英雄の歌と暁の平原 個人的見どころ②
今回の列伝で、私が素晴らしいと思った最大の点は、英雄の歌シリーズ自体は6話完結のドラマくらいの長さではあったものの、
最終的に
伝えたいメッセージが極めてシンプル且つ明瞭だった
というところです。
(おそらく、個人的なものですが)この列伝の着地点に来た時には、ここにつなげるまでの説得力が凄すぎて、『やられた…!!』といった感じでした。
※ここから下、列伝内スクリーンショットありのネタバレ含みます。まだ列伝をご覧になっていない方は閲覧ご注意ください※
早速ですが、
結局のところ
↑要するに全部これ!
このメッセージに帰結させるために今までの英雄の歌シリーズがあったんだなと、腑に落ちまくりでした。
生きているのが辛いと思う人に自殺するなとか死に逃げるなとか、無責任にそういうことを言いたいわけではないと思いました。というか死は逃げではない、と私は思っていますが。
実際、残された生者達(特にベルモント)の痛みがかなり鮮明に描かれているので、生きているゆえの辛さも間違いなくあります。
ただ、実際問題死に急がなくても、人間みんないつか死ぬので。
それも、英雄達の肉体的な死と英雄達の魂が尽きていよいよ本格的な別れ、これらを生者に突きつけているので、人間いつか全員死にます…そして誰かの死は自分は生者である限りぶち当たる壁です…という現実も暗示していたかと思います。
死は未知のものなので、死を恐れる気持ちはわかるというかまあ恐れて然りですが、
個人的には正直人生にもう満足しているので、本当にこんな人間が充分すぎるくらいの幸せをもらっていると思っていて、本当にいつ死んでも良いなと思うようになってから、むしろ自ら死ぬ方法を考えるのはなかなかコスパが悪いかもなと思うようになりました。
とりあえず生きてるうちはまあなんとか生きようかな、死んだら死んだでまあいいかみたいな感じです。
勿論、まだ行きたいお店とか国とかはあるものの、それはオプションみたいな感じです。
もう根源的な幸せは手に入れてしまったというか、本当にこんな人間は生きているという事実だけで手に余るくらい。
こんなのとっくに死んでておかしくないですからね。むしろ今現在まで自分がなぜか生きている…(かなり疑問)という感覚です。
過去に、「〇〇さん(私)は生き急ぎすぎているからもっと流れに身を任せるくらいの感じで生きていいと思うよ!」と大学の先生に言われたことがあります。
今、その言葉の重みというか重要さをしみじみと感じています。本当にそんな感じで良いし、むしろそれくらい気を楽にした方が色々振り切れて、そこからはずっと今が一番楽しいですね。
生死への執着を手放したら意外と手軽に生きる満足度を得られて自分でも驚いています。自分が育った環境もだいぶ影響しているとは思いますが、もしかしたら意外と使える?ライフハック…かもしれません
私が影響を受けた方々はまだ皆様ご存命ですが、自分としてはそういう方々から受け取ったものを忘れないし自分がやっていくという意味で継いでいきたいと思っています。逆にこれ以外に自分がやれることはない気がしています。
要するに、
人間は必ず死ぬけれども、生きている人間がその死んでしまった人間の思いとか技術だったり、人となりとか、そういうものを様々な方法で受け継いでいくという行為を通して人の生死は循環しているんじゃないか?
ということを言いたいのではないかと思いました。
あとこれは歴史を学ぶ意味でもあるのかもしれません。
例えばですが、世界人権宣言って何が目的?どういう過程を経て宣言されたの?ということを改めて問い直してみると、現代では当たり前にあると思っていたものが実は先人達の犠牲や努力の末に勝ち取ったものであるとわかるとか。
そういうことを言いたかったのかなと個人的には解釈しました。
ボリュームのあるお話にもかかわらず、このシンプルなメッセージに帰結させたのが本当に凄いです。
結局これが言いたかった!という芯をを6話の話を通して説得力を持たせていて、おったまげましたね…!実は伝えたかったのは極めてシンプルなメッセージだったというのにグッときました。
沢山ある伝えたいことの中から厳選された感じで、こういう思想信条が明瞭且つダイレクトに伝わってくるものは個人的には凄く好きです。
今回は以上です!
