momomo1124’s blog

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列伝 救世の真理と天帝の誓い 感想④

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*スクロール下、列伝内スクリーンショット有のネタバレを含みますので、

まだ列伝をご覧になっていない方は閲覧ご注意下さい*

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回、予想の範疇になくて驚いた事実としては、かつての族長は魔族だったんですね。

私は、族長=プロビデンス(感想②にいる半身ドラゴンのような男性)だと思っていて、ただ何故プロビデンスが族長と呼ばれるようになったのかは疑問には思ってはいましたが。

元々の族長は今回初登場となったソロモン(魔族)だったのは驚きました。ソロモンが、アーク(プロビデンスとアークは同一人物です アークが今現代のプロビデンスとしての姿になった過程は端折られていましたがw)を族長に任命したという流れだったのは、新しい歴史を知った感じでした。

 

前置き長くなりましたが、私は魔族や天使(列伝:破壊兵器と子守唄 に登場のハミエル)が人間に興味を持ち、人間界に潜入するっていう設定好きなんですよね。

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クリプトラクトでは魔族と天使という人間とは違う種の生き物が人間に興味を持つ、という形を取っていますが、

要するにこれ、フィールドワークといって人間同士でも違う国・そして同じ国でも違う土地、そこにある文化に直接触れ体感しに(参与観察)行くようなものですよね。

 

クリプトラクトなら魔族には魔族、天使なら天使の常識や魔族・天使としての在り方みたいなものがあり、それは人間とはまた違うもの。

 

現実なら文化人類学みたいなものなんですかね?

ざっくり言えば、今の自分が常識だと信じて疑ってないことが、別の国では失礼に当たるとか。

その国では自分の国や土地とは別な常識的なものがあることを自分の身をもって体感するなり書物を読んで気になれば実際に現地に出向くなりして知るなりことで、いかに自分では当たり前だと無意識下で思っていることがある人にとっては当たり前ではないか。

私としてはですが、そのようなものを知っているか無自覚で知らずにいるかで、自分が生きるための選択肢や手段は随分変わってくると思っています。

 

私達は普段わざわざ自覚せずとも人間なので、勿論他者については客観視することになりますが、そもそも自分自身も含む人間について客観視する機会って普通に生きてたらなかなかないと思うんですよね。

ただ、クリプトラクトでは敢えて人間とは違う種族が"人間"という生き物自体について魔族や天使目線で語られることで、私達人間も知らなかった人間の側面について知ることが出来る、っていうのはなんとも面白い設定だなと思っていて。

 

また脱線しかけてますが笑、

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これ、少しギクッとしました。少なくとも私は自分に当てはまるところはあると思いました。

他者に依存というか、自分で何もしようとせず人に頼って(期待して)好き放題言ったり責任転嫁してばかりで自助努力をしない成長しない生き物だ、と言いたいんだと思いますが。

 

人に依存し自分の命を守る、というならば例えば戦が始まった場合、自衛隊に私達は頼ることになりますよね。でも自衛隊自衛隊としてお仕事としてお給料をもらっている。けれども、確かに自衛隊ではない私が他者(自衛隊)に依存し自分の命を守ろうとしている。

 

私が戦場に出ない代わりに戦場に出る人がいることは間違いない…うーん…

自衛隊はそういう仕事なんだからって言えばそれまでですし間違ってはいないですけど、私はお国を守るために自衛隊に入隊する意思はないです。

別に私が自衛隊を思おうが思わなかろうが、戦場に出て死のうが出ずに死なかろうが世界にとってはどうでもいいことですけども…

…考えさせられますね。


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私も時々あります。というか基本はこういうスタンス。とはいえソロモンも私も100%諦観はしていないのですけども。

 

人間に対してある程度距離を置き俯瞰するような立場でないとやっていけないなと思いますね。相手によりますけど基本的には。

何事もどストレートに受け止めてたら精神やられっぱなしで死にかけます。ソースは自分です

 

本音として言うのであれば、私的にはこういう生き方はあまり本意ではないですし、何事も真に受けすぎる人間です 要するに生きるのが下手です。

 

人間はみんな優しいと思いたかったし、仲良く出来ると思いたかったし、そう信じたかった。

ですが世の中には色々な人間がいます。特に仕事、血縁関係者は切ろうとしてもなかなか簡単には縁を切れなかったり。

 

純粋には生きられないことを知ってしまったし、人は誰しも、私も含めて優しいわけではないし、優しいだけでは生きられないしなんなら心身共に搾取され、殺されかけるし。

自分に対しても。自分では純粋だと思っていた気持ちを相手にぶつけることで相手を不快にさせてしまったりします。自分が好きという気持ちしか見ないのでは人と互いに生きていけない。

なので私は様々な手段をとれるように鍛えています。というか、とらざるを得ない。鍛えざるを得ない。自分自身が自殺はしないと決めた以上は。

 

自分が理不尽だと思うことをしてくる人間に対して闘う手段を身につけるだとか、全てを相手のせいにするわけではないけれども、全てを自分が悪いんだと自責の念に駆られていたら死にかけますあるいは死にます。反省は大事ですけどね。

いやこれはどう考えても相手に問題があるだろ。と割り切ることも大事です。全てを許しては相手のいいように利用される。ただし、その判断力は自分で磨いていく必要はあります。

あと関わる相手は選ぶ。これは上から目線に見えるかもしれませんが相手にも同様互いに持つ権利です。

 

大人になるにつれ、いやもしかしたら、大人にならないうちにも。

全てにおいて判断力や闘っていく手段(物理的距離を置く・関わり方を考えて伝える・時には自分はここは譲れないと伝えたり、相手の譲れないを理解するよう努めたり)は身につける必要があります。列伝での言葉を借りるならば要するに抗う力を身につけるということかな。

私もまだ完璧とは言い切れませんし、むしろ一生完璧にはなれないと思っています。だからこそ鍛え続けたい。というかそうしなきゃ殺される。

ただ、これを逆手に取るならば、選択する目を養うからこそ自分が自分を守ることができる環境を手に入れられる。と思っています。

 

自分を守るため?そうですよ。

私は自己犠牲is正義的な精神は無いので、自分さえも守れなければ他者も守れないタイプの人間です。

逆に自分を守ることが出来て初めて他者を守るためにと頑張る力が生まれる、初めから他者のために自己犠牲は私は出来ないです。でもだからそもそも自分を守るために闘おうとするんです。

 

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強くなれる、の意味合いは人によって様々だと思いますけど、散々だったし多分今も散々なこんな人間でも生きてます。いや生かしてもらっているという方が本意かな。

 

人は強くなれる。けど、強くなれなくても生きていける人はいて欲しいというか…自分のようにならないで欲しい。自分のような人間にならないで欲しい。出来ればその人を傷つけるものがあって欲しく無い と思う人はいます

そういう人を守ることが出来るように、漸く闘えるようになりかけている私は闘いたいです

 

今回は結構個人的にも切実な願いと重なるところがあって、人は強くなれるけれども、勝手に付け加えさせてもらうなら誰もが強くならなければ、自分が強くあらなければ…と自責の念に駆られる必要はない ということです。

基本的には自分のキャパが許す限りで闘いましょう それがだんだん自分の意思で広げていくとか丁度いいキャパが見つかればそこにとどまる、

それでいいのではないでしょうか と私は思いました。

 

今回は以上です!

 

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