めますと言ったら二度と会うことが出来ない別れになるし、私が先に死んでもある種別れになるかと。
AKIHIDEさんに限らずですが。家族でも友達でも。死は一番わかりやすいですが、疎遠になるとか、何かしらの形での別れ必ず訪れるので。
AKIHIDEさんはそこを隠していなくて、別れは基本的にいつだって少なからず悲しみがつきまとうもので。むしろそこと向き合うからこそ、見えてくるものがあったり、死は向き合わなければならなくて、誰かが死んでも後追いとか自殺しない限り私は生きていくしかない。だから、その悲しみをどう自分の中に取り込んでいくか。
はたまたそこでなにか今後生きる上での気付きを得られるかもしれないし。
そこにリスナー自身に、リスナー自身の人生において気付かせようとしてくれるのが、個人的に真の優しさだと私は思っています。
AKIHIDEさんからは、ライブという長くは続かない時間、瞬間がおそらく彼が一番伝えたいことを伝えられる手段(主に音楽だとは思いますが私的には絵も言葉も全部)だと感じます。
そしてそこに全身全霊で(全力でいくぞーー!!!おーー!!みたいな、見るからに熱い体育会系的な感じではなくw)向き合ってくれているように思っています。勝手に。
いいんだよ作品をどう享受しようが消費者の自由なんだから(開き直り)
それを強く感じたのは、サポートの方々含めた音楽、歌からももちろん(相変わらず優しくて人間としての深さを感じる歌声でした)
ライブの本当に最後の曲の間奏で、即興(らしいです、どの公演でもやっている演出だと思っていました)ポエム?というと安っぽく聞こえてしまうかなあ…?笑
あの言葉の力強さよ。表面的にいいこと、良しとされることで片付けられないし片付けようとしない芯の強さに突き刺されました…
言葉の力ってすごい。言葉は薄っぺらいものだけじゃないと信じられました。
そりゃ口だけ達者な人もいるけれども、そればかりではなくて、多分AKIHIDEさんの対人への姿勢が言葉というひと手段として力強さを持った、んだろうなあ
ああだからこんなに飽き性な自分でも、この方の言葉とか音楽とか、ずっと好きというか…
うーん、好きとは違う気がする…?いやもちろん好きではあるんですけどね。
私はAKIHIDEさんの作品とともに生きてきて、そして今の嫌いじゃない自分でいられているベースを作ることが出来ているのは、死なずにいられて生きてて良かったと思う瞬間を感じることが出来たのは、
この方が創作活動を続けてきてくれたおかげでもあるんだなあ、と思うと…ね…泣くよね…
まあもらってばかりなんですけど、私なんぞは自分以外の誰にとってとんでもなく小さくていらないに近い命だとしても、自分が生きてて良かったと感じる事が出来た、ということ自体が大事かなと思っていて。私はその瞬間が生きがいの一つでもあります。結局は私の人生は私のものであるから。
響くかどうかは人それぞれですし、私の場合はなんだかんだでAKIHIDEさんを知っている年月がそれなりにあるのと、たまたま自分がAKIHIDEさんの音楽をはじめとする作品全般が響く人間に生まれてきたというよりは後天的になっていった、という感覚ですが。
私としても、AKIHIDEさんの作品が一人でも多くの人に何かしらの影響があれば勝手に嬉しいし、自分も影響を受けたいち端くれとして生きる上で何かAKIHIDEさんの精神を受け継ぎつつ、自分の力として発していければいいなと。おこがましい発言ではありますが。気持ちとしてはこんな感じです。
先日は素晴らしいライブをありがとうございました。
生きてて良かった(何度目) いやほんとに。何回言うねんって話ですけど。何のジャンルにしてもそういう瞬間が多くあるのは幸せだし、そういう瞬間を心の底から感じさせてもらえること自体がありがたいお話です。
まだツアーが控えているので曲目は控えますが、2月11日の作品含むライブも楽しみにしております。