momomo1124’s blog

好きなものなどひたすら壁打ちしています。

鉱国の翔龍と英雄の歌 雑談⑥

f:id:momomo1124:20201115222545j:image

※ここから下、人によってはネタバレとも捉えられ得る内容を記載しているため、まだ列伝をご覧になっていない方は閲覧ご注意ください※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今月の列伝は読みましたが、なんとなく今はこの話をしたい気分なので

 

私の中で、「愛国心」と聞くと、反射的にゾワっとしてしまうのですが、それはおそらく私の中での愛国心とは、「こうでなければいけない」感を強いられているような、大きな物語の成員とさせられるような、その成員とならなければ「生きている価値がない」と弾かれるような、

都合良い側面だけ(都合の悪い事実には蓋をして表面的あるいは虚構の美しさ)を取り繕った、そしてそういった思想を強制されるような、一体感たるものを求められているかのような、これらのことからなのではないか、と思いました。

 

この愛国心というワードに対する拒否感は学校教育にもなんとなく通ずるところがあると思っていて(私の中では)

私は小〜高校までの学校に対して、特に林間学校や修学旅行のような学校行事に対し私の魂が反射的に拒否しているかのような(当時はその違和感の正体がわからなかったのですが)感覚を覚えていましたが、

おそらく、画一的な、その型に嵌まらないと人間としての価値がないと言われているかのような、

"強制的な一体感"を強いられていて、その型に嵌ると無意識に自分というものが失われていく気がして、それを私の魂が反射的に拒否したのかもしれない、それは私の愛国心というワードへの拒否感と似ている気がするのです。

マジョリティ(大衆)からしたら私の方がカオスなのでしょうが、

私にとって主体性を封じ込まれるというか、何かを信じ込みそれを決して疑わない、疑う余地も生じない自分になるというのはカオスに呑まれるようなものだと思っています。

 

ただ、不思議とこの列伝ではここに出てくるほとんどのドールの民はドールという国を愛している(途中ゾラに武器を売る人も出てくるが、リュウイの怒り方で安心したところがあった)が、なぜか私の中の圧倒的拒否感が反応しなかったことに気が付きました。

ドールの民もドールを愛している、ドールを愛しているからこそ守りたいと思う、ドールのためにと、それはまさしく愛国心たるものだと思います。なのに、そのドールの民の愛国心に対してゾワっとしなかった。私は愛国心に拒否感を持っていたはずでは?と疑問に思って、改めて考えるきっかけになりました。

 

その中で自分の中で何となくこういうことなのかなと感じたことです。現段階では、ですが↓

・ドールの民の愛国心とは、ドールの民夫々が主体となって生じたものだから←ドールの民の主体性ありき、ドールの民ゆえにドールを愛さねば非国民であるみたいな思想の押し付け・刷り込みではない

・特にリュウイ、フェイロンは現実(ドールの現状)を俯瞰した上で「ドールを守る」という意思が生じているから←国を愛し守ろうとするということは、綺麗な(都合の良い)即面しか見ようとせず都合の悪い事実から目を背けることではない、と遠回しに言いたいように感じた

 

これらの理由で、私の中での愛国心拒否センサーに引っかからなかったのだと思います。

 

ちなみに先述したリュウイの怒り方に安心した、というのは、おそらくドールの民?(もしくはゾラからの刺客?この辺り詳しい言及が無かったので定かではないですが)まあとにかく反乱をきっかけにしてクァンシィの作った武器をゾラに売った人間に対して

f:id:momomo1124:20201115230511j:image

これがもしドールを裏切りやがって…っていう怒り方だと印象が変わっていたと思いますが、あくまでもクァンシィ自身の努力と言っているだけなんですよね。要するにクァンシィの努力の成果はクァンシィ自身が作り上げてきたものだという前提がある。

国(ドール)を愛する者として失格的な発言ではなく、あくまでもクァンシィの意思(主体性)を持った上で行われたクァンシィの努力の成果を掠め取るな、という意図だと私は解釈しましたが…

 

このリュウイの怒りは愛する国に対しての裏切り行為だという怒りより(勿論そういう気持ちも少なからずあったとは思いますが)、クァンシィの努力の成果が呆気なく掠め取られた悔しさ故の怒りであるように私は感じて。

これも私の拒否センサーが反応しなかった理由の一つなのかもしれないと思いました。

 

又、別記事でも言及していますがフェイロンもドールを守るために死を選ぶことを決して正当化していないし、美化させるつもりもない気がしています。

見る人によっては自己犠牲的じゃんと思われる方もいらっしゃるかと思いますが、この列伝を最初から最後まで見れば、おそらくフェイロンの選択は虚構の愛国心に取り憑かれて取ったものではないことが読み取れるかなと思いました。

 

この、みんなこうしろと刷り込まれていない、各々の主体性ありき且つ現実を俯瞰し決してご都合主義的ではない描写が私には刺さったのだと思います。胡散臭くなかった。

逆に言えることは、列伝内にもドールの民がリュウイを裏切り者だと罵る場面がありましたが、まさにそう思う人もいるであろうということです。(これも、それらを見据えた上で描かれていたのがヤバい)

その上で、この列伝は、国の政策等に反対する人に対し左翼だ、共産党だ、気に入らないなら国から出て行けと「愛国心」故に罵る人もいるが、原点に帰って"愛国心とは"、というところも突いてきているとも言えるのではないかと思いました。

私個人としてはリュウイやフェイロンの姿勢を支持しますが、この辺り色々な意見が分かれるであろうところもこの列伝の良さだと感じています。

 

私の中での愛国心というものの無意識的な拒否感を意識的にするという形で炙り出すとともに、改めて愛国心というものについて考えるきっかけになりました。やっぱりこの列伝はヤバい。カオスではなく知の扉が開かれている。

 

今月の列伝の話は気が向いたらしようかなと思っています 今回は以上です!

 

(c)BANK OF INNOVATION 該当画像の転載・配布等は禁止しております。

鉱国の翔龍と英雄の歌と食

f:id:momomo1124:20201107162139j:image

幻獣契約クリプトラクト(スマートフォンアプリゲーム)

列伝:鉱国の翔龍と英雄の歌(インストールして無料で見ることが出来ます。)

の雑談です。

 

今回は、当列伝の食を通しての描写について言及したいと思うのですが、

その前に、私がリピートしている(または是非ともしたいと思った)飲食店の紹介をシェアさせて下さい。

 

・愛知県名古屋市 「とり五鐡」

f:id:momomo1124:20201108180031j:image

 

私は名古屋在住ではないのですが、かつてライブの遠征等で名古屋にはよく行っていたので何度も行ってはいます。

初めは友達と夜ご飯どうしようかとふらふらしていて、特に事前情報としてこのお店を知ってしたわけではなく、なんとなく親子丼という結論になったのでたまたま入ったら、美味しすぎて驚きました。なんだこの奇跡の親子丼は!?!?と。

卵のトロ具合も個人的には絶妙ですし(半熟派なもので…)、とにかく美味しいです。

そこから友達とでも自分一人でも名古屋に来たら絶対行くスポットになりました。

私はいつも親子丼withお漬物味噌汁・手羽先・名古屋コーチンプリン付きのセットを頼みます。おすすめです。

 

静岡県にしかない 「さわやか」

f:id:momomo1124:20201108181229j:image

 