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英雄の歌と暁の平原 個人的な見どころ①
少し間が空きましたが、今月公開の列伝の個人的に思う見どころをまとめたいと思います。
早速ですが、
・テフレアとベルモントの身近な人との別れの向き合い方の対比
が個人的にはかなり見どころだなと思いました。
*ここから下、列伝のネタバレを含みますのでまだ列伝をご覧になっていない方は閲覧ご注意ください*
なぜここが見どころだと思ったかというと、
テフレアは、テフレアを庇って死んでしまったローランの死にショックを受けながらも(列伝内に詳細あり)
ローランがやってきたことをテフレアが引き継ぐ(ローランがやってきたこと・役割を不器用ながらもテフレアがこなす)ことでローランの死に真正面から向き合い、ローランが生きていた証を残そうと奔走しており、かなり強い人間です。
また、おそらくスレイマンの助力も大きかったと思いますが、テフレアは割と自分自身でなんとかする系のタイプだなと感じました。
出来ることならこういった向き合い方が理想ではありますが、
みんながみんなテフレアみたいにはなれない
というのも、身近な人との死別は大半はベルモント状態になる人の方が多いのではないか?と私は思っています。
ベルモントはテフレアとは対照的に描かれていたように感じました。
ベルモントはフアナとの死別を受け入れることが出来ず、俺はもう無理だ…生きる意味がない…状態で足踏みしていた印象でした。対しテフレアは例えるならがむしゃらに前に進もうとしている。
けれども、決してそれを否定しない且つ身近というより彼の場合生き甲斐だった人という方が近いでしょうかね、
ベルモントなりの死別との向き合い方もベルモント(とオスティナ)のやり取りでしっかり描かれていたのが凄く良かったと思います。
具体的には、自分自身の足で立つテフレアと、今にも崩れそう(フアナの死を追ってしまいそう)で危うい状態のベルモント。
けれどもベルモントに否定的ではなく、そんなベルモントにも支えようとする人(オスティナ)がいて、決してみんながみんな自分の足で立たなければいけない訳ではなく、人の力を借りて立とうとすることにも肯定的である。
終わり方も、ベルモントが若干上振れてきたがまだ不安定な状態というのが、死別というものはそれほど受け入れ難いものであるということが描かれていたのもリアルでした。
フアナが魂の状態でベルモントにしっかり別れを告げていた(ここにいる自分は魂だけの存在だから、もう生者であるベルモントと一緒にはいられないとはっきり言っていた)のも現実的で良かったです。
この辺り好みは分かれそうですが、私は割とリアルな設定を好むタイプなので死んだ人は生き返ってこない、戻ってこないという事実をベルモントに突きつけたのはフアナなりの誠実さと優しさで個人的には好印象でした。
勿論オスティナはフアナにはなれないし、フアナは戻って来ないし、フアナの代わりにはなれませんよね。
それでも、そんなベルモントを一生懸命支えようとする人(オスティナ)がいるという希望も残す感じが凄く良かったと思います。
別れに対して夫々の向き合い方があるということを指し示していて、別れって決してファンタジーだけで完結するものではないので生きている私達にもいつか必ず訪れるもの。
私はまだ自分にとって印象深い方の死を経験したことがありません。
なので、正直自分は今のところはテフレアタイプだと自覚していても、いざその時になったらベルモント状態になるかもしれませんし、身近な人がベルモント状態になるかもしれません。
その時は自分はテフレアやオスティナのようになれたらいいなと思いましたが、かといってベルモントのことも決して否定したくないなとも思いました。
この場面は必見ですね。今見返しても目頭熱くなります(声優さんの演技も素晴らしいです)
そりゃローランもフアナも生きていた方が良かったですが、みんな永遠には生きられないですよね。
生者である限りいずれはテフレア、オスティナ、ベルモントも死にます。私達も。私がみんなより先に死ぬ可能性もありますし、逆に自分一人が生者として残り続ける可能性もあります。こればかりはわかりませんが、生者である限り死は平等にいつか訪れるのは事実です。
自分はあまり生死共に執着がなくまあそん時はそん時だなといった感じですが、自分が死んでも自分と関係のある人達にとって良い世界になっていることが一番の願いです。
別に自分の死に悲しんでくれとは思わないし、むしろああ、なんかこいつオモロイ奴だったな…今までお疲れさん〜くらいのノリでさよならして、みんなには元気でいて欲しいですし、
