momomo1124’s blog

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フェイロンについて⑦ フェイロンはなにゆえフェイロン編vol3

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今月追加された列伝:鉱国の翔龍と英雄の歌

に登場する、フェイロンというキャラクター(バナー右から2番目)について、私なりに解釈してみます。

 

*ここから下、列伝内のスクリーンショットを載せている為、まだ列伝をご覧になっていない方は閲覧ご注意下さい*

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人間として生きるとは、の私的結論は変わらないのですが、今回は列伝読了直後の「なんも言えねえ」、「いや私には何も言う権利がねえ」と思ったところについてです。

なんも言えねえの正体を探しに行きます。

 

制作側の意図とは私は外れた読み方をしてしまっているのかもしれませんが、勿論制作側の主旨としては大事なものを守るという行為が人間らしさであるんじゃないかという点を理解した上で、

それでもこういう見方も出来るのではないかと思っていまして。普通に制作側の意図通りに思うだけならわざわざこんな長ったらしく書く必要ないですし。なのでもはや怪文書のような文章をつらつらと書き連ねています。

 

前回のフェイロンはなにゆえフェイロン編vol2では、フェイロンが自分が感じた感覚を言葉にして発したという話をしました。

おそらく、フェイロンの直感的なものってキャラ設定的に他人の顔色を伺って、状況を読んで、気を遣って…という工程を経た上での感覚ではない気がするんです。思ったことをそのまま言ったり感じたり、要は本当に直感的なもの。

 

フェイロンだからこそいい意味で余計なものを感じずに取り入れずに、ローランとガーラーンの魂の在り処を探れたんだと思います。

急にヤバい人みたいになってますが、列伝読んだ方はなんとなくこの感覚わかってくれるのではないかと笑

しかも私は多分今急にヤバい奴になってない。もっと前からです。

 

まあそれはさておき、なんかどうにも抗えない感情ってあるじゃないですか、なんとなく他の英雄を見てても心の底から湧き出てくる感情というか、そういうのが魂と呼ばれているのではないかなと思ったりも。解釈違いの可能性もありますが笑

 

話戻って、あれからフェイロンがギルザの軍に入りドールに戻ってきたと思いきやドールは反乱を起こしていたり(この辺りはまた後で触れます)、ギルザの軍が多方向からゾラの王都に侵攻を仕掛けたり、

無事にゾラの王都を弱体化させ、色々経て束の間の平和がドールが訪れたと思いきや、シェイドがドールに手を出してフェイロン以外のドールの民をゾンビの軍勢が襲い死ぬのか、

フェイロンがシェイドの軍に加わる(=死んでゾンビになる)代わりに、シェイドはドールに手出ししないつまりドールの民は死なないで済むのか。

要はフェイロン一人が生きるか死ぬかの選択を迫られています。

 

いやもうこんなのシェイドふざけんなですよね。誰も犠牲になっていいわけない。

けどここでなかなかリアルだなと思ったのは、本当にこの段階ではこの2択以外ないんですよ。

それもここまで肥大化した権力はいくら腐っていてもなかなか倒せるものではないというか、間違いなく簡単に覆るものではない。楽から苦にわざわざ行こうと思う人の方が圧倒的に少ない。

シェイドも既得権益に必死ですし、結果何人もの英雄を殺し英雄の力を手に入れてきたんですから。

 

ゾンビは(様々な経験や書籍等や人との関わりを通して得られる)自我を失った大衆の比喩でもあるのかなと解釈しました。

数多ければそれがある種の"正しさ"になったりしますから。つまり法を今までの歴史を無視し自分ら(既得権益層)に都合よく、で、それがあたかも国民にとっても良いかのような印象操作等で捻じ曲げれば、それが"正しいこと"になってしまいますからね。

 

ここまで(シェイドにとっては)オイシイ思いしてたらそりゃシェイドとしても軽率に手放すわけないですし、簡単にころっと変わるもんじゃないんですよこういうのは。これが現実です。

 

フェイロンはいい意味で直感的なので、感情に惑わされずに現状を俯瞰し判断する能力があるとみていいと思いましたね。マジレス民の強み。

フェイロンは、反乱を通して思ったのかシェイドの気配を感じ取ったのか、ゾンビの軍勢にドールの民が明らかに敵わないというか。

ここでフェイロンがシェイドの軍に加わることを拒否すれば、シェイドは容赦なくドールの民を殺しにかかってくるし、殺すだろうと。

 

でもぶっちゃけた話、ここでフェイロンが龍になって、つまり自身が持つ圧倒的破壊力でシェイド殺せばOK、なんですよね。リンシャンも言ってましたけど。

ただ、フェイロンはもう見境なく全てを破壊するだけの力を使わない決意の方が固かったというか、もう使えないんじゃないかな。そうなれば敵味方問わず全てを壊す、シェイドもドールの民も関係なく傷つけ殺すことになるのを学んだから。

フェイロンは自分の矜持を守り抜く決意がこの時点で固まっていたって見方も出来なくはないと思います。

自分を救ってくれた学びってそう簡単に捨てられるものじゃないんですよ。むしろ捨てるくらいなら死OKってかそんな自分死んだも同じって本当になってしまうんですね。

 