ここのげんこつハンバーグを食べずして死ななくて良かったと思うほど

学生時代のバイト先で知り合った静岡出身の先輩が教えてくれて、2回行きましたがさわやかのために静岡まで行くまであります。けど個人的には静岡の街の空気感はかなり好みでしたので普通に街散策もしたい。

 

店員さんが目の前でハンバーグを切って焼いてくれます。焼き加減は私はいつも店員さんにおまかせにして半レアくらいにしていますが、好みを言えば調整対応して下さるかと思います。

また、ソースはオニオンかデミグラスか、はたまた塩・黒胡椒か、奥が深いようですが、静岡出身の先輩曰く「絶対オニオン、絶対オニオンだ」とのことでしたので私はオニオンにしましたが、誰かと行ってそれぞれ他の味にしてシェアするのも良いかもしれないですね。

 

余談ですが、その先輩と静岡の小さい公園でスティックチーズケーキを食べたり、沼津にあるどんぐりというユニークな喫茶店でわいわいしたり、童心に帰ることができてとても楽しかったです。都会的な遊びだけが全てではない

ちなみに卒論にもご協力頂きまして、優しくてステキな方です。ご時世的に今は厳しいですが、また一緒に行きたいですね。もちろん他の誰かとも。

 

・東京都目黒区 「Addict au Sucre(アディクト オ シュクル)」

f:id:momomo1124:20201108182921j:image
f:id:momomo1124:20201108182925j:image

(こちらの桃パフェは2年前のものです)

 

友達から教えてもらった店です。その友達からのオススメの店はどこもリピートしたいところばかりなので、もしその子が厳選したおすすめパティスリーメディア立ち上げたら私は見まくる自信しかないです

 

私は桃が大好きで、桃の季節が来るたびに様々なカフェやパティスリー等、ひたすら桃を求める旅に出るのですが(もしアレルギーになったら割と深刻に夏という季節をどう生き延びればいいのか、かなり生きるのが困難になると思う)

ケーキも桃本体もパフェもマカロンも美味しすぎておったまげた記憶が強く残っています。

見た目も可愛くて味もしっかり美味しくて、気持ちが爆上がりするほかなかったです。

 

もちろん桃パフェ目当てで来たのですが、せっかくなのでということでケーキは確かヘーゼルナッツとかダックワーズとかなにかに惹かれて頼んだところ、こちらも美味しすぎてあ〜これはまた絶対に行きたい…!!と思いました(次はピスタチオのサントノーレを狙っています)

色々なお店に行っていますが、ここは何年経っても薄れないであろう感動を覚えました。美味しさのインパクトが強かったです。

 

ただ、イートイン席が4席と少ないのと今はご時世的にイートイン席を解放していないそうです(公式HPより)

 

・埼玉県川口市「Chant Doiseau(シャンドワゾー)」

f:id:momomo1124:20201108184846j:image

 

こちらも友達に教えてもらい、その友達のお母さんとご一緒させて頂き(この後好きなバンドのライブがあったため)行ったのですが、

上(左?かな?)のラムレーズン入りのミゼラブルというケーキが美味しすぎて悶絶していたところ、その友達のお母さんに、(私が)本当に美味しそうに食べてるから、ケーキも喜んでるよ…!と言って頂くほどのリアクション不可避な美味しさでした。

 

塩加減と意外にもスッキリした甘さが絶妙で、バター好きな身としてはバター感も大満足で、クリームも軽やかなのでまあ画像の通りケーキ2つ食べました。余裕です

これは絶品でした。こちらのお店はちょっと特殊で、ケーキを頼んでからそのケーキを持ってイートインのある近隣店舗にて食べるという形式です。

 

ライブと友達のお母さんとは初対面だったのでその思い出も含み、色んな人巻き込んでまた行きたい美味しさでしたね。

余談ですが、私はある食品加工物のアレルギー持ちなのですがここはそれが入っているケーキがほとんどなく(私にとっては珍しく選択の幅が広く)大変有り難かったです。このようなケースは稀。

アレルギー対応(どのケーキにはこれが入っていないのか、等)もしていただき感謝です。

 

 

今回は本題が別にあるのでここまでにしますが、まだまだおすすめは沢山ありますのでまた別口でシェア出来たらと思います。

 

ここからようやく本題に入ります。

 

*ここから下、列伝内のスクリーンショットを載せている為、まだ列伝をご覧になっていない方は閲覧ご注意下さい*

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9月の列伝の「黄昏の城の黙示録」でも食についての描写があったと思うのですが、今回は当列伝での描写にフォーカスします。

 

以前申し上げた通り、

話の流れやキャラ設定等詳しくは割愛しますが、フェイロンとリンシャン含むドールの民に共通する生命維持活動が「食べること」です。

 

f:id:momomo1124:20201108190905j:image
f:id:momomo1124:20201108190910j:image

私は自炊派且つ一人暮らしなので普段はとりあえず生きてるからなんか食べなきゃな〜という気持ちで食べ物を食べている側面が強いです。

基本好きなものを作って食べてはいますが、美味しいといえば美味しいんですが誰かと食べるご飯というものは美味しさの質が異なるかなと思いました。

 

で、普段誰かと会う時にご飯行こうとか飲みに行こうよっていう誘い誘われ方をするので、基本的に誰かと会うというのは食を通して時間を共有すると言った意味合いであることが多いなと思いました。

また、目的が食で、あれ美味しそう(美味しかった)から食べに行こうよ、と食を通して喜びとかの感情を共有したい、というのもありますね。

確かに食は人とのコミュニケーションツールとして機能してるなと思いました。

特に今回は、フェイロンとドールの民の共通する生命維持活動の原点が食だったからこそ考えさせられるものがあるなと。

 

フェイロンとしては、肉まん自体が美味しかったというよりも、みんなで食べたから(人との思い出とか、共有したこと・感情を含めて)美味しかったということなのかなと解釈しました。

 

もちろんその食べ物自体が美味しいというのもあるのですが、ご飯行こうと誘ったり誘われたり、人とシェアしたくなるのは感情を共有したいとか、好きなものを共有したいとか。そういう感情も含まれていて、

また、それも後々に各々に思い出として残る。決していいものばかりとは限りませんが。

食は人間を人間たらしめる重要なコミュニケーションツールであるということを伝えたいのかなと解釈しました。

食は"食べる"だけのものではなく、人との関係を育むものにもなり得たり、少し発展させればどんな食べ物を食べるか選択することもその人の人となりを示したりする場合もありますね。

 

この描写の良いところは、リンシャンが"作ってくれた"肉まんが、じゃなくてリンシャンが"くれた"肉まんが、というところと、

フェイロンのキャラ設定的にみんなで食べたご飯が1番美味しかったよ、は純度120%のただの感想であるというところですね。

 

"リンシャンが作ってくれた"という描写に限定してしまうと、誰かの手作りの食べ物こそが、というところに焦点がいってしまう可能性がありますし、

みんなで食べたご飯が1番美味しかったよ、というのはフェイロンのキャラ設定的に(例えば家族という逃れられない集合体で)食卓を囲むことが1番だ!みたいな強制的な思想押し付け感がない。

私もそういうスタンスでブログをやっていますが、"あくまでもフェイロンの純粋な感想"なんですよね。

まあこれも私のただの感想なのですが(人によって感じ方はそれぞれなので)

 