まあ大体みんなパートナーや家族や別の友達が沢山いるのもわかっているので、この辺りは全然心配してないですね。
この列伝では、物理的に倒すとか殴るとかだけではなく、様々な形での生者と死者の戦い、のようなもの(ここではある種生者は元生者の死という試練と戦っていますよね)がテーマになっていたのかなと感じました。
そういった点では突き刺さるテーマではあるものの、自分としては現実と向き合うことを大事にしているので個人的にはお勧め、支持するスタンスですね。
ほかにもいくつか見どころがありますので、また別口でやります。今年の年末は外出も憚れることですしいい機会かなと。
今回は以上です!
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約10ヶ月ぶりのライブ
この時期にライブなんて何を考えているんだという方もいらっしゃるのも承知の上で、私は現地に出向いてきました。(しっかり感染対策して下さっていましたし、ずっとマスク着用、一切声出ししませんでした、
開演ギリギリ着且つ一席ずつ空け、周りも喋っていた方はいなかったし私はかなり後ろの席だったので、
アーティストの飛沫はさすがに無理がある距離)
勿論私も迷いましたが、
一人暮らしなので家庭内感染は無いのと客席からガンガン声出したり席ありでもみくちゃになるようなライブではないのはわかっていたのと、
あとやっぱりAKIHIDEさんのライブはどうしても直接観て聴きたいなあと思ってしまったのと、おそらく一番迷ったのは開催する側だと思いますがそれでも開催して下さった勇気を支持したかったので行きました。
あとはAKIHIDEさんご本人は勿論、関係者の方々・スタッフさんへの信頼感もあったかもしれません。とはいえ自分も油断してはいけないですけどね。
結論としては間違いなく行って良かったです。私としては、ですが
まあ開催自体ややり方(配信もありましたが有観客でのライブ)の是非はあるのは仕方ないと思いますし、仮に自分が感染しても文句は言えないし入院せず自宅待機すべきかなとは思っています(それよりも人にうつしてないかが一番心配ではあるんですが)
私も健康・食事管理や手洗いうがい、なるべく外出は控えたりと(仕事柄出勤不可避なので通勤はしていますが…)気を付けてはいますが、
自分よりもかなりしっかり感染対策をしててもかかってしまったという方も聞くのでもうこればかりはどうしようもないのかなとも感じています。
今のところは私はコの字もイの字もないくらい元気ですが、油断大敵ですね。今後も気を付けます。
まあそれはさておき、ライブは本当に素晴らしかったです。
AKIHIDEさんの誠実さは作品は勿論ライブや言葉などからいつもずっと感じていて今回も言わずもがなだったんですが、より沁みた感じはしました。
あとはループペダルって凄い可能性秘めてるなっていうのと、AKIHIDEさんの音本当に好きだなっていう気持ちが呼び戻されたのと(いや、勿論好きなつもりでしたけど、生音を聴くことでやっぱりくるものがあると再確認した感じです)
照明も音質も最高でしたね。今の状況でできる全てを出し切ってくださった感じがします。
これもずっと言ってる気がするんですが、AKIHIDEさんの音楽って音から景色やイメージが浮かんでくるんですよね。あと音に乗せられた気持ちっていうのが音を通して本当に伝わってきますね。
それが仕事というか、表現方法として音楽を選んでるんだから当たり前だろって話かもしれないんですけど、好きな音楽はあるもののここまで真っ直ぐに気持ちが伝わってくることって自分の中ではあまりないので。
あとは本当に自分AKIHIDEさんのここが良いなっていうのが、まあ沢山あるわけですが、
敢えて選ぶとしたらやっぱり多方面への誠実さですかね。(ライブのクオリティの高さも含め)
音楽も勿論、先述したとおり音から景色が浮かぶだとか気持ちが伝わってくるだとかもそうなんですが、
AKIHIDEさんが僕は音楽と真剣に向き合ってますとわざわざ言わなくても行動と結果に現れてるのでそこの信頼感はずっとあります。
良いものを創り続けて下さっている、その行為自体が誠実さの表れなのかなって思ったりもします。
だし、何よりも本当に毎回自分は音楽を続けますって言ってくださるこの圧倒的信頼よ…(プレッシャーや変な期待はかけるつもりはないです)
自分は音楽を奏でてずっと待ってるってなにこの誠実さの塊みたいな…フェイロンじゃん…
↑要するにこういうことで合ってますかね?
