鉱国の翔龍と英雄の歌 雑談④
鉱国の翔龍と英雄の歌
の雑談です。
今月の新列伝の公開日にもかかわらずまだこの列伝の話をしているという
現段階での予測でしかない且つあくまでも個人的な解釈の為、ひと個人の考えとして一歩引いてご覧頂ければと思います。
*ここから下、列伝内のスクリーンショットを載せている為、まだ列伝をご覧になっていない方は閲覧ご注意下さい*
早速ですが
・終盤のフェイロンの発言の意味について
この場面についてはどうしても今の私の解釈を残しておかなければならないと思いまして
リュウイは、フェイロンに対してなんでそんなに強いんだよ…との発言←これは、リュウイとしては彼の中で彼自身は国を守るために自身の死を選択することが出来ないのに、フェイロンは自身の死を選択する
このことがリュウイにとっての"強さ"(つまり愛する国のために究極の選択を取る覚悟があるということ)でありますが、フェイロンにとっての強さというものは実はそういうことではないと(決してリュウイの強さの定義を否定する形ではなく)暗に示しているかと思います。
(同じ男として頼むよ、はリュウイの意向を尊重して発した言葉であり、おそらくフェイロン自身は"男だから"守らなくてはならない、いうのは本意ではないかと思います)
これらのフェイロンの発言から、フェイロンにとっての"強さ"とは、生きる人間の理性や互いを人間扱いし尊重する姿勢なのではないかと思いました。
要するに、"(社会的な動物てしての)人間として生きることが出来るのが何よりの強さ"と認識しているということ。
リュウイは国のために死ぬことが出来る、自分を犠牲にすることが"強さ"だと思っているようですが、フェイロンは反対に"(社会的な動物として生きることができる)生きている人間が一番強い"と思っている。
と同時に、おそらく傷つくという概念がない・痛みを知らない自分自身(フェイロン自身)よりも、自国の窮状に苦しんできた、つまりリュウイ自身も含む自国に生きる民の痛みを感じていて、それをどうにかしようともがくリュウイの方が強いのだ、ということも同時に暗に示しているのではないかと解釈しました。
フェイロンとしては、自分以外どうでも良いということではなく、それ以外の何か(人間、ここではリュウイとしてのドール民でもクァンシィ・リンシャンなら夢中になれること等何でも)を守りたい、そのために必死になることができるが人間の強さである、
だからドールの民に対し、このような発言をしたんだと思います。
おそらく、フェイロンが自分こそが最も強いと思っていたらこんな発言は出てこないと思うのです。
この後、フェイロンは死人となりゾンビ化しシェイドの軍に加わる選択を取る、それはつまりシェイドの傀儡になることと等しいですが、
フェイロンの魂(それこそアークとフェイロンの話で話したような、抗えない血のようなものかと)まではシェイドは奪うことが出来ないことをフェイロンは察知したのではないかと解釈しました。
しかし、肉体や物理的な力はシェイドの傀儡となるため、ギルザVSシェイド戦でフェイロン自身はシェイドの軍として戦うことになる。
が、そんな私利私欲のために人を踏みにじり人の死を利用するなんて奴(つまりシェイド)に生きる人間達は負けない、とフェイロンは考えているのだと思います。勝つのは独裁ではなく国民主権、民主主義。
だからこそ、敢えて私(死人後龍ゾンビになるフェイロン)を倒して、とフェイロンは生きている人間であるドールの民に訴えたのだと思いましたね。
「努力は必ず報われる!」(←盲信するのは勝手だが実際これ大嘘だしこれを刷り込もうとするのはまるで教育を履き違えてると言わざるを得ない)
という押し付けがましさが無く、というか報われない努力なんて沢山あるわけで、なんなら報われる人の方が少ないまであるわけで
けども、努力は報われないからしたって無駄だとは決して言わず、せめて貴方達の努力は報われて欲しいと、あくまでも"願い、その努力する民達を見守るし、それを踏み躙る形で邪魔するのであればそういうのにはNOを突きつける"存在なんですよね。
フェイロン自身がドールの民の努力を報いという形で叶えるのではないが、せめてそういう人達が努力し続けられる環境は守る。話を大きくすれば社会としての、公的な基盤を真っ当に整える。フェイロンは決して理想を冷笑して無に帰すのを促してはいない。
もう、このキャラ設定が尊いんですよ。
努力は必ず報われるとも言わず、努力してもどうせ報われないとも言わない。理想的すぎず変に現実的というよりも冷笑的でもない。
これがどれだけ"優しい"ことか
フェイロンは、元は自分が人間の姿ではあるが龍の姿にもなることすらわからなかった(つまり自身を人間として認識出来ていない)故、
(また、彼が序盤人間の姿から龍の姿になり怒り暴れ回るというのは理性が備わっておらず、本能的な破壊衝動に身を任せるしか方法を知らなかったということの比喩かと解釈しました)
自分に対してもほかの誰(動物も)に対しても実直であれたのであり、その"優しさ"が彼の人間としての本質であることに誰もが納得(賛同とも言えるかもしれない)し、愛されたのだと思います。
そして何よりも
↑この台詞に集約されているかと思いました。同時にこの台詞を紐解いていくと上記のことなのかなと私は解釈しました。
何が良いって、この"わかりにくさ、よくわからない"感じが良いというか、
もう敢えてよくわからなさを感じさせるのを狙って読み手にわからない理由を探してもらおうという意図があったのではないか、という妄想をしています。
だから、私もフェイロンのようにわからない理由を探しに行ったのです。だし、こういった読み手の主体性を尊重してくれる誠実な制作側の姿勢を私は支持します。(勿論、どの列伝もこのようにしろ、こうじゃないと良くないと言いたいのではなく、私のようなニッチにも程がある、変な楽しみ方をしている人間を無き者にされなかった喜びが何よりも伝えたいことなんですよね)
もう、本当にこの列伝は噛み締めれば噛み締めるほどヤバい、ヤバすぎます
フェイロンの存在のようにこの列伝は過去の列伝含めても、読み手の主体性を最大限に尊重するというかなり異色な立ち位置にあるかと思います。
だから個人的にはおすすめ列伝という枠には入らないというか、その枠に収められない程の、というかそもそも列伝という枠に収まらないほどの何かだと思っているので…
いやほんっとこれ読んで欲しいとはめちゃくちゃ思うのですが、如何せん「わかりにくい・わからない」ことが悪いことどころか最高だと思えるか否か。
それはその人自身の判断によるので、私からは強制はし難いです。(けれども、出来ればわからないをポジティブに考えると、そこには宇宙のような空間が広がっているので楽しいということは伝えたいかも)
今回は以上です!
しかし新列伝は現段階で未読了という…また読んで何か感想があれば書きます!
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