当列伝のヤバさって、本当にどこまでも配慮された言葉の選び方や描写にもあるんです。フェイロンのキャラ設定もですが。

 

私的なおすすめというのは、基本的に初めてクリプトラクトの列伝を読むのですが多過ぎてどれがいいのかわかりません という方を想定していますので、初読のインパクトを重視しているのですが(1回読み終わった段階で良かったとか感動したとか何か残るものがあるかどうか)

この列伝は初読のインパクトよりも何度も見返すとヤバさがどんどんわかってくる別次元のものだと思っています。

あと、"感動させられる"感がないのもまたヤバいんですよ。これがクリプトラクトとしては異色であるがそれが良いというか、ヤバい、とにかくヤバい、問いの投げかけ方が凄すぎる。

やはり列伝という枠には収まりきらない何かだと思っています。

 

流石にそろそろ新列伝に着手したいと思います…

 

(c)BANK OF INNOVATION 該当画像の転載・配布等は禁止しております。

鉱国の翔龍と英雄の歌 雑談⑤

f:id:momomo1124:20201107123418j:image

鉱国の翔龍と英雄の歌

の雑談です。

 

現段階での予測でしかない且つあくまでも個人的な解釈の為、ひと個人の考えとして一歩引いてご覧頂ければと思います。

 

*ここから下、列伝内のスクリーンショットを載せている為、まだ列伝をご覧になっていない方は閲覧ご注意下さい*

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回は、

・死霊術とは

f:id:momomo1124:20201107123703j:image

私は前回までの英雄の歌シリーズまでは、死霊術はシェイドが英雄を死人にしゾンビ加工する術だと思っていました。(つまり、シェイドが欲しいのは英雄の物理的な破壊力だけ。英雄はかつてギルザの軍に入っていたので、勿論そこでシェイドが死人となって私の仲間になってくれと言っても英雄達は素直にそれに了承するわけがない。シェイド自身もそれはわかっている。

※しかしベルモントは例外

だからシェイドが英雄の力を手に入れるためには英雄を殺すしかない。全てはシェイドがカオスへ到達するため)

 

ただ、本来の死霊術の目的はどうやら違くて、シェイドは死霊術を悪用しているようでした。

f:id:momomo1124:20201107123658j:image

もとは死霊術はリンシャンの両親が研究していたものであるが、シェイドがその術の成果だけを持っていきリンシャンの両親を殺したという。

で、その殺された両親に会う(死霊術を使い、お別れや生前に言えなかった言葉を伝えるため)ためにリンシャンは死霊術を研究しているといった状況なようですね。

 

シェイドとしてはなぜリンシャンの両親を殺したのか。

というのも、戦争というのは死者が出るが、それは死霊術を悪用しているシェイドにとって都合が良く、歓迎するものです。

シェイドはおそらく死霊術を(悪い意味で)これだ!と思ったのでしょうね。自身の目標達成のためのひと手段になると。

なぜならシェイドにとっては利用できる死人が増える→ゾンビを増やし、戦力を増幅させカオスへの到達というシェイドの目的に皮肉にも寄与することになるからですね。

 

しかしリンシャンの両親の死霊術の目的は、リンシャンの言うようにシェイドとは違うものであるし、シェイドとしてはそれは邪魔なものなわけです。シェイドが欲しいのは肉体と力だけだから。

 

ゾラの侵略で犠牲になった人々は、本来死ぬ必要がなかった、死者が出るという意の犠牲を出して欲しくないから、もし生きていたら勿論犠牲が出ることに反対しますよね。

f:id:momomo1124:20201107125603j:image
f:id:momomo1124:20201107125557j:image

↑(リュウイ達は7年前のゾラの侵略で両親を亡くしています)のリュウイの台詞の通り、で、リュウイは生きている人間であるから、シェイドにとっては"邪魔"な訳です。

リュウイ達も、シェイドが僕がカオスへ到達するために君たちには死んでもらいたいんだ!お願い死んで!って言ってもふざけんなよってなるのは目に見えてますよね。

 

つまり戦争をしたい側(武器の需要は高まり武器を売れば儲かるし、戦いは国民に任せて勝ってもらえれば植民地を増やせるのでその分奴隷は増え、権力者はホクホク)にとっては、リュウイ達は都合が悪いから早く死んでもらいたいわけですね。

彼彼女らを自分らにとって都合良く動いてもらうためのモノとしてしか見ていないというか、シェイドにとって人間ってそういう存在でしかないんですよね。

 

リュウイが反乱を止めたいというのは、ゾラからの扱いに怒るな、黙ってゾラに従っていろというドールの民の怒りの声を封じるのが目的な訳ではなく、とにかく無駄な犠牲、つまり死ななくてよかったはずの死者を出すなということで。

 

この辺りは社会運動のやり方を考えるきっかけになりそうですね。とはいっても、シェイドはここで止まらない現実もあり、社会運動というものは戦いの道のりは長いものだと捉えることが出来るかと思います。

しかしそこで、気に入らない奴を殺すということで解決をするわけにもいかないし、同時に所謂権力者(既得権益層)もそんなことしていいはずないんですけどね……社会的地位で命の価値って変わるらしいんですよね……

 

話戻って、リンシャンが生きて死霊術を研究することはシェイドにとって都合が悪いのですが、シェイドにも落ち度があることが判明します(と私は解釈しましたが)

f:id:momomo1124:20201107131510j:image

フェイロンも私の魂に呼びかけて欲しい、と言っていた通り、シェイドは肉体と力は支配できてもその人間の魂、血として通っているもの(フェイロンが龍と人間の混"血"児という設定もおそらくこの辺りに関わってくるかと)までは支配出来ないであろうことが示唆されているのです。

これが英雄の歌シリーズの核となっているのではないかと思いました。

 

だから、リンシャンが本来の死霊術を使い、殺された英雄達の魂に働きかけて、彼らが人間として生きていた頃の魂を呼び戻して物理的破壊力を行使し死者を出すことを止められる、

そして死者を出さないということは結果的にシェイドの目標であるカオスへの到達を阻止出来てシェイドも倒せる…かもしれない!

…というところで終わるので、あ、これTo be continue案件だと私は思ったわけです。だし、過去の英雄達が出てくる。それは過去の英雄の歌列伝を読まなければわからないので、単体ではおすすめはしないと言っています。

 

今更ですが、カオスは無秩序な世界だと解釈しています。法や倫理等が存在せず、それこそ2000年前の天使と魔族に人間たちが虐げられていた、人間が人間らしく、そもそも人間が生きることすら困難な世界なのかなと。(個人的な解釈です)

 

みんながみんなシェイドのようになるとマズいよっていうのをこの列伝で示してくれているのかなと。

この話はキリがないので詳しいことは割愛しますが、自分さえ良ければ良い精神は結果矛盾しているというか回り巡って自分の首を絞めることになると私は思っています。

 

無事に英雄達の魂が救われると良いのですが…どうなることか。続報を待ちましょう。

 

今回は以上です!(いい加減新列伝を読め)

 

(c)BANK OF INNOVATION 該当画像の転載・配布等は禁止しております。

鉱国の翔龍と英雄の歌 雑談④

f:id:momomo1124:20201106232110j:image

鉱国の翔龍と英雄の歌

の雑談です。

 

今月の新列伝の公開日にもかかわらずまだこの列伝の話をしているという

 