すみません語彙力が死にかけてるので立て直します。
事実AKIHIDEさんのライブって毎回満足感がすごいんですよ。サポートメンバーの方々も本気ですしね…お値段以上ライブ。
私は観に来て良かったなって毎回思うからリピートしてるわけですし。
あとは対人間へのスタンスが自分もこうありたいなっていうのと一致してるのも大きいと思います。(これは単なる自分の意思なので、個人的なものなのですが)
AKIHIDEさんも自分の友達もですが、とにかく細かいところまで配慮がすごいんですよね…これは本当に常々思いながら、配慮の神々がよくこんな適当な奴と仲良くしてくれてるな…とも疑問に思ったりするのですが笑
AKIHIDEさんの誰一人もどんな感情も置いていかない捨てない感じは自分はかなり好きです。
無理矢理ポジティブ強制されるとかネガティブな感情イクナイ!とか感情を否定されないのも居心地が良いです。
私が言うのは、まあ当然FC会員の方がチケットの入手がしやすく前方の席が確保される可能性が高いのは当然で(そういう方々はFC会員費払っているわけですし、むしろそこでしっかり優遇するのは真っ当であると言えるかと)
そういうところよりは、今回直接観に来た人、配信で観ている(そしてこれから観る)人、サポートメンバー、スタッフの方々みんなにありがとうございますって言うみたいな、こういうところですね、どんな形であれライブに携わった人達を誰一人無き者にしないスタンスは基本的に無き者にされがちだった自分も救われる感じがあります。(勿論私はお金払っていますが観に行ってるだけなんですけど)
なによりも今回のライブでおおーと思ったのが、AKIHIDEさんもやっぱり自分とファンだけで世界を完結させようとしてないんですよ。そこが最高で。
アーティストとファンの関係って、これからも応援してください、ついてきてくださいっていう(ライブ沢山来てグッズ沢山買って握手会とか来て生々しく言うと売り上げに貢献してくださいねみたいな)
基本的にアーティストとファンだけで完結してるイメージがあるんですが、自分はある日突然そこに白けてしまってしまって…なんというか例えばAKIHIDEさんならAKIHIDEさん素敵ー!一生ついていきます!!というだけでいいんだろうか?みたいな…
(あくまでも自分はこうかなというだけの話なので、アーティストを応援するのが生き甲斐且つ楽しみな方に水を差す気は無いです。)
勿論私もAKIHIDEさんの作品は作品で楽しみますが、その楽しみ方っていうのが現実にどう活かせるかな(還元していけるかなとか)って観点になってきたのもありますね。
自分の作品が何かのきっかけになったら嬉しい(ざっくりすぎ要約)と仰っていたのが印象的でしたし、私もそういうアーティストを支持したいなと思っています。
ここでの支持するということは自分のできる範囲内でお金を使うこと、これにつきますね。
普段関わることがない方なので、支持する意思表示としては正直お金を使うこと以外の選択肢がないですから。
普段生活してて関わる時間が多い且つお金を払う以外の、話したりとか関係性を築けるのは現実に関わりのある人達なので。そこが生活の中心なので、そこに活かす(還元する)ことをしていきたいですよね。
まあ前も言ったとおり、社会は人間の集まりで急遽自分と関係ない人間はいないというのが私のスタンスですから、自分はもうとにかく色んなことを学び続けるしかないという感じですね。
AKIHIDEさんは本当に作品からのメッセージも勿論ですが、私の中での誠実さの一つのお手本でもあるんですよね。
