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最近は、自分をよく知ろうと努めております。
この話はあまり偉そうにはしたくないので、軽く聞き流して頂ければ、、、
私は今までも今でも、自分は正直世間とズレてるなあと感じます。
まず人の気持ちがわからないところが第一と、性別役割とか恋愛とか、いわゆる一般的な感覚(ただ、ここ近年はジェンダー系の問題について動きがより出ているかな?とは思いますが、まだまだ一般に浸透するには遠いかと)がわからないのもありますし、独自の価値観を持っていて。
つまり、こういう人間が口を開くと空気が読めない、変わった人だとなるわけです(別にそれ自体は構わないのですが、理解できない、お前は何を言っているんだ?と一蹴されてしまうことが多いので)
だから多少なりとも肩身の狭さはあります。
かといって自分の考えを今更一般的な感覚に近づけようとは全く思わないですけど笑
まあ自業自得なところもあるので、自分はマイノリティだと嘆くだけのことはしませんし、被害者ぶるつもりもありません。
生きやすくしたいだけなら一般的な感覚を覚えて自分に刷り込ませればいい、もしくは何も考えず与えられたものを素直に受け取ればいいと思いますし。
ここ数年は、いわゆる"〇〇障害"と呼ばれるもの(精神的なもの)を特徴〜原因まで色々調べています。もちろんまだまだ知らないものも沢山あるのでしょうし、今後新しい〇〇障害が発生するんでしょうけれども。
私も多分、〇〇障害と言われないいわゆる健常者ではないと思うんですよね。
色々自分自身も問題あるなとの自覚はありますし、それの原因も明確ではないですがなんとなく掴めます。
私やっぱりおかしいよな?と疑問に思う→自分に当てはまってるかな?と思った〇〇障害を調べて、ほとんどの特徴が一致して、もしかしたらそうかもと思う→原因を探る→あーもしかしてあの頃のあの体験かなと思う、ってのをここ数年探ってますね、色々と。
ただ、自分はもしかしたら〇〇障害なのかもしれない、と思うことは必ずしもマイナスではないかと私は思っています。
少なくとも、私は自分の特徴を知るのに役立ちましたね。
私は、自分が障害があるとか人としての欠陥があるとか認めたくない、とは思わなかったというか、
劣等感の塊すぎて、私やっぱおかしいよな?生きてる価値なさすぎるよな?としか思ってなかったので笑
むしろその自分がおかしい原因を知りたかったので。なんで自分はこうなってしまったのかと。
まあこの辺は自尊心や自分が持つ自分の理想の程度で人によって分かれると思いますので、
あくまでも私は の話です。
私は、きっかけははっきりと覚えていませんが。大学1年か2年の頃、まあ大学生だったので自由な時間も多く自分と向き合う時間も多い=向き合えば向き合うほど自分の欠陥を自覚して落ち込んだ
って感じだったんですが笑 この頃から自分のおかしさは実感していて、なんかの瞬間に自分はこれかもと当てはまる障害、、?なのかなあ?
まあある症状的なのをたまたま見つけて、私これじゃないか、、、!?と思った時は、
なんだろう。自分がやっと何者か、どうしてこうなったのかが少しでもわかって(当然それが私の全てではありませんが)、泣いたのは覚えてます。
当時は絶望でしたが笑 もう引き返せないというか、なんというか、、、
まあ、そりゃ障害的なものですから、特徴は結構残酷なことが書かれていたわけです。かなりきてましたね笑
ただ、大学時代には何人かの方々に大変お世話になり、死ぬことは免れました。相当な負のオーラは放っていたと思いますし、死んだ方が楽なんじゃないか、とも思っていましたよ。
結局、チキンなんで死ねなかったですけどね笑
好きな音楽があったり、支えになっていた人たちがいたりしたのもありましたが。
ここ数年はほとんど、というかもうそもそも前みたいに落ち込みすぎることはなくなりましたね。
自分のことはまだ好きではないですが、死んだ方がいいとは思わなくなりましたね。いやあまあそりゃ社会的にゴミか資産かって言われたらゴミだとは思いますけど笑笑
考え方や物事の捉え方も随分変えていけたので。
まあ、〇〇障害だとか、〇〇症とか、そうやってカテゴライズされる特徴を持っていても、
それを理由にして色々なことを諦める(理由にして甘えるなとは言っていない)のは勿体なかったりもするんじゃないかな、と思うわけです。
というか、そういうのは自分というものを捉えるためのもの、ぐらいに留めておいて、
〇〇障害があるからダメなんだ、とかじゃなくて、その特徴を自分自身が掴み、
そういうのって、〇〇障害とかってカテゴライズされるくらいなので改善策や症状を緩和させる方法は見つかると思うんです。それが必ずしも効果があるかは別になってしまいますが。
何でもかんでも、解決に向けろ、とは言えませんし、障害が言い訳になるとも思っていません。程度も人それぞれですしね。頑張れない時、頑張っているのになかなか効果があらわれなくて悔しい時もありますし。
現に私だって人の気持ちをまだまだ理解できていませんから笑
あくまでも、自分を知るための一つの手段に過ぎませんし、それが自分の全てではないということ、かなと。
ただの独り言でした。