現段階での予測でしかない且つあくまでも個人的な解釈の為、ひと個人の考えとして一歩引いてご覧頂ければと思います。

 

*ここから下、列伝内のスクリーンショットを載せている為、まだ列伝をご覧になっていない方は閲覧ご注意下さい*

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

早速ですが

・終盤のフェイロンの発言の意味について

f:id:momomo1124:20201106233238j:image
f:id:momomo1124:20201106233234j:image

この場面についてはどうしても今の私の解釈を残しておかなければならないと思いまして

 

リュウイは、フェイロンに対してなんでそんなに強いんだよ…との発言←これは、リュウイとしては彼の中で彼自身は国を守るために自身の死を選択することが出来ないのに、フェイロンは自身の死を選択する

このことがリュウイにとっての"強さ"(つまり愛する国のために究極の選択を取る覚悟があるということ)でありますが、フェイロンにとっての強さというものは実はそういうことではないと(決してリュウイの強さの定義を否定する形ではなく)暗に示しているかと思います。

 

f:id:momomo1124:20201106233838j:image

(同じ男として頼むよ、はリュウイの意向を尊重して発した言葉であり、おそらくフェイロン自身は"男だから"守らなくてはならない、いうのは本意ではないかと思います)
f:id:momomo1124:20201106233833j:imagef:id:momomo1124:20201106233824j:image
f:id:momomo1124:20201106233828j:image

これらのフェイロンの発言から、フェイロンにとっての"強さ"とは、生きる人間の理性や互いを人間扱いし尊重する姿勢なのではないかと思いました。

要するに、"(社会的な動物てしての)人間として生きることが出来るのが何よりの強さ"と認識しているということ。

 

リュウイは国のために死ぬことが出来る、自分を犠牲にすることが"強さ"だと思っているようですが、フェイロンは反対に"(社会的な動物として生きることができる)生きている人間が一番強い"と思っている。

と同時に、おそらく傷つくという概念がない・痛みを知らない自分自身(フェイロン自身)よりも、自国の窮状に苦しんできた、つまりリュウイ自身も含む自国に生きる民の痛みを感じていて、それをどうにかしようともがくリュウイの方が強いのだ、ということも同時に暗に示しているのではないかと解釈しました。

 

フェイロンとしては、自分以外どうでも良いということではなく、それ以外の何か(人間、ここではリュウイとしてのドール民でもクァンシィ・リンシャンなら夢中になれること等何でも)を守りたい、そのために必死になることができるが人間の強さである、

だからドールの民に対し、このような発言をしたんだと思います。

おそらく、フェイロンが自分こそが最も強いと思っていたらこんな発言は出てこないと思うのです。

 

この後、フェイロンは死人となりゾンビ化しシェイドの軍に加わる選択を取る、それはつまりシェイドの傀儡になることと等しいですが、

フェイロンの魂(それこそアークとフェイロンの話で話したような、抗えない血のようなものかと)まではシェイドは奪うことが出来ないことをフェイロンは察知したのではないかと解釈しました。

 

しかし、肉体や物理的な力はシェイドの傀儡となるため、ギルザVSシェイド戦でフェイロン自身はシェイドの軍として戦うことになる。

が、そんな私利私欲のために人を踏みにじり人の死を利用するなんて奴(つまりシェイド)に生きる人間達は負けない、とフェイロンは考えているのだと思います。勝つのは独裁ではなく国民主権、民主主義。

だからこそ、敢えて私(死人後龍ゾンビになるフェイロン)を倒して、とフェイロンは生きている人間であるドールの民に訴えたのだと思いましたね。

 

いや本当にフェイロン尊いのって、

「努力は必ず報われる!」(←盲信するのは勝手だが実際これ大嘘だしこれを刷り込もうとするのはまるで教育を履き違えてると言わざるを得ない)

という押し付けがましさが無く、というか報われない努力なんて沢山あるわけで、なんなら報われる人の方が少ないまであるわけで

けども、努力は報われないからしたって無駄だとは決して言わず、せめて貴方達の努力は報われて欲しいと、あくまでも"願い、その努力する民達を見守るし、それを踏み躙る形で邪魔するのであればそういうのにはNOを突きつける"存在なんですよね。

フェイロン自身がドールの民の努力を報いという形で叶えるのではないが、せめてそういう人達が努力し続けられる環境は守る。話を大きくすれば社会としての、公的な基盤を真っ当に整える。フェイロンは決して理想を冷笑して無に帰すのを促してはいない。

 

もう、このキャラ設定が尊いんですよ。

努力は必ず報われるとも言わず、努力してもどうせ報われないとも言わない。理想的すぎず変に現実的というよりも冷笑的でもない。

これがどれだけ"優しい"ことか

 

フェイロンは、元は自分が人間の姿ではあるが龍の姿にもなることすらわからなかった(つまり自身を人間として認識出来ていない)故、

(また、彼が序盤人間の姿から龍の姿になり怒り暴れ回るというのは理性が備わっておらず、本能的な破壊衝動に身を任せるしか方法を知らなかったということの比喩かと解釈しました)

自分に対してもほかの誰(動物も)に対しても実直であれたのであり、その"優しさ"が彼の人間としての本質であることに誰もが納得(賛同とも言えるかもしれない)し、愛されたのだと思います。

 

そして何よりも

f:id:momomo1124:20201107003148j:image

↑この台詞に集約されているかと思いました。同時にこの台詞を紐解いていくと上記のことなのかなと私は解釈しました。

 

何が良いって、この"わかりにくさ、よくわからない"感じが良いというか、

もう敢えてよくわからなさを感じさせるのを狙って読み手にわからない理由を探してもらおうという意図があったのではないか、という妄想をしています。

だから、私もフェイロンのようにわからない理由を探しに行ったのです。だし、こういった読み手の主体性を尊重してくれる誠実な制作側の姿勢を私は支持します。(勿論、どの列伝もこのようにしろ、こうじゃないと良くないと言いたいのではなく、私のようなニッチにも程がある、変な楽しみ方をしている人間を無き者にされなかった喜びが何よりも伝えたいことなんですよね)

 

もう、本当にこの列伝は噛み締めれば噛み締めるほどヤバい、ヤバすぎます

フェイロンの存在のようにこの列伝は過去の列伝含めても、読み手の主体性を最大限に尊重するというかなり異色な立ち位置にあるかと思います。

だから個人的にはおすすめ列伝という枠には入らないというか、その枠に収められない程の、というかそもそも列伝という枠に収まらないほどの何かだと思っているので…

 

いやほんっとこれ読んで欲しいとはめちゃくちゃ思うのですが、如何せん「わかりにくい・わからない」ことが悪いことどころか最高だと思えるか否か。

それはその人自身の判断によるので、私からは強制はし難いです。(けれども、出来ればわからないをポジティブに考えると、そこには宇宙のような空間が広がっているので楽しいということは伝えたいかも)

 

今回は以上です!

しかし新列伝は現段階で未読了という…また読んで何か感想があれば書きます!