誠実さが行動や態度に現れているから言葉にも説得力があって、自分は本当に心にくると涙が出てくるタイプの人間なので本当に毎回泣きますね笑
念のため付け加えておきますが、AKIHIDEさんにはこうあって欲しいというのを押し付けている(私の都合の良い人間像に理想化している)わけではなく、単なる自分が受けた印象に過ぎません。
要約すると、
まあみんな色々あると思うけどどっこい生きていきましょうや〜
みたいなスタンスがかなり好きです。私もこんな感じなので。
いや本当に、AKIHIDEさんのお人柄も音楽の本質もよく見れた素晴らしいライブでした。
クオリティが高いのなんの。今回も大満足でしたね。ストーリーとのリンクも素晴らしかったです、音と絵と言葉の芸術。
入場前にちょっとあたふたして開演直前ギリギリに駆け込んだのは秘密ですけど笑
やっぱり生音浴びるのは良いですね。やっぱり音はダイレクトで浴びて刺されたいですよ本当。
オンラインはオンラインの良さがありますし、それは自分に合う方を選択すれば良いんじゃないかなと思います。
本当にありがとうございました!
AKIHIDEさんのご活動をリアルタイムで拝見出来て嬉しいですね。AKIHIDEさんあってこそですが。
これからもどっこい生きていきましょう!(私本当に頑張らないとダメですね…論理的思考力ドリル始めます…)
英雄の歌と暁の平原 感想②
今回は全体的な感想です。
・物語の展開自体は、ほんの一部はあ〜そうなるんだとは思いましたが、全体的には「まあ、そうだよね」って感じ
個人的に展開に驚きはほとんどなかったですね。
前回の鉱国の翔龍と英雄の歌で大体展開は読めたので、まあ、予想通りといった感じでした。
ただ、英雄の歌シリーズを1つ1つ読み進めていくうちにあれ?これってもしかして…ってなった上での読みでしたので、英雄の歌シリーズ1つ1つ読みながら
これはこういうことだったのか…
え、でもこれどうなるの!?
と予想したり、シリーズ毎に新しい情報があったり、今回に至るまでの過程での展開は色々気にしながら読んでいたので楽しかったです。
個人的には今回の列伝の重要な点は、最終的に伝えたいメッセージを極めてシンプルなところに帰結させているところだと思っています。
ここに至るまでに過去の英雄の歌シリーズという説得力があったから、より今回のシンプルなメッセージが響いたところもあります。
なのでやはりシリーズとしてまとめておすすめしたいです。
・今回の列伝(英雄の歌シリーズのまとめ)を読んだ上での個人的ベストおすすめ列伝は「祈りの翼と英雄の歌」
(すすめるなら、ですけど…個人的に一番好きなのはやっぱり鉱国の翔龍と英雄の歌なのでこちらは列伝解説パワポでも作ろうかと画策中です)
私はこちらを推したいと思います。
今回の列伝でもかなり気合が入った描写が多く、こちらは扱ってるテーマも興味深く単体でもおすすめ出来る上に(取り上げているテーマが良いし、展開もなかなか先読みがしづらい上に、最後はあぁ……ってなる これは多分読んだ人にしかわからないですが本当にあぁ……って感じ)
今回は特にフルボイスの良さが全面的に出ていて臨場感がありました。
なんだかんだでこの列伝と今回の列伝の回収の仕方が、一番人間にとって乗り越えるのが困難な壁なんじゃないかなと思い、多分大体の人はこの壁にぶち当たると思うんですよね。大切な人の死ってすべての人間に共通して訪れるものだから。
ベルモント、オスティナの演技が共に素晴らしいので、こちらは是非ご覧頂きたいです。
・総合的に、かなりおすすめ!
