momomo1124’s blog

好きなものなどひたすら壁打ちしています。

良教材を見つけてしまったという話(ぜひ見てね)

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幻獣契約クリプトラク

今月追加の新列伝 『鉱国の翔龍と英雄の歌』

↑(検索でヒットしますように)(剥き出しの欲望)(ですがネタバレ含むのでご注意下さい)

 

こちらの列伝で素晴らしい教材を発見してしまいました。

 

もしも、の話ですが今後、友達でも知人でもどなたかの子供を一定時間預かるような機会があったりしたら、安全に遊ぶのももちろんですがこういう教育をしたい、と思いまして(分野関係なく過去に出会えた数名の素晴らしい教育者の方々のお陰です)

その時のための記録として残しておきます。

とはいえまずは私がこの人になら任せられる、と思ってもらう人間になるのが第一なのですが

 

*ここから下、列伝内のスクリーンショットを載せている為、まだ列伝をご覧になっていない方は閲覧ご注意下さい*

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

念のため、これから題材として取り上げる人物の簡単なプロフィールです。既に列伝をご覧になった方はスルーして下さい。

 

リュウ←ドール出身。7年前、ゾラからの侵略で両親が殺されてしまい、リンシャンという女性が開いた孤児院にて幼少期を過ごす。

現在はドールがゾラから搾取されている現状を変えようとゾラの兵士になり、いわゆる出稼ぎをしてドールに仕送りを送っているが、ドールの困窮状況は変わらず、歯痒い思いをしながらゾラの兵士として鍛錬に励んでいる。

ゾラの兵士になっても出身国愛が強い。熱血と言われている人。

 

フェイロン←初登場は流れ星とともに登場。私達から見れば彼を人間として認識できるが、彼自身は言葉というものがわからない以前にそもそも自分を人間と認識出来ていない状態。

序盤はとんでもない怒り(力)をコントロールする術を知らないどころか、おそらく自分が怒っているという認識すらなく、人間から見ればただただ暴走するだけの生物(龍)。

一定の力を使ったらなのか、彼自身が無自覚に落ち着きを取り戻したらなのか、はっきりとした境界線はないようだが、龍の姿から人間の姿に戻る設定のようである。

彼自身に両親の記憶はなく、おそらく竜族と人間の混血児であろうと推測されている。

リンシャンに保護され彼女が開く孤児院に招かれ、他の孤児と生活していく過程でそれなりの言語とその意味と"言葉を発する"力は習得しているようである。

 

時系列的にはリュウイが孤児院を出た後→フェイロンが孤児院に招かれたため、リュウイと孤児院で共に過ごしてはいない。

 

 

ここまでの大まかな話の流れです。本当にざっくりなので詳しくは列伝をご覧下さい。

 

リンシャンが山で草取りをしているとフェイロンが流れ星ともに登場(桃太郎の登場みたいなイメージ)

→リンシャンが流れ星とともに現れたフェイロンを目撃、汚れていたフェイロンの顔をふいてフェイロンに肉まんをあげる(フェイロンは言葉もわからず、勿論肉まんも食べ物として認識出来ていないし、自分が人間の姿をしていることさえも認知していない状態)

→ゾラの兵士が登場。兵士達がフェイロンをどこから嗅ぎつけたのかフェイロンを怪しい男だ、連行するぞと脅すがリンシャンがフェイロンを庇う。が、フェイロンが怒り龍の姿になってゾラの兵士達に襲いかかり、ゾラの兵士が恐怖で逃げる(もちろんフェイロンは自分が龍の姿で何をしているかさえも認識出来ていない)

→が、ギルザはこいつはこのまま放っておいたらまずいことになる、と察知しギルザとアークVS龍の姿フェイロンで殺し合い

フェイロンが落ち着き龍の姿から人間の姿に戻る。ギルザとアーク、フェイロンも生き残る。

→リンシャンが、フェイロンは龍の姿にもなるけど人間の姿をしている時は肉まんにびっくりして肉まんを美味しそうに食べていたからいくら龍の姿での力が人間にとって脅威であるからといっても彼を殺すのは違うと思う、とフェイロンを庇う