 

(c)BANK OF INNOVATION 該当画像の転載・配布等は禁止しております。

鉱国の翔龍と英雄の歌 雑談③

f:id:momomo1124:20201105091239j:image

今月追加された列伝:鉱国の翔龍と英雄の歌

の雑談です。

 

今回は、今月の列伝が私が思う程あまり話題になっていなかったようである(勿論凄く良かった!という方もいらっしゃると思いますが)

つまり周囲と自分の温度差についての個人的な分析をしたいと思います。

※あくまでも個人的に思ったことにすぎないので、私対私以外の全員の人という大きな主語で括っている訳ではないです。単純に自分と周りに温度差があったのかなと感じた理由の個人的な解釈です。

 

早速ですが

①とにかく「よくわからん」という人が多かったんだと思う

 

この理由は変な人(フェイロンサイド)という立場を自覚している側だからこそ、そしてなぜ自分が変な人なのかを自分なりに分析して生きているからこそこう言えるのであって

 

普段、自分が当たり前に人間であるということは人間にとって無意識ですし。何度も書いてますがわざわざ自分は人間なのか?と疑う人間なんて圧倒的に少ないです。

あと、会話なんて普通に話すだけじゃん、と思う方が圧倒的多数だと思いますし、

私のフェイロンの分析に対して考えすぎw生きづらそうwと思うその感覚が"一般的"です。つまり圧倒的多数側、大衆側です。

また、フェイロンの様々な所謂空気を読めない、会話が噛み合っていないと言われるであろう発言の数々から、"フェイロンは変な人"以外の感想がない、無意識的にこういう人は変な人であるという概念が刷り込まれているのが一般的だと思います。

 

だから私が騒ぎまくっているのとは裏腹に反響が薄かったのではないかと思っています。ストーリーの良し悪しというよりは、単純に???(よくわからない)と思った方が多かったのではないか。

ソーシャルゲームのストーリーですので、よくわからん、つまんね〜で済ましてもなんの問題もないわけです。

あと、1回つまらんと思ったものは、おそらく大半の人は時間使ってまで見返すことはないと思います。

 

おそらく、一般的にはフェイロンに対してなんでこんな簡単なことさえわからないんだこいつは?頭おかしいのでは?人間というか原始人でしょ 以上

で、終わりなんです。だし、別に考えなくても生きていけますし。

だから、フェイロンの、わからないからその理由を探してくる、という台詞の意味もわからないというか、この台詞がフェイロンにとっていかに大事な問いかということが認識出来ない。

 

そりゃ、よくわからん、つまんね ってなる

 

だし、それを非難するつもりは無いというか、むしろ変な人サイドで生きるのは犠牲が多すぎるのでおすすめは出来ません。

こんな人間になるとなんとか人間の姿に擬態し社会に紛れ込むので精一杯で、どれほど自分が頑張ったとしても、それはスタート地点の200km後ろくらいから必死にスタートラインに向かっているだけにすぎず、

すでにスタートラインに立っている人はもうどんどん先に進んでるから

(でも、そんなのでも仲良くしてくれる最高な人間と出会えたりもするのでそこはラッキーだし、自分がラッキーで生きてることを自覚できるのはだいぶラッキー!)

 

次に、

②題材も描写もかなりリアルだったため、多分ソーシャルゲーム好きの中心となる層にはウケなかった

 

ソーシャルゲームをやっている人は、おそらく大半の方々が"ゲームが好き"(クリプトラクトもストーリーより攻略やキャラ性能等ゲーム性やガチャ等の要素方が圧倒的に需要があるかと)でやっていて、且つ、ゲームのストーリーにリアリティは求めておらず(さほど重視されてないどころか必要されていないまである)、

むしろゲームでくらいは癒しだったり難しいことは考えたくないと圧倒的ファンタジーを好む方が結構な割合を占めているからなのではないかと思いました。

 

フェイロンの守りたいものが民主主義的なのでわかり辛かった

 

今までの英雄の歌シリーズは、もちろんこれだけではなく読めばもう少し複雑な要素があるのですが、中心として描かれていたであろうものをピックアップします。

ガーラーン・テリオス?(正直あの列伝はよくわからなかったので、多分、ですが)←動物、ペットとの愛(動物を飼ったことがあればガーラーンの気持ちはわかりやすいかなと…この解釈で合ってるか自信はない)

あと一応セルジュクとも師弟関係的なものだったのですかね?多分ですけど…

ローラン・テフレア←戦友的なもの(戦友は仕事や部活等多くの人が共感しやすい)

トリュファイナ・イスナ(と、イスナ・テフレア?)←姉妹の愛や女性同士のときめき感情等、こちらも共感する人の幅は広いかと

フアナ・ベルモント←わかりやすい恋愛感情(生きている間には結ばれないが)

 

一方で

フェイロン・ドールの民←民主主義

 

確かにわかりにくい。まず、民主主義の実現は共感を求めることが目的ではないと思っているので。各々の努力が成すもので、概念的なもの。

フェイロンが特定の誰かとどうのこうのという描写がないため、これがわかりにくさの一要因ともなったのかなと思っています。

もしかしたらフェイロンの国への愛に共感したという方もいらっしゃるかと思いますが、おそらくあくまでもフェイロンはドールの民の努力にこそ応えたのであって、

とりあえず出身国だから自国大好きという理由ではなく(実際フェイロンはドール出身ではなくドールの人間に"なった"ので)、その国の人を愛した上でドールを愛したと思うので

とりあえずここではドールは民主主義の体現だと解釈しておきます。

 

④やっぱり私が"変な人間"だから

 

多分これに帰結しますし、列伝を見て確信しました。やはり私は"変な人間"

 

だからこそ心をぶち抜いて脳みそを揺さぶられたところもありますし、変な人間として生きていかなければならないが故に目を背けられない、考えなければ生きていけないです。

大袈裟な、と思う方もいらっしゃるかと思うのですが、とにかく大衆に対しての疑問が湧きすぎるんです。なんでそんなことまで不思議に思うの?って言われたら逆に私が聞きたい。

こういう人間は、何あの変な人…でコミュニティから排除されるのが基本中の基本です。無き者にされるもしくは厄介者として排除されます。これが現実です。

 

 

で も

私はこの列伝の"ヤバさ"を伝えたいですし、変な人間だからこその視点を活かしたいと思いました。だからわざわざネット上に感想や解釈等を公開しました。

 

需要なんてないのは重々承知の上ですが、むしろ需要の有無という話ではなく(上記の通り、変な人間は基本的には排除され無き者にされるのです)、需要なんてないのを知っているがそれでも、という思いです。

 

この作品を制作側の書き終わったー!という満足で終わらせてはならない

 

というか、この作品は制作側の自慰行為・自己顕示が目的なのではない、

必死に受け手に信念と誠実さを伝えようとしている

 

こんなにも読み手に対し伝えたいことが沢山あるんだという圧を感じる作品に対し

この魂を拾わずにいられる訳がないというか見過ごしてはならないという謎の使命感に駆り立てられました。

 

私ももう少し簡潔に上手く説明出来れば良かったのですが、特に金銭が発生していない且つ企業とは全くの無関係ですので(完全に個人の趣味でやっています)

この辺りはプロの作品批評家、レビューのライター専門の方々がもっと上手くまとめてくれるかと思います←

まあというか究極、この列伝がまとめてくれた(ストーリーとして昇華してくれた)感じですね。

 

私としてはただひたすら、そういう見方があるのか〜とか、自分の解釈が絶対正しいとは思っていないどころか、

あなたはそう言うけど自分はこういう理由でそうは思わなかった、という意見が生まれるのも素晴らしいことというか、

私はそういうのが人とコミュニケーションを取る楽しさだと思っています。人と違うから楽しい。

おそらく私も制作側の意図とはズレた見方をしている可能性は高いと思いますが、だから人間って面白いんじゃないかなと思っています。

 

前から何度も言っていますが、私もこの列伝のように誰かの脳みそ刺激装置になりたいです。それでその人自身の人生が良くなったり、少しでも生きやすくなったり、

なによりも私のような非生産的無駄を煮詰めに煮詰めたアンハッピーセット(産まれてきたの残念すぎ!)みたいな人間でも生きているという真実があります

 

とりあえず、何かしらの形でこの列伝に限らず英雄の歌シリーズの隠された魅力を公式として予算かけて(ネタバレ含む個人のブログでは限度がある為)広く伝えて欲しいとは思っています。

それくらい大事なメッセージが込められすぎているので、制作側の魂が救われて欲しいです。

 

とかなんとか言っているうちに、明日には新列伝が来ますね。

私の推し列伝関連の話なようですので、楽しみです。内容によってはまた脳みそ爆破されるのかな…笑

 

今回は以上です!