〇〇と英雄の歌シリーズは総合的にかなりおすすめ度が高いです。
6話完結のドラマを見る感覚で読むといいのかなと思います。
ボリューミーではありますがやはり個人的にはシリーズで楽しむことを強くおすすめしたいです。
以下、その他の英雄の歌シリーズと個人的感想↓
・不朽の草原と英雄の歌
話のトリックとしては面白い…かな…?
・剣火の騎士と英雄の歌
胸熱系で掴みが良いので、初読としておすすめですね。少年漫画かのような。特に戦友みたいな存在がいる方にすすめたいです。
単体でも楽しめる且つ今後の展開も気にさせるような感じに仕上がっています。
全人類ローランに落とされます。
・砂漠の白銀と英雄の歌
姉妹、兄弟がいる且つ好きな方におすすめしたいです。そういう方には今回の列伝を含めたらかなり響きそう。
普通にいい話です。トリュファイナ(バナー中央)の図鑑文好き。スレイマン先生の軍略も楽しめるかと思います。
・鉱国の翔龍と英雄の歌
いや、あの、これは…………
多分初読は大体の人は???となります。よくわからんと。
なぜなら過去記事で解釈や解説を書いた通りこの列伝はかなり特殊な立ち位置であり、解読にかなり時間を要するからです。
ただ、私はなんとかおそらく全部ではないものの多少は解読出来たので、簡潔にパワポかなんかでまとめられたらいいなあと思っています。
この列伝をよくわからんで放っておいてはいけない
今回の英雄の歌総括にあたりかなり重要な情報が含まれているので、とりあえず一読はしておくことはすすめます。
ファンタジー感はないです。リアルです。共感や感動は期待しない方がいいです。そういうのを狙ったものではない(と私は思っている)ので。
列伝というより何かを考えるきっかけのもの、みたいな感じですね。
総括はかなりあっさりしていましたが、ちゃんと重要なポイントは織り込まれていましたし、それがむしろフェイロンらしさなのかなと思いましたね。
・キャラデザが最高!!!!!!!!!!!
これは百聞は一見に如かずですね。デザインが素晴らしいです。
これもまた後述しますが英雄達も個性豊かでキャラとしても良かったですよ、本当に。
インストールしたら無料ですぐに読めるので、ぜひ幻獣契約クリプトラクト をアプリ検索してダウンロードして読んでみてください!(データ量だけご注意を…!)
今回は以上です!