→ギルザもアークもリンシャンの説得に納得、ギルザはフェイロンに対し、力の使い方を教えてやる、いつか俺のところに来い(ざっくり)と言葉を残し、一旦フェイロンをリンシャンに預ける(inドール)

→とりあえずフェイロンはリンシャンの孤児院で1年過ごし、ある程度の言葉や遊び、畑仕事などを覚え、他の孤児とも仲良くなった

→ドールに幻獣(モンスター)が登場。場は大騒ぎ。フェイロンは自分が龍の姿として力を使えば幻獣を吹っ飛ばせるということはこの時点で認識していた様子。

同時に、制御の仕方もわからないことも認識していた様子であり、龍の姿になり力を使うことをためらっていたところ、リュウイがゾラからドールに出向、幻獣退治に勤しむが、フェイロンは自身の力の使い方(制御の仕方)を分かっておらず、ただ立ち尽くしていたところ、リュウイは幻獣が襲ってきたにもかかわらず何もしなかった(実際はフェイロンが力の使い方を分かっていなかった)フェイロンに対してブチ切れる

 

まず、上記の話の流れでフェイロンに対してブチ切れている、このリュウ(以下①のスクリーンショット中央)の台詞です。

 

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この後、再び幻獣がドールに襲ってきて、リュウイも再び独断でドールに出向し、幻獣を退治しようとしますが、いくらゾラの兵士になったとはいえ当然ただの人間の力ではモンスターには敵わず。

モンスターが孤児院に向かおうとしたところで、フェイロンは人間の姿で龍の力を使うが、リンシャンと初めて会った時のように龍の姿になりただただ見境なく怒り暴れ狂う力ではなく、孤児院を守るために力を使えるようになり、無事に幻獣を逃すことに成功します。(フェイロン自身は何で龍の姿にならずとも力を使えたのか、自分自身ではまだその理由がわかっていない様子)

勿論出身国愛が強いリュウイは、孤児院を守ってくれたフェイロンに対し感謝の言葉を述べます。

 

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②のリュウイの台詞に対するフェイロン(画像右)の返答がこちら↓

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このフェイロンの所謂"マジレス"に対し、リュウ(画像左)は、

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この二人の会話が教育の良い題材になると感じ(理由は後述の通り)

やっと本題に入ります。

 

先ず、今回は文系向けの教育素材として扱います。あと、目先の点数だけ取れればOK、点数を取ることが目的の受験や試験等、前提として"正解か不正解か"の2択の次元の話に役に立つ話ではないです。

 

最終的には、私が様々な教育を受けてきて(学校での授業はもちろんのこと塾や予備校から楽器のレッスンまで)今もおそらく今後も自分の力になってくれると思ったことと、

今でも印象に残っているような数名の教育者の方々に共通していると思ったことについてまとめることが出来れば、と思います。

 

 

ではなぜ私はこの二人の会話が教育素材として良いのではないかと思ったのかと、私なりの考えも添えておきます(あくまでもひと個人の考え方にすぎず、究極、"人それぞれ自分なりの答えを出せればOK"

おそらくそれよりも大事なのは、その答えが"正解か不正解か"ではなく、そもそもなぜ?と思えることと自分なりの答えたるものを導き出そうとすること、

本でも人と直接話すでもなんでも人の意見も取り入れ、自分一人で独善的に答えを出そうとしないこと)

 

・①のリュウイの「腑抜けは同じ男として許せねぇ。」という、

勝手な彼自身の性別のイメージ且つ後天的な性別のイメージを勝手に同じ性別の人間に当てはめようとすることの何が問題なのかを考える

 

私としては素直に、いや、男って男だからといって腑抜けていてはだめなの?と思いました。

 

他にわかりやすい例を挙げれば、自分は"男"だから黒のランドセル、制服はパンツ(ズボン)、スカートやヒールの靴なんか履かない、等

 

勿論後天的な性別イメージが一般化している以上、"男(女)だから"というのは一見問題ない理由に見えてしまうかもしれません。

 

要するに、男(女)らしさとは、当然各々程度の差異はありますが、実は

"男(女)はこうでなければならない"

"男(女)の役割ってこういうものでしょう"

という潜在的な概念が無意識に刷り込まれている前提のものであり、後天的なものである。

と私は考えています。

 

ただ、性別は生まれてくる段階では選べませんし、生物学的(身体構造的)には男もしくは女ではあるが、自分が好きで男(女)になったんじゃない、という方、

また、

果たして自分は"(後天的なイメージとしての)男(女)なのか?"

