momomo1124’s blog

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鉱国の翔龍と英雄の歌 雑談⑦

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鉱国の翔龍と英雄の歌

の雑談です。

 

ひと個人の考えとして一歩引いてご覧頂ければと思います。

 

*ここから下、列伝内のスクリーンショットを載せている為、まだ列伝をご覧になっていない方は閲覧ご注意下さい*

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここ最近、Twitterで企業の広告の仕方や企業として何に価値を置いているのか、おそらくこれは社会的に人権・倫理観が問われている(敢えて炎上とは言いません)ような感じがします。

 

なぜ炎上だとは思わないのかというと、私にとって人権つまり人間を人間扱いすること、

そして人間として生きるための最低限の人間への礼儀が自分はまだまだ欠けていると思うからこそ、他人事だとは全く思えないのです。

 

私が人間として生きるためには人間としての最低限の礼儀を無限に学ぶ必要があるのです。

たまたま私と仲良くしてくれている非常にレアな方々が本当に運良くいらっしゃいますが、私は本気でこれはただのラッキーだと思っていますし、自分がどうこうよりそういう人達の人間としての器が大きく優しいだけ。これは私の中での真実なんです。

 

私だってどうしてこんな人間が今でも生きているのかわからないし、お世話になった方々や友達は私を見限ることなんていくらでも出来たはずなのに、その機会はいくらでもあったはずなのになぜそうしなかったのか。

その理由を探しながらも、そういう人達のそれこそ魂を救うというのは私が人間を学び続けながら人間として生きることだと思っています。

 

最近の企業の発信の是非が問われている事の本質は、私の中では人間への礼儀や尊重とはどういうことなのかを問われている、

そしてそのある種の答えのようなもの(ただし答えとはいえ、変化していく社会に合わせて常に問い直し続けていく必要があるかと)が、人権意識や倫理観といったような、先人達の魂の結晶として織り成されたものだと私は思っています。

そしてこれは私自身が人間である以上、そして特に私は無自覚で生きていると相当まずいことを自覚している以上、無視したり炎上といったコンテンツで消費してはならないと感じています。

 

たまにこういう話をする機会があるとそんなに考えなくても、と言ってくれる人もたまにいらっしゃるのですが(そんな気張らなくても、という気持ちはありがたく受け取らせて頂きますが)、私が考えない人間になるといかに人を傷つけるか、人を無自覚に踏み躙りにいくかわからないことを自分自身がよく知っているからこそ、考えずにはいられないのです。

 

というか、考えない私だったら多分周りに友達も良くしてくれる人もきっと誰一人としていなかったことでしょう。

だったら考えて人を踏み躙ることをなるべくせずに過ごすには?という方向にシフトした方が随分マシだと思ったのでそうしています。

 

若干話逸れましたがそういったここ最近の件に触発され、以前にもこの話をしましたが改めてこのやり取りについて考えたいと思いました。

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流れとしてはこのような感じです。

 

まず、①〜②のフェイロンの発言について。

まずベルモントにとってフアナの死について触れられることは言葉に出来ない程の、一生癒えない傷を抉られるくらいの苦しい経験であると私は解釈しました(これについては祈りの翼と英雄の歌をご覧頂ければと思います)

 

で、フェイロンはまだ人と話せるようになって数年な上に、まだ人の感情がわからないということを自覚しています。(これより前のシーンで言及あり)

だからといって人との会話における、ある種のその人にとってのタブーな話題なんてものもわかるはずがないのです。

 

また、フェイロン

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大切な人を亡くすという、人にとっては立ち直れない程の傷を負う出来事に心を動かされない、つまり痛みがわからないのです。

なので、当然ベルモントにとってのフアナの死がどれほど彼にとって苦しかったのかもなんてわかるはずもないですよね。

 

先ずここで、フェイロンに対しその話はベルモント本人にしちゃダメでしょう、と思った方も多いと思うのですが、私はフェイロンなりにベルモントを気遣おうと試みているなと思ったので(ベルモントの辛さは正直わからないが、きっとベルモントは辛いのだろう、といったフェイロンの予測の元の発言であることは汲み取れるため)

正直どちらも責められない。思ってないことを言ったフェイロンが悪いとは私は言い切れない。

 

けれども、このような他者のデリケートな話については、私は特に考えないといけない部分だなと感じています。今まで何度も失敗してきたから。

ただし、⑤のベルモントの発言には依然としてNO。これだけは変わらないかと思います。

 

現段階での私なりの対策↓

 

・自分からは聞かず相手から話されるのを待つ(そこで、例えば家族の話とかであれば、父母子がいて当然でみんな愛されていて仲良しだ、みたいな、一般的な常識みたいなのが万人に通じるとは思わないという前提を自分の中にセットしておきます。)

 

・人権意識や倫理観を問われている今、様々な意見に触れてこの人は人間への尊重や愛がベースにあっての助言だなと思う方のご意見を勉強させて頂く(もちろんその判断力は私自身も磨き続けなければいけないもの)

 

・仮に話をされたら、下手にわかる、とは言わない なぜならその人の痛みはその人にしかわからないから

 

・あまり話してない段階で自分がもし無自覚にそういう話に踏み込んでしまっていたら素直に謝ると同時に、その人と話す機会がまたあれば二度とその話はしない

が、なるべく事前に所謂"失礼"と言われる話のケースの大方を把握しておく(被害を避けるため)

 

・流石にそれはどう考えても理不尽だろってところで怒られて且つ差別的な発言を浴びせられたら毅然に対応する(和解するか、それが出来なくて相手は自分は悪くないの一点張りだったら必殺怒る人の話にひたすら耳傾けて、なんで怒ったのかを確認し合い、その場はどうにか鎮火の術を使う)

その後、向こうからの差別的な発言に対する謝罪がなければこいつの言うことを真に受けたら損シールドを張る

 

しかし自身の圧倒的致命傷として、私はしくじり先生の応募候補者としての資格は十分に持ち合わせている自信があります。

それ故、私自身、特に触れられたくない話題というものがないどころかそういう自分のやらかしを存分にオープンにしてとにかく私みたいな人間にはならない方がいいと訴えたい気持ちの方が強いため、ベルモントの気持ちを正直かなり理解し難いところがある。ここが致命傷です。

 

次いで、ベルモントの③〜④の発言について。

これはかなり私にとって重くのしかかりました。

ベルモントが悪い奴だと言う気もないし、フェイロンは純粋だから許してあげてという気もない。

 

その人の痛みはどれほどのものか、その人にしかわからないわけです。フェイロンのように人を気遣ったつもりが皮肉にも気遣いになるどころか怒らせたり不快な思いをさせてしまう。

ここは割と見失いがちなので、ベルモントに気付かせてもらえたところがありました。

 

こちらはソーシャルゲームのストーリーですが、実際に私が会話するのは3次元の生身の人間です。

私にいくら悪気がないとはいえ、3次元ではそれでは済まされません。なので悪気はないというのを、悪気はないと発言する以外で態度や言葉で悪気のなさを示していかなければならないのです。

 

しかし場合によってはその悪気のなさオーラのようなものが相手にとって酷なものになってしまいます。

例えば共感してもらいたくて、慰めてもらいたくて話したのにそういった反応が薄いとか冷たいとか、そういうことも言われ得ますが、

この辺りはもう究極人それぞれなので答えを求めるというよりは相手がどういった意図で話したのか(例えばなんの反応も求めていないがとりあえず聞いてくれというだけという可能性もある)を互いに探り探りやっていくしかないと思います。

 

私はすぐに相手の要求を察知するのは得意ではないです。(が、だからといって他者とのコミュニケーションを放棄することとはまた話が別)

そこまで求められたら自分がすり減るラインに入ると思ったらあまり深入りせず他の人に求めてくれ、となりますが、それで良いと今は思っています。

 

とりあえず私はベルモントのような相手に対しては、

 

・雑談たるものはなるべく控える(今日は一段と寒いですねとか良い天気ですねとか、それくらいの話にとどめる)

・話されたとしても安易にわかると言ったりしない、共感しない

・相手から話されない限り決して深入りはしない

・無言でティッシュを渡す

・決して見下さない、そこにつけ込まない

 

といった態度を取るのが良いのかなと思っていますが、もしベルモントの気持ちがよくわかるという方がいらっしゃるのであれば是非ご意見をお聞かせ願いたいです。

 

 

ただ、⑤のベルモントの発言だけはNO

 

いくら怒りに震えた(琴線に触れた)としても、このような差別的発言(人を生まれ持った属性で括り、攻撃すること)はNGです。この発言に対しては反面教師にしたいと思っています。

前にも書きましたが、この後オスティナさんがベルモントを叱責していた部分がちゃんと描かれていたのは良かったです。

怒りに任せてそこまで言うのは(差別的発言をするのは)良くない。と言いたかったのかなと解釈しました。

 

 

この会話はどうにか人間として生きようとしている自分の中にずっと残るものであり、一生の課題になるだろうなと感じました。ある決まった答えはないというか、変わっていく答えを他者と紡ぎ出し続けていかなければならないことと、そのために最低限の礼儀と人権意識は私にとって意識的でいる必要があるな思った次第です。

 

最後に余談ですが、

ブログというツールはボーナスステージだという認識です。ここで思考を言語化し、それを3次元において昇華させていきたいと思っているので、あくまでもボーナスステージです。

ボーナスステージって普段出現しないからボーナス、なので

私は第一印象はあまり良くないことが多い(私自身も相手がどんな人か最初は探り探りの姿勢なので、何考えてるかわからない怖い・よくわからない人だと思われがち)ですが、逆に良くないからこそ話すと意外と…ということが多く、この点についてもやはりラッキーを享受してる感は強いです。

とはいえ誰からも好かれるタイプというわけでもないため、話しても嫌な人間だと思ったらすまん

 

今回は以上です!

 

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