 

(c)BANK OF INNOVATION 該当画像の転載・配布等は禁止しております。

鉱国の翔龍と英雄の歌 雑談②

f:id:momomo1124:20201103223248j:image

今月追加された列伝:鉱国の翔龍と英雄の歌

の雑談です。

 

いやあ…フェイロンのあのキャラの描かれ方は私にはグサグサ刺さりました。色んな意味で。初めのフェイロンは自分でもあり、優しさと最期までのフェイロンは自分の尊敬する人でもあって、まさかロン族とも人生がリンクすることになるとは…

やっぱり特別好きになるものってなんかあるんでしょうか…

 

*ここから下、列伝内のスクリーンショットを載せている為、まだ列伝をご覧になっていない方は閲覧ご注意下さい*

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冒頭の通り早速話し始めますけど、フェイロンの序盤のマジレス加減、あれ本当に私にしか見えなくて…笑

え、畑仕事しててそこで急に知らない人からお前、ここで何やってる?ってガンつけられたら畑仕事やってます。って答え……ない!?え!?そういう意味じゃない!?

逆にそこでリュウイ驚くの!?って思ってしまいました…勿論自覚ありきで生きてきましたがやはり私も変な人枠のようです。

 

え、しかも野菜の素晴らしさマジレスしない…!?野菜って素晴らしくない…!?私将来的に野菜と米作れるようになりたいんですが…

f:id:momomo1124:20201103225109j:image

こんなこと言われたら私は秒でこの人素敵だなあって思うんですが…リュウイは思わぬ返答に調子狂ってしまったそうなので、やはり一般的な回答ではなさそうですね。

 

あと、ここも…(おそらくフェイロンとしては、なぜドールの民が何かにそんな必死になって夢中になっているのかを純粋に疑問に思っただけで、嫌味を言った訳ではない、ガチ質問)

f:id:momomo1124:20201103230707j:image
f:id:momomo1124:20201103230703j:image

クァンシィとしては、勿論好きで自分らの成果がゾラに持っていかれてる訳ではないので、このフェイロンの質問が嫌味に聞こえてしまうんですよね。

 

本当に私も思ったこと、わからないことを素直に聞いてしまうところがあるので…

ただ、これは言い訳してはいけないと思っています。自分が不勉強であることを自覚して様々な勉強をしないと、誰かにとっての"失礼"に当たってしまうことがあるんですよね。あと、一般的にタブーだとされていることに該当する可能性がある。

私は多分これからもこういうことをやらかして失敗してまたやらかして、の繰り返しで生きているのですが、せめてやらかす回数を減らしたいという思いで生きています。

 

私はここで完全に自分はフェイロン側の人間だと理解したので、やっぱりおかしい人扱いされるよなあって。まあでもそんなリアルなところが良かったんですが。

リュウイやクァンシィみたいな人達が一般的なんだろうなと思いますし。

やっぱり私も所謂変な人間なんだな、と改めて自覚するいい機会でした。

 

で、私もこの台詞の重要さを理解出来るようになったのはここ数年の話でして

f:id:momomo1124:20201104214834j:image
f:id:momomo1124:20201104214838j:image

レイマン先生の仰る通り、自分が傷つくことに興味がないというのは割と危険だなと。

というのも、自分が傷つく(嫌な思いをする、悲しい思いをする、でも)ことで"傷つく"ということがどれほど痛ましいか理解出来るというか。

勿論、私が傷つくことは誰かにとっては全く傷つかないことでもあると思うのですが、傷つくという体験をしているか否かで他者への対応も他者に対しての姿勢も随分変わってくるかと思うんです。

 

私はかつて自分が色々な経験をして、自分が傷ついていたことに全く気付いてなかったんですよね。

傷ついているというより、どうやら自分は"おかしい、変な"人間であるようなのだが、その正体がわからなくて苦しかったという感じ。もう何もかもわかっていなかったのです。

 

けど、ある日、尊敬する教授に〇〇さん(私)は身体中に包丁が刺さっているのに無理やり歩こうとしているように見える、と言われて、そこで初めてどうやら自分は傷ついていたのであろうことを知って。やっぱり自分一人じゃ自分のことなんて全然わからないんだなと思いました。

同時にこの時に他者を通して自分が作られていくっていう言葉の意味がわかった感じでしたね。スレイマン先生のように、心配の種であると"指摘"してくれる人がいないと、気付けないんですよ。

ただ、フェイロンは最後まで自分が"傷つく"という概念すらないまま死を選択したように見えましたが。この辺りはオウロンのその後で上手く回収して欲しいなという気持ちはありますが果たして。

 

それはさておき、自分が傷ついていることを自覚出来なければ、他者の痛みなど想像出来るはずもない。というか根本的に痛みというものがどういうものかわかっていないから。

つまり、これも一部にすぎませんが、これを言ったらこの人は傷つくかもしれないという事前想定が出来ない、予防することも出来ない。

この人はこういうことに対して嫌がるからこういうことはしないようにしよう、という学ぶ姿勢を取れない、他者を尊重するという意識がない。

痛みというものを自身が体感しているか否かで他者への姿勢って随分変わるんですよね。あくまでも私の経験則でしかないですけど…(まあ、同時に悪用して他者にも同じ痛みを味わわせてやろうという手段も取れるようになりますが)

 

だから、フェイロンのように自分は無意識で言ったことが相手にとっては嫌味に聞こえていたりしてしまうんですよね。

でも、フェイロンも誰かをわざと傷つけたくて言ってるつもりはない。でも、悪気が無ければ良いじゃんという話でもない。相手が傷ついたりしたこと自体は相手自身に痛みとして残るのだから。

このような齟齬が他者との間に軋轢を生む原因になります。この辺りは本当に客観的に自分を見ているようでした。

 

あとは、フェイロンの純粋さがベルモントの琴線に触れてしまってベルモントの本音が出たんだろうなって場面もなかなかしんどかったです。あの場面はどっちの気持ちも想像できるというか、なぜその発言をするに至ったかがわかるからこそ。

だし、過去に私もそういうことがありました。その時はえ、なんでこの人こんなに怒ってるんだと思いましたけど、本当に愛は人によりけりですが人を激しく動かすんですよね。

こういうのも、相手の痛みを想像して敢えて何も声を掛けない、安易にわかる的なことを言わない等、相手を怒らせないための防止策を取らなければいけないのです。

(何かを愛すことは素晴らしいことですが、正直個人的にはもうわざわざその人と連絡取りたい、また会いたい等とは一切思いません…笑 それでもシェイドを倒さなければならない、一緒に戦おうと声を掛けたフェイロン優しすぎる〜〜

個人的にはベルモントみたいな人に対してはほっとくか無言でティッシュ差し出す程度に留めておきたいですね、ああいうタイプの人間には下手に慰めようとしない方がいい)

 

ただ、ベルモント。あの発言は人種差別につながると思いましたよ。こういうのが"差別"というものだと私は思っていて、

いくら愛故に怒りに震えたんだとしても、私は断固として貴方のあの人種差別的な発言に関してはNOを突きつけますし、オスティナさんに加勢します。(オスティナさんがベルモントに一発ぶち込んだ描写がちゃんと描かれていた、つまり差別的発言にNOを突きつけていたのはとても良かったです)

 

あ、私はベルモントの存在や人格を丸ごと否定しているのではなく、差別的発言に対してNOと言っているだけです。

このあたり混合されるとベルモント自体を否定してるかのように捉えられてしまいますが、"その発言に対して"NOと言っているだけです。決して全てを否定しているわけではない。

このあたりも、教授や尊敬する方々から教えてもらいました。指導するという意味で、導くためにそれは違くてこういうことだと教えるが、別にそれは私の人格ごと否定しているわけではないと。(意外とここ見過ごされがちで、罵倒や誹謗中傷は人格否定ですが、"指摘"されること、真っ当に教育されることはそれらとは全くの別物!ここは自分での判断軸で見極められるようになると随分生きやすくなります!)

 

で、ここからがもうフェイロンというキャラを紐解くたびに心にきたのですが、最終的にフェイロンの在り方と、自分が人間としてこうありたいと思った方の在り方が一致してて…で、私もそこを目指してるんですよ。

もう、フェイロンはリアルな自分であり目指したい自分の姿であり、もろ自分の人生にリンクするキャラクターがフェイロン(ロン族)だったのが……これは運命なのか……(いつもの)

オウロンはリアルな自分とは程遠い強さと賢さがあるひたすら憧れ且つ目標の人で、フェイロンはリアルな自分でもあり最終的に目指したい人でもあって……

あ〜〜もうロン族よ〜〜〜〜〜〜貴方達に出会えて良かったやっぱロン族は最高、最高なんだ……(尊さを前にして唐突に語彙力が消えるやつ)

 

フェイロンの何が尊いかって、フェイロンはみんなの必死を守るのが望みという、人間が人間として生きる、それぞれの好きなことに夢中になれる等個人の人生の満足度を高める、つまり人間(自分)として生を全うし後悔なく死を迎えられますようにという願いでありまさに希望の象徴

 

私は理想論をあり得ないと冷笑し何もしないよりも現実を見据えた上で理想論を実現させようと自分が出来ることはする人間でありたい

 

英雄の歌シリーズの英雄は其々愛の形(守りたいものの対象)が異なっていたと思うのですが、個人的に一番共感した且つ自分の目指す先が一致したのが、フェイロンのみんなの必死を守る、でした。

個人個人が夫々の人生の満足度高く生を全うする、他者を踏んづける形で他者の人生の邪魔をしない 私としてもそれを望んでいます。

まあ要するに、ひと要因にすぎませんけど社会問題の構造から理解し現実的にどうアプローチできるかを探るというか、勿論完全な解決的なものはないので、いかにお互いにとって居心地よく生きるか(いかに他者と共生していくか)、私が社会問題を先ずは構造から理解して、問題の本質を捉えようとする理由もそういうことです。

こういうのは現実を俯瞰した上で、且つ自分のことも客観視出来ないと脳内お花畑で終わってしまいますので。

 

いや〜〜本当に、本当に、列伝公開からほぼ一ヶ月向き合ってもおそらくまだ足りてないくらい沢山のものが詰まっていた列伝でした

たまげた、本当にたまげたしあまりの詰め込まれ具合に脳みそクラッシュしました

 

と同時に、自分も変な人であることを自覚しているが故に一般的な人達にとって共感はしづらかったりわかり辛い、というかわからなくても生きていけるしわからないのがおそらくマジョリティで響き辛かったのかなとも思いました。

私は社会学部出身ですが他学部の先生に社会学部は変人の巣窟!あの学部は変人ばっか!と入学早々ディスりをくらいましたのでおそらくその感覚が一般的なのかなと。

ただ、変な人サイドの人間からしてみればこれでもかってくらい様々な要素が詰め込まれすぎていて脳が爆発しました

 

とりあえず

ロン族最ッッッッ高!!!!!!!!!!!!!!!オウロンもフェイロンも最ッッッッ高!!!!!素敵!!!!!!!!!輝いてるよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!ありがとう鉱国の翔龍と英雄の歌ありがとう!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

(c)BANK OF INNOVATION 該当画像の転載・配布等は禁止しております。

鉱国の翔龍と英雄の歌 雑談①

f:id:momomo1124:20201031145437j:image

今月追加された列伝:鉱国の翔龍と英雄の歌

の雑談です。

 

現段階での予測でしかない且つあくまでも個人的な解釈の為、ひと個人の考えとして一歩引いてご覧頂ければと思います。

 

*ここから下、列伝内のスクリーンショットを載せている為、まだ列伝をご覧になっていない方は閲覧ご注意下さい*

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一通り書きたいことはまあ書けたかなと思ったのですがまだまだでした。

まあもうまとめっぽいことは書いたし…とは思ったものの、私は脳みそが小さいのか脳みそに落ち着きがないのか忘れっぽいのかわかりませんが、思ったことをすぐ忘れるので忘れないうちに

というかこの列伝に関して思ったことは今後の自分のことを思っても書き残した方がいいと判断したので書きます。

 

既に書き残した数々の怪文書の通り本当に思うことは沢山あったのですが、これは個人的に解説しておきたいと思ったところです。

 

ドールがゾラに対し無謀な反乱を企てている時です(ここではリンシャンですが、リュウイも反乱を止めようとしています)

f:id:momomo1124:20201101181227j:image
f:id:momomo1124:20201101181236j:image
f:id:momomo1124:20201101181239j:image
f:id:momomo1124:20201101181223j:image
f:id:momomo1124:20201101181231j:image

私は初読でこの流れを見た時に、ん、あれ?貧しいまま搾取されたままの事実に蓋をしようとしているのか?と思いました。

 

ですが正直、リンシャンが言うことも決して間違いではないんですよね。これは各々の感性の問題だから。何をどう感じるかは人それぞれ。

何度も言っているようにここでリンシャンを責めるのは違うと私は思いますね。

 

私もそんな大金持ちで家何軒も持ってて、とかっていういわゆる富豪では全くないですが、住居にも食べ物にも困っていないしインフラ関連の支払いも出来てるので普通に不満という不満はなく生活出来ているんですよ。そりゃお金はあるに越したことないですけど。

 

ただ、私はまあ大衆に迎合出来ないので、お金だけを追求出来ない人間なんですね。(これは私が独身かつ兄弟も親も現役で働いてるという条件下のもと思うことなのかもしれません。最低限守るものが自分の人権と衣食住くらいしかないので。

実際に子供や配偶者がいる方等は綺麗事抜きにしてお金は必要不可欠かつ最低限必要なお金も必然的に増えるのでこうも言ってられないかと)

なので、勿論自殺しないと決めた以上とりあえず生きていける分のお金は稼ぎますけど、お金だけを追求する稼ぎ方にはちょっと違和感を感じています。というかお金だけを追求する以外の生き方を模索したいという気持ちですかね。

 

貧しいって難しいんですよね。

見る人によっては家何軒も持ってないのとブランド物とか沢山持ってないなら貧しいのと等しいじゃん、と思う人もいますし、とりあえず家があって食べていけているのであれば貧しくはないでしょと思う人もいますし。

 

ただ、ここで問題なのは、ドールはゾラに搾取されているということ。邪魔されているしなんならドールの民の生殺与奪の権をゾラ(諸悪の根源はシェイドですが)に握らせてしまっているということ。これはダメですよね。このままドールの民に我慢させようとなると未来がない、一生このまま。

 

フェイロンのうん、守るよ、というのは、おそらくわかりましたこのままゾラに搾取され続け貧しいままでも怒らず反乱も起こさず何もせず事なかれ平和にいましょう、という意味ではない気がしていて。

多分ゾラやシェイドを倒す(フェイロンはおそらくシェイドが親玉であることを見抜いているかと、スレイマンのおかげかもですが)ところまで先を見据えているのではないか?と思ったのですが…

 

多分フェイロンとしては、両親に会うために死霊術を研究してるリンシャンと、道具作り(鍛冶)に熱中しているクァンシィと、搾取されている状況を打破してドールを豊かにしたい(と私は解釈しましたが)と思っているリュウイ等、そういったドールの民達が好きなことに熱中できる環境、そしてちゃんとそれに見合った対価をドールの民自身が得られる環境を作るという意味で守るよ、という意図があったのではないかなと

 

(※補足しておくと、クァンシィは最初はゾラからの侵略で亡くなった両親の仇を取るために武器作りに熱中していますが、リンシャンの戒めやフェイロンの問いで最終的には鍛冶屋としてドールの民のための道具を作る人になるのかなと思い、道具作りとしておきました)

 

あと、ここで、リンシャンの願いは私の望みだ、ではなく"みんなの"願いは私の望みと言っているんですよね。

なので私はこの言葉はリンシャンだけに対して言っている訳ではないのかなと解釈したのですが。

 

だからおそらくフェイロンは、ゾラに何をされても諦めよう我慢しようという意味ではなく、無謀な反乱で犠牲は出させないという意味、ゾラに搾取されたままの現状を打破してドールの民が余計な邪魔(ゾラからの搾取)をされずに好きなことに必死になれるドールを守りたいという意味等、様々な意味を含めて守るよ、みんなの願いは私の望みだと言ったんだと思いました。

 

最終的にフェイロンが言いたいことはやっぱり

f:id:momomo1124:20201101184511j:image

これなのかなと思いました、アークの言う人という種を救うための具体的なひと手段をフェイロンはとっているのかなと

(みんなの必死を守るとは??と疑問に思う方もいらっしゃるかと思いますが、フェイロンのキャラ設定的には不自然ではありません。要はみんなが夢中になれることを邪魔させない、成果だけを奪わせない(搾取させない)ということです)

 

決してこの列伝では、反乱を企てるな黙って我慢していろという怒りの声を封じようとはしていません。このあたり線引きはおそらく人それぞれなので難しいのですが、私はこのあたりかなり繊細に描かれていると感じました。

"無駄な犠牲を出すな、そこからは何も生まれない"ということ。

かつて戦時中に国民が巻き込まれ命を落としてしまいましたよね。国民は本来犠牲になるべきではなかったと思いませんか。

お国のために戦えるのは光栄でこれ以上ない名誉だというのは、本心からそう思っていた方もいらっしゃるかと思いますしそれなら否定は出来ませんけど、おそらく教育として国がそう刷り込み国民を戦争に向け総動員させる、つまり戦地に出して戦うだけ戦わせて、言い方悪いですけど人間の使い捨てですよね。人間を人間扱いしていない。

 

ただ、恐ろしいところは列伝でも似た描写がありましたが、自分達なら勝てる、という精神論に侵されてしまっているところで。

教育が教育として機能していないと(学問の自由にも関わってくるところ)それを盲信してしまうというか、もうそれ以外の選択肢が"無い" 存在し得ないんですよ。

まあけどある意味で教育から戦時教育としてガッチリ固めていって言論統制したりしてわざと自由を無にしたとも言えるのかな。知らせなければ知らないままですから。

 

貧しくさせられて目の前のことに必死になるということを悪用されれば学ぶ気力なんてものも損なわれますよね。というか学ぶ時間なんてもの自体を無にされる。

でも、戦時中の国のトップはこういうのも全部理解した上で利用していたんだと思いますね。

 

つまりリュウイの言う通りなんですよ。リュウイはゾラの軍にいるからゾラがどうやってドールを利用としているのか、ゾラの実態がわかっているし、だから生まなくていい犠牲を生む無謀な反乱はゾラに踊らされているようなものだからよせと。

 

…戦争を二度と起こさせないために(なぜ戦争が起こったのかを多方面から見る)私達は歴史を学ぶのではないでしょうか?

多分、シェイドが言う、魂を支配する人間は少ない方がいいんだ、というのはシェイドが独裁したいためですよね。

 

そりゃ見たくないものは見たくないですけど、そうしてるうちにシェイドみたいなのが忍び寄ってくるんだと思いますよ。

本当にシェイドみたいなのは突然やってくるし、フェイロンが殺されてしまったように、気付いたら逃れられない選択をせざるを得ない状況になっている。ただシェイドとしてはすでにその基盤を整えていたんですよ。全部わかった上でやっていた。

 

だから目を背けたい部分にも向き合っていかないと何も始まらないというか、そこに向き合わずして二度と戦争を起こさせないというのはちょっと無理があるのかなと…

歴史修正主義のお国礼賛教育、自分は悪くないご都合主義教育など以ての外だと思いますがね。

 

随分と脱線しましたが、フェイロンはなんだろう、フェイロンの望みは本当に現代に生きる私達にとっても理想ですよね。本当にこうあるために政治は機能して欲しいんですが…ね…

自助って、公的な基盤を整えた上で成立することだと思いますが(そもそも自助を要請するという日本語自体おかしいんですがね…)

 

もちろん現実的にフェイロンみたいな人は現れないというか、こんな現象は起きないですけど、だから何もせず諦めておとなしくして戦争になった時には仕方ないと戦地に向かうのか?いや諦めたらそこで終わりだろって作り手は伝えたかったんじゃないかと思いました。

これに関してはギルザ、スレイマン、テフレアあたりの発言からも読み取れますね。

私もその姿勢を支持する身として己の魂は無くさないでいようと思います。

 

いやはやしかしこれは公式が英雄の歌シリーズの総括きたらシリーズの核心に迫るインタビューを公開するべきなのでは?というくらい、ヤバいですね描写に込められた熱意と繊細さが。

作り手のメッセージもありながら読み手に解釈の自由も投げかけられているというか、とにかくヤバい、ヤバいです。

 

また何かしらの感想は書くと思います!

 

(c)BANK OF INNOVATION 該当画像の転載・配布等は禁止しております。