と自分自身の性別に対する疑問を持っている方や、自分は男なのに世間の男らしさにそぐわない、と苦しむ方や、

性別らしくない、を理由にして自己を抑圧してしまい、生きづらさを抱える方もいらっしゃいます。身体的特徴を揶揄されることもあるかと思います。

 

"男(女)らしさ"はあくまでも自分の中での美学というならまだしも、私は人を非難するための理由には使いたくありません。

あと、

貴方の常識(固定概念)は私には必ずしも当てはまらないので押し付け且つ非難するのはやめて欲しい。逆も然り。勝手に押し付けて勝手に非難するのはあまり好ましくない

です。

これと同時に言えることは、リュウイがフェイロンの事情をガン無視してフェイロンを責めているのも問題であるということ。(実際フェイロンは腑抜けていたわけではないのは一旦置いといて)

 

あとは、おそらく、は?こいつ何言ってんの?そんな人自分の周りにいないし、人間男か女かしかなくない?と思う方が大半であると思いますが、

あくまでも世界には色々な人がいるということを知るきっかけとして「セクシャルマイノリティ」「性自認」「LGBTQ」等のワードを検索してみて下さい。

この時点で、性別って単純に"(生物学的に)男か女か"で分けられる単純なものではないということが言えると思います。

「自分が男か女かわからない?そんな人知らないしいないでしょ。男は男らしく女は女らしく。」という世間的に縛られた役割に沿ってしか生きてはいけないのでしょうか?或いはそうではない人は"おかしい"人間で、生きていてはいけないのでしょうか?見下されたり馬鹿にされたりするほかないのでしょうか?

私はそうは思いません。

 

マイノリティ(少数派)の人間のことを理解しようね!というより、

私としては、自分やみんなと違うからといって最もらしく見える理由をつけて人を馬鹿にしたり無き者にしたり非難したりするのではなく、

まずは自分の全てが他の人間の全てではないということを自覚し、では自覚した後、自分はどうすればいいか一緒に考えよう(私も考える!)。と伝えたいですね。

というか、そもそも自分のことも他人のことも全てを知り、完全に理解するということは不可能ですし(ここ割と大事)

 

面倒かもしれないけど、その面倒が人間を人間たらしめるものだと思えばこっちのもんだ、スタイルで。なんならこのスタイルが一般的になれば面倒くさいことではなくなる。

私はこういう方向に舵を切ってからむしろ死にたくなくなりました。元気に生きてます。

 

さて、次に

②と③は、まずリュウイとしては褒め言葉のつもり且つ悪意はないとはいえ(無意識且つ悪意はないというのがポイント)、やはり彼の無意識下での男らしさが前提にあるのが透けて見えてしまっているのと、

おそらくフェイロンは"会話が出来ない人"という笑い(変な)の対象として落とし込まれてしまっていること。フェイロンはマジレスしてるだけ!!(これに関しては後述します)

 

・④は、なぜかリュウイの主観がフェイロンにも通用すると思っていたが故に無意識に出た台詞かと。いつから自分が上だと錯覚していた…?