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英雄の歌と暁の平原 感想①
早速読了しました。
個人的に先ず思ったこととして、ストーリーの良し悪しというより
「この列伝のどの場面に心打たれましたか?(もしくは全く響かなかった、全然良いと思わなかった、でも◎)」
ということを話す英雄の歌と暁の平原読了感想会みたいなのを開いたらよりこの列伝を楽しめそうだなと思いました。
なんならむしろそれでこそ真価を発揮する列伝なのかもしれないとも思ったり。
まあこんなことを提言している身なので
早速自分はここに心打たれたという決定的なシーンとその理由について、個人的な感想を述べます。
※ここから下、スクリーンショットと軽くストーリーのネタバレ含みます。まだ列伝をご覧になっていない方は閲覧ご注意下さい(特に本日は公開日初日であるため)※
早速ですが、自分は
このシーンが突き刺さって抜けないです。きっと今後も。
今までテフレアとローランは口喧嘩のようなものばかりしていたのに、いよいよ肉体的な死ではなく本格的に魂と(ローランをローランたらしめていたもの)お別れをした後に、テフレアの素直な本心が漏れたという点でも勿論良かったのですが、
個人的にはこれはそれだけではなく、英雄から民へ、民から英雄へ、愛する人へ、愛する国やこれからの未来を生きる人たちへ、テフレアとローランだけじゃない、他の英雄達やその関係者達の今までの全ての感情が乗った「…………(←色々な感情)ありがとう。」なのではないかと感じたので、ここで涙腺ダムが決壊しました。
また、ここで私は、いずれ来る今まで特に関わってきた人達との別れの際に、自分が残される側になった時に、最終的に出てくるのはきっとこの言葉だろうなと思ったのもあります。
出会ってくれてありがとうも、仲良くしてくれてありがとうも、沢山時間を共有してくれてありがとうも、本当に、抽象化すればありがとうに帰結するのですが、自分としてはそこには幾千の思いを詰めています。
自分はローランみたく器用には生きられないので、最期にありがとうと言う人の数はかなり少なくなるでしょうね。
でもそれで良いと思っています。というかこの列伝を通して思えました。
例えばベルモントみたいに誰か一人の人を熱狂的に愛したでも、フェイロンのように国もその国の人も丸ごと愛したでも、なんでもいいんですよね。数で測れるものではないし究極対象が3次元の人間でなくてもその人が良ければ良いんじゃないかなとも思いました。
実際にプライベート的な意味で関わりなくてもありがとうと言いたい人もいますし。
このシーンは自分の中で人との、それ以外でも何かしらの別れの消化の仕方としてベストだったのと、多分こうやって別れを自分の中で消化して取り入れながら生きていかないと私は潰れるタイプだなとも思っているので。
私自身は本当に社会的に偉い立場でも存在に感謝される人間でもないし、中身スッカスカのスカポンタンですよ、過去の自分のままで今も生きていたならば、ですけど
まあ今も決して出来た人間ではないし聖人には程遠いですが、自分の中で影響を受けた人達の素晴らしさというか出会いの恵まれ具合には相当な自信があるので(結局からも周りの人たちが素晴らしいだけで、私自身はスカポンタンなことには変わりないんですけど)
結局周りの人の影響を受けていないと、仲良くしてくれていたり良くしてくれた人達がいなかったら私はスカポンタンなんですよ。私自身には何もないです。自分一人で頑張って生きてきたなんて言うつもりはないし、言えないです。
それは自分が誰よりも痛感していることです。
でも発想を変えれば、中身スッカスカのスカポンタンだったのが自分の感情を言語化出来るようになっていて、それを共有出来るようになった。
これも結局、人(モノでも作ったのは人だから、人としておきます)との関わりを通して得られたスキルなので、だから周りの人達の影響も自分は背負っているというか…それを日々取り入れて生きているので
逆に人に影響をもらっているのに、自分一人で死んだら自分に影響をくれた人達への侮辱だなと思ったんです。
決して私の生は誰に望まれているかも不明で正義でもなんでもなく。そこらへんに生えてる食えなければ映えもしない雑草のようなものですよ。あってもなくても変わらないもの。
でも今の自分を形作ってくれた人達の素晴らしさには圧倒的な自信があります。そのおかげで生きています。(特別な意味もないし、映えないし、社会的意義もクソもとにかくなんもないけど)
出会う人によってはこんなスカポンタンでもなんとか生きていけるもんだよって私自身が生きることで体現できますしね。それで誰かの自信になってくれたら担保になれればそれで良い。
だから、私はこんなスカポンタンに影響をくれた人達との本格的な別れはきっと一々何かやる気力を削がれるくらい悲しくなると思うけども、ちゃんとその方々がくれた影響は私に残っているわけで、つまり私の中ではその人が常に自分の中にいるから永遠に生きるということになるわけで
だから、お別れの時にはありがとうって言いたいです。というか私はそう言えるようにならないといけない人間な気がする。
このシーンを自分に置き換えても、ストーリー内で完結させたとしても、どれを取っても自分の中に重くのしかかるものだったので、私としてはここですね。
でもこれはいろんな人のