シン・エヴァンゲリオン劇場版 感想②
感想の続きです。
※ここから先、作品のネタバレを含みますので閲覧ご注意下さい。
※設定的なところの解説・考察等はなく、ただの感想です。キャラ解説的なものもありません。
※カップリング的な要素の考察は一切ございません。隙自語もよく入ると思います。すみません。
ッッッハァ〜〜!!!?!!!!?なんだこの美しさ…業が深いぞ……
エヴァンゲリオンで私が好きなキャラクターである渚カヲルくんの今作でのシーンでの感想です。
早速ですが、序破Qシンの新劇場版での個人的な渚カヲルというキャラクターについては、
シンエヴァ終盤のカヲルが○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○ https://t.co/Z0hQEayFrm
— キンメリアのゆべしちゃん (@yubeshi1987) 2021年6月12日
↑@yubeshi1987 様のツイート(ネタバレ有なので伏字でツイートされていますが)とほとんど解釈が一致しておりますので、ご覧頂きたいです。
自分もまさにこう思っていたのですが、即出の解釈をあたかも自分が考えたかのように言うのもなあと思いましたし、自分より断然上手く言語化して下さっています。
上記のツイートと自分自身の経験を踏まえた上で、今回自分の中で印象に残ったシーンについて。
やっぱりカヲルくんが涙を流すシーンですね。
シンジが涙(泣くこと)で救えるのは自分だけだ、という台詞。
まあ他者の涙に心を動かされることもあるとは思うので一概にそうだよなとは言えないものの、
昔は自分は自分の行き場のない感情の表出→自分自身でなんとか自分の救済を図ろうと泣いていたんだろうなあと思っていたので、これが絶対ではないけれどもある種わかる、といった感じでした。
まあけどそのあとに、だから僕はもう泣かないってシンジは言ってましたが、いや別に泣いてもいいと思うよ…!?とは思いましたが笑
ただ今回のケースだと、一般論の押し付けというよりはシンジがカヲルくんを救うために言った台詞だと捉えたので、カヲルくんがシンジのためにとった言動を、今度は「人を幸せにすること」がエゴだとしてもシンジがカヲルくんのために、とシンジからカヲルくんに歩み寄っていったのが印象的でした。
シンジ、人と対話出来る子になったんだなあと…本当シンジには25年間お疲れ様でしたという言葉しか出てきません。
最終的にはカヲルくんが「シンジを幸せにする」ということが利己的な感情であることに気付いた(加持さんに気付かされた)としても、それまでシンジの居場所を作りたい、シンジの心に寄り添って安らぎを与えたいと尽力してきたことはシンジも理解していただろうし、
シンジも君も僕を利用して自分が満足したいだけだったんじゃないか!と怒るのではなく(これはTV版24話の僕の気持ちを裏切ったな!というシンジのカヲルくんに対する台詞から、シンジは成長したんだなと感じますね)、
そんなカヲルくんのことを受け入れて、子供の姿のシンジから仲良くなるためのおまじない。としてカヲルくんに手を差しのべたし、カヲルくんもそんなシンジの成長が寂しくも(これは@yubeshi1987 様のツイートを踏まえ、子が成長し親離れや様々な他者との関係を構築していく寂しさのようなものかと)嬉しくもあり、カヲルくん自身も涙を流したんだと思います。
同時にカヲルくん自身もループ(円環の理)からの脱却、つまり自身に与えられた役目を終えることができた。要は@yubeshi1987 様のツイートの通り、呪縛からの解放ですね。
個人的には、シンジがちゃんと自分の意思を持って様々な人と様々な関係を構築出来るようになって行動できるようになったこと、自分の居場所を自分自身で見つけるようになれたこと、
カヲルくんはそれがシンジにとっての「幸せ」であったことに気付いて、そんな成長したシンジを見届けることが出来て、しかも最後はシンジの方から手を差し出してくれたことが嬉しかったんだと思います。
「他者を幸せにする」
って未だに私もよくわからないんですよ。
はっきり申し上げてしまうと、自分が他者を幸せにするというよりも、自分が選択した行動を通して他者自身が幸せだと感じることしか出来ないのではないか、と思ってしまいます。
他者を幸せにするため、と自分が他者の幸せとは何か推測ことも行動することも出来るとは思いますが、その結果幸せになるかどうかはその他者自身が決めること、というのが現段階の私の考えです。
ここに自覚的であれるか、そして話し合えるかが当シーンにおいて重要なポイントだと思っています。
とはいえ、カヲルくんは自分なりにシンジの幸せとは何かを考え続け、行動し続けたとは思いますし、今作のとあるシーンでカヲルくんの言葉はしっかりシンジの自信につながっていたと思いますね。
それも全部汲み取った上で、シンジは自分からカヲルくんに歩み寄ったと思うと、シンジの聖地にもカヲルくんが報われた(シンジが自分自身の幸せを理解するところに立ち会えたし、自分に与えられたある種の呪縛からも解放された)と思うと込み上げるものがあります。
現実では、「あなたのためです」と言い近付いてながら実態は搾取構造に取り入れるためや洗脳である、ということが多々ありますので、
安易に自分を全肯定してくれるところに縋らず、隠れた実態を見抜いていく必要があります。現実では全く美しくないことなのでご注意を。
ただ今作においてのカヲルくんのケースは、自分にとっての他者を幸せにするとは、という問いの一つの答えであり、
同時に他者の100%は分からないので幸せの形も手探りであり(カヲルくんが何度もシンジを幸せにしようと試行錯誤していたように、何度もループしていたのもその試行錯誤の様子を表すためかと)、
カヲルくんが本当は自分を幸せにしたくてシンジのために尽力していたんだとしても、その上でシンジはちゃんと自分の意思を持って自分の足で歩き始めることが出来た。
見せかけのものに騙されず自分自身の意思(信念)を持って決断出来るようになる、物事の取捨選択も出来るようになるって幸せなことですよ。
まあ、結局幸せの形なんてものは人それぞれですが
私もその人自身が幸せだと思うのであればそれはその人にとっての幸せだと考えるので(ただし個人レベルの話です、政治社会等人を巻き込む話はまた別問題。)
まあ、個々で人に危害を与えない(差別等侮辱もしない)程度に幸せの形を追求するしかなさそうですね。
カヲルくんのあの涙は様々な感情が入り混じっているとは思いますが、安堵の感情の比率高めなことを祈っています。カヲルくんに幸あれ
余談ですが、私はいくら似ていたりそれっぽい描写があるとはいえ、碇ゲンドウ=渚カヲルとか渚カヲル=碇ゲンドウのクローンとか物理的にイコールにはならないと感じています。
性格的に≒ではあるかもしれませんが、それぞれ確立した個だと思いたいですね。(エヴァの設定的にはクローンという説も十分にあり得るかとは思いますが、私はあくまでメタ的な表現がなされているだけだと考えています)
あと、カヲルくんの僕は君(シンジ)だ、という台詞は、カヲルくんが現れる時はいつもシンジが塞ぎ込んでいた時だったのでその姿にカヲルくん自身の円環の理から抜け出すことの出来ない虚しさ、要はとことん内向きな内面をシンジに重ねていたのかなーと勝手に思っています。
カヲルくんはもしかしたら必死に自分がなりたい自分を演じていたのかも…とか思ったり。
今作のある種の答えに対し賛否両論あるとは思いますが、人を幸せにするとは、という根源的な問いに迫った良いシーンだったと思いました。