リュウイ、一緒に学ぼうぜ!←私からのファイナルアンサー

 

わかりにくいと思うので私なりに咀嚼します。

おそらくこの会話、リュウイ目線の方が多いと思うんですよね。だし、それまでの流れもそう誘導されているように思います。

フェイロンは、それまでも"話が通じない人"として描かれている描写が見受けられたので。

 

リュウイが悪い!と言いたい訳ではありません。というかリュウイを責めるだけでは私の話に何の意義もなくなります。

 

リュウイは、フェイロンに対してちゃんと腑抜けだなんて言って悪かったな、って謝っているし、ありがとうと感謝もしているんです。

自分の非を認められて、且つ人に感謝も伝えられる人なんです。

でも最後の、(リュウイが思う)男だったぜ←つまり守るために力を使った男、腑抜けてない男

であって、結局男は男らしく、という前提があることには変わりないですよね。

 

これ、リュウイとしては悪意はないどころか褒め言葉なんですよね。

もしかしたらそれが誰かにとっては褒め言葉かもしれないし、誰かにとっては褒め言葉ではなくプレッシャーに感じていまうかもしれない。

結局、判断軸が男らしいか否かに収束してしまっているんですね。

 

フェイロンは、先述のリュウイの台詞を、「(リュウイが思う)男だったぜ」←これが守るために力を使った男、腑抜けてない男を指すというところまで読み取っていない。

ので、上記の文脈があるとは知らず、"男だったぜ!"って言葉をそのまま男という単語だけを受け取ったから男です。とマジレスした。フェイロンは話が通じない人というよりも、マジレスしただけ。

私はこのフェイロンストロングスタイル(多分フェイロンは無意識)が好きですし、私は多分フェイロン側の人間。

 

でもやはり社会にいる人間である以上、ある程度の"会話"が出来るようにならないといけなくて。

表面の言葉には様々な意味が含まれており、わざわざ言わなくてもわかるよね?と静かに圧をかけられながら社会的文脈を読み取り、相手と会話をしなくてはならないのです。

そして、その社会的文脈は人それぞれですので、その人と話していくうちにそれぞれの隠された会話内の言葉の社会的文脈を探していく必要があります。

 

だから、リュウイが噛み合わねぇ!ってなっていますが、そもそもなぜかリュウイの主観で話が進んでいる。ただ、リュウイの価値観は一般的と言われるものなので、おそらく制作側も、無意識にリュウイ目線、この会話における権力関係はリュウイ>フェイロンになってしまっているのではないかな。と思いました。

 

そこで、私ならじゃあ、リュウイ!男らしかったぜ、以外のユニークな褒め言葉を探そう!と提案します。

あと、なんでフェイロンから男です。としか返ってこなかったのか、その疑問を一緒に考えたいというかリュウイの話を聞きたいのと、

はたまたリュウイはフェイロンからどういう返答が来ると期待してたのか、これも聞きたいですね。

 

フェイロンには、リュウイがなんで噛み合わないって言ったと思う?と問いかけながら、

人と会話するために必要なある程度の隠れた社会的文脈(究極人それぞれ)を一緒に紐解いていけたらいいなあと思います。(私もこのあたりは物凄く苦手な分野なので)

 

これはどっちが良い悪いとかの話ではなく、会話ってお互いの主観がどうしても入るので噛み合わないことも多いものなのですよ。

なので、いつでもなんで?って聞かれて答えられる準備をしておく。自分なりの根拠を持っておく、つまりやはりここでも自分なりに根拠立てをする=考えることが大事だと思います。

 

バカにしてきたりそれこそ常識だから、とか普通はさ〜っていう人に対しては、なんで常識?なんで普通?って返して、あなたの常識が私にとっても常識なのかの確認作業を取りたいです。

 

多分基本的には普通は普通、常識は常識だと、根拠を答えてくれないことが多いと思います。

常識や普通という言葉で有耶無耶にしようとしてる人は、あんまり面白くない人だと思うので大丈夫。(いつか会話を楽しめたらいいね!)と心の中で一声かけて右から左へ受け流しましょう。

逆に、ああ、なんで普通なんだろうね〜とか、なんで常識になってるんだろう?と一緒になって考えてくれる方がいらっしゃったらボーナスステージ!

 

結局、お互いになんで噛み合わなかったのかを探り合うことで人とコミュニケーションを取ることができるのであって、

あー話通じない!→ではなぜ通じなかったのか?を考えてみよう。ということです。

 

それが自分が今後人と会話する上で助けてくれるものになるかもしれないし、違和感を感じることで防げることもあるかもしれない。(妨げになることもあるかもしれないが)

あと新しいことを知ることが出来るかもしれない。

本当に色々な可能性があるというか、とりあえず世界は広いです。

特に基本的には家と学校を行き来するのが日常な小〜高校生にこのことを伝えたいですかね。狭い環境では思考に縛られないことの方が難しい。

様々な情報にアクセスし、脳みそをガンガン刺激していきましょう。大丈夫、何歳からでも遅くない。 

アクセスできる情報の少なさ故に"知らないからこうするしかない" 無意識の呪いにかかってしまう可能性は高いです。この呪いは危険です。最悪死にたいと思いながら生きるか死を選ぶか、までいきます。

 

長くなりましたが要はこの二人の会話には、性別役割分業、人と会話するとは?という、どちらも当たり前のものとして見過ごされがちなことを改めて問い直すために良い教材になる、と感じました。

当たり前って案外脆いですからね。

 

あんまりうまくないまとめ↓

・男らしさ、女らしさといった性別らしさ、さらにそれを同じ性別の人に"押し付ける"ことはなかなか理不尽で残酷なこともある(人に押し付けない個人的な美学としてなら◎)

目線を変えれば、男らしい!女らしい!と言われることが喜びだという方ももちろんいらっしゃいますが、

それをスタンダードと考えるのはやや早計且つこれがスタンダードである!素直に従え!とは私は言いたくないということ

 

・"話が通じない"を話が通じないで終わらせないことと、あー噛み合わねぇ!と人を見下さないこと。

なんで話が通じなかったのか、相手のバックグラウンドを想像するなり過去の相手の情報から推測するもあり、隠されている社会的文脈を読み取ってみるのもあり。

あとマジレスをバカにしないでどうしてマジレスしたか、相手はなぜマジレスされたのかをお互い考えていきましょう。その行為を通してなるべく噛み砕いて説明出来るようになると、意外と人生で自分を助けてくれるものになるかも。

コミュニケーションにも不断の努力が必要です。コミュ障だからと尻込みせず、私も円滑にコミュニケーションが取れる人間を目指します。基本ウザい奴になると思うので面白いと思われたらラッキー程度です。

 

で、結論として、私が印象に残った教育者の方々に共通していると思ったことがあります。

・相手(私)の立場や能力を考えてなるべく対等な目線に立ち、その時の私に必要だった適切な教育なりサービスを惜しみなく提供してくれたこと。

それが押し付けがましいものではなく本当の意味で私のためになるような、自分の頭で考えさせるような(実際今もその教育はとても自分を助けてくれているのですが)教育をしてくれたこと。おぼつかない私の話を皆様が一生懸命耳を傾けて下さいました。

・どなたも、何のためにこれをやるのか、をしっかり把握しており、そのために必要なことを的確にこなされていました。点と線がしっかりつながっていたというか。

・どなたも明らかに私なんぞ視界にすら入らないだろうというレベルで素晴らしい方々なのに、絶対に私のことをバカにしたり否定したりすることが無かった。(勿論、ある種の正解があることに関して間違っていることははっきり間違いだと伝えて下さったが、そのどれもが私の人格を否定したものではなかった)

 

要するに、自分の頭で考えること、

なんでだろう?と思う機会を増やしてくれたのと人格存在否定をされなかったおかげで今私は生きていると思っていると、いうことです。

 

もちろん、自己啓発のような一時的、即効性のあるものではないですが、じわじわと私の助けになってくれています。私は色々なことに対してなんでだろう?と疑問を感じられるアンテナを多く張っておくことを教えたいですかね。

それが多ければ多いほど、きっと自分を助けてくれる。そう思っています。あと安易に人の存在や人格を否定しないこと。これは周囲(もちろん私も自分以外の人たちにとっては誰かの周囲の人間)の努力も必要なので、努めます。

 

とんでもなく長くなりましたが以上です。

これはやはりパワーポイント等でやった方が良かったのでは…と今更気付く。私もこんな人間です。自分の魂の在り処を探していきましょう!

 

最後ヤバめに締めましたがお察しの通り私はこんな人間です。

 

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