だから、私はフェイロンがドールを守るために死を選んだことに対してなんも言えねえと思ったのと、序盤、フェイロンはリンシャンの言葉を素直に聞き入れるじゃないですか。

でも、

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リンシャンにここまで言われてもフェイロンは自我を貫いた(=死んでシェイドの軍に加わることを選んだ)んです。

 

安易に国のために命を捨てるのバンザーイ!って感じで、この後も続々と俺も私もとドールの民が後追いするとかなら話はまた変わりますけど、そうじゃないんですよね。色んなものがリアルだし。

いやもうこれ私にはなんも言う権利ねえですよ本当に。フェイロン自身の、自我を形成し獲得した上での選択だから。

 

でもある意味でリンシャンの重いものは分け合うよ、という台詞はフラグだと思いますね。

後々に、分け合うことになるというか。リュウイはリュウイ自身の(兵士としてドールを守る)、クァンシィはクァンシィ自身の(武器を作る)、リンシャンはリンシャン自身の(生者と死者の魂をつなぐ死霊魔術)、それぞれの頑張りがフェイロンを救うことになると思います。

まあ、現実的にフェイロンが生き返るとかそういう救いにはならないんですけど、フェイロンの思いにドールの民達の努力と懸命さで応えるのがせめてもの救いというか。

結局みんなドールを守りたいつまり見せられているだけの虚構の平和ではなく、本当の意味で平和に生きられる世界がいいっていう気持ちは一致しているはずですから。

いや本当じゃなきゃフェイロンが報われなくてただただしんどいだけなので…まだそうであってほしい、としか言えないですけど。

 

フェイロン自身も、

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こう言ってますしね。フェイロンなりの必死のヒントというか…

 

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この台詞でもう何も言えねえのトドメ刺された感じです。

初めは言葉もわからなかった人(龍)が、人との交流を通したり経験を重ねて自我を獲得してその自我を守り抜いたまま生死を全うしたって…

本当に何も言えねえ、何も言えねえ他人が口出す権利ねえ。この感覚は私も凄くわかるから。

せっかく形成されて獲得し続けた自我を失うくらいなら死ぬというか、それを失った瞬間私は私でなくなるから、もう死んだも同然なので。

同然私の感想なので私の主観ありきなので、私は人間らしさというか、人間として生きるというのは自分の矜持を守り抜くことだと思いまして。

究極行き着くところは制作側の意図と同じところなのかなと思いますが。

 

まあ結局フェイロンは死んでシェイドの軍に加わるのですが、その後のギルザのこの台詞で、

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決してフェイロンの死は美化されてるものではないと思いました。この痛みがリアル。

正直、確かにもともとはギルザが始めた統一戦線なので、ギルザが原因と言えばそう。決して綺麗事ではないけれども、ギルザの軍での学びが無かったらフェイロンは人間として生きることが出来たか、ドールの民が全員シェイドの犠牲になっていたかもしれないし、正解なんて全くわからないし、ないんだと思います。

 

そう考えると、本当に善悪もそうですけど一元的に物事は判断出来ないんです。だから常に各々がアップデートしていく、見直していく必要があるんじゃないかなとか、烏滸がましいですけど思ったりしますね。勿論それぞれのキャパは違うので強要はしませんけど

 

だから、フェイロンの在り方というか、根本的な概念を問い直すというのはそのために重要な要素であったりもするからフェイロンはこういうキャラ設定にされたのでは?と私は思っているのですが。これは流石に考え過ぎかもですけど。

 

その後は、僅かな希望を残してここでTo be continue… 次回、セントラル平原での決戦!(ギルザ軍VSシェイド軍)で終わります。

救われてくれ英雄達の魂。というか現実でも先人達が色んな魂を救ってきてくれたから今があるんじゃないのか(ものすごく抽象化してますけど、具体例が多過ぎてというか今享受できる文化や学問、娯楽など全てかと)と。私はそう思ってます

 

まあこれらのことから、英雄の歌シリーズの総括のようなものがおそらく今後来るかと思うのですが、その際に批判することにはならないだろうなと思ったんですよね。他にも色々根拠はありますけど。

 

大元に話戻すと、やっぱり人間として生きるって愛したものを守るというのも勿論要素としてはあると思うんですけど、私は自我を形成し獲得し続ける行為なのかなと捉えましたね。

ただ、具体性を持たせるなら確かに愛し守る行為がそれに当たるのかなと。結局自我を形成し獲得"し続ける"ということですから、ある種守り抜くとも言えますしね。

私の結論は抽象的過ぎるかもしれないですね笑 

 

長くなり過ぎましたが(すみません、まさか3編に渡るとは私も想定外でした…)、フェイロンはなにゆえフェイロン編は以上です。

恐ろしいことにこの後列伝自体の感想も控えているんですねえ…まだ終わらないんですよ…恐ろしいですよねえ…

 

とりあえず今回は以上です!

 

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