momomo1124’s blog

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鉱国の翔龍と英雄の歌 感想②

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今月追加された列伝:鉱国の翔龍と英雄の歌

の感想です。

 

*ここから下、列伝内のスクリーンショットを載せている為、まだ列伝をご覧になっていない方は閲覧ご注意下さい*

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の列伝で、私が着目したところはまあ沢山ありすぎたのですが、その中でも絞ってピックアップしたいと思ったところを書きます。

 

今までは、おそらく英雄の歌シリーズ(今回で5作目です)総まとめが来るんだろうなとぼんやりと予想はあったものの、どうやってまとまるのかは正直全然わからなかったのですが、今回で少しそれが見えてきつつあるように感じました。

 

やはりギルザとシェイドのゾラでの会談が肝になっていたのと、何気にスレイマンの台詞も今回はかなり核心を突いていたのではないかと思います。

 

私が今回着目したのは、

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ギルザもスレイマンも、責任の在り処をはっきりさせているところですね。

彼らはこの統一戦争を綺麗事にするつもりはないことが伝わってきたというか。

 

昨今、責任逃れのような発言や言動が多く見られると思っていまして。

でも、おそらく責任逃れをしなければならない社会なのかなとも思ったりします(私はそれを続けてるだけでは後の世に禍根を残すだけだと思いますので、はっきりとこの姿勢にはNOと言い続けますが)

 

自分の非に向き合うことはそれは苦しいです。自分のことは嫌いになるし、人に嫌な思いをさせてしまったことは消せないので申し訳なさもあるし、とにかく凹みますしただ凹むだけだと何も変わらないので改善していかなければならないです。

 

まず何で非難されてしまったのかを徹底的に考えなければならないし、その上でじゃあ今後どうすれば良いか、どうすれば繰り返さなくて済むかというところまで考えないと意味がないので。これは相手次第で大体わかるかと思いますが。

ここで納得できれば良いのですが、場合によっては濡れ衣着せられていないか、的外れなことで非難されていないか、納得いかなければ自分の考えも伝える必要がある等も検証しなくてはならないし。

まあ、色々と大変なので、手っ取り早く知りませんと責任逃れしたり、自分は悪くない!と自分の非を一切認めないのが楽ですね。何度も言いますけど基本的には人間は楽な方に流れていくものです。

 

でもギルザとスレイマンのように、自分の責任はここにあるとはっきり明示することで伝わる覚悟だったり、向き合う姿勢が見えてきたりするのかなと思います。

私は自分の責任に正面から向き合わないと何も変わっていかないと思っているので、ギルザとスレイマンの姿勢は良いなというか、本来こうやってこの点においての責任は自分にあると言えるのが(とはいえそれが人への責任押し付けになってもいけないから、そこに寄っ掛かりすぎないバランスが大事なのですが)健全な社会なのかなと思いますね。

なんというか責任逃れしなくちゃいけない社会って極めて不健全な気がするんです。他者に責任なすりつけて自分は逃れられたあーセーフだなんて、そんなことされたらされた側もおそらく繰り返しますよね?このループが非常に不健全だと思います。

稀にこうされて嫌だったから自分はそうしないって方もいらっしゃいますが、というか自分の周りはほとんどそういう人達なのですが、多分これは当たり前じゃなくて稀な方だと思っているので。

責任のなすりつけは、結局なすりつけた側は何が悪かったのかもわからない、故にどう改善したらいいのかもわからずじまいでなんの根本的な解決にもなっていないですし本人が逃れられたラッキーと思うだけで他は後に禍根を残す、あまりにも場当たり的すぎる対応だと思いますが。

 

まあそれはさておき

 

勿論、ギルザも何の目的もなく統一戦争を始めたのではありません。

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統一戦争を私は肯定も否定も出来ないなと思いながら列伝を見ています。ですがこれが大事なのではないかなと思っていて。

少なからず、犠牲(英雄の死)を生んでいるのは確かですのでこの時点で全面肯定は出来ないです。

ただ、例えばフェイロンはギルザの軍に入って力の使い方を学べたと考えるともしギルザが軍を率いていなかったら、フェイロンがギルザもシェイドも英雄達も全て吹き飛ばしてた可能性もあるわけで。

あとはこの統一戦争がなければ抑止力がないのをいいことにシェイドが暴走してカオスに到達した可能性もあるのかな。これについては逆も然りで、ギルザが統一戦争を始めなければシェイドもカオスに到達するまでの力をつけられなかった可能性もありますが。

結局何が良くて何が悪いっていうだけでは語れないんですよね。

(ただ3次元での第一次〜第二次世界大戦については流石に様々な側面から見た上で絶対NOと言わなければならないし、これこそ責任逃れしてはならないことですし、自国がしてきた罪と正面から向き合い反省する必要があると思ってますが)

 

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これらの発言も、おそらく戦争万歳賛歌ではないのかな?と思ったので、批判を書き殴ることにはならないと感じた理由ですね。

統一戦争という大々的なものとして描かれていますが、未来のために戦うのって決して彼らのような武力行使だけではないのかなとも思っています。おかしいことにはおかしいと批判するのも、抗議するのも(誹謗中傷はここでは含みません)未来に禍根を残さないためですよね。

勿論全てを一緒くたにするつもりはないですが、その点においては共通するものがあるんじゃないかなと思いました。

あとは夫々の痛みが結構リアルに描かれているので、間違いなく犠牲もあったと。ギルザもこの統一戦争を美化するつもりはないのかな、とも思ったりしました。

 

この統一戦争に対するなんとも言えなさもまたなんも言えねえのうちの一要素なのですが、ただ、シェイドにはNOを突きつけられる自分でいないといけないことは確かかもしれません。

 

今回で結構英雄の歌シリーズの核心を突いたのではないかなと思いました。彼らの姿勢からは自分も学ぶことや考えることが多くて、まあ私の場合はギルザ達ほどの影響力は全くないので別に自分一人がなんかしたってどうにもならないんですがね。

でもだからと言って何もしなくていい理由にもならないと思ってるので、やってもやんなくても変わらないなら私はやりますね。面倒臭い人になろうとも、私も自分みたいな人間が一人もいて欲しくないという思いはあるので。

 

今回はフェイロン以外にも英雄の歌シリーズの鍵となる要素が多かった気がしたので、総括がどうなるかでまた色々変わってきそうですが、楽しみに待っています。

 

今回は以上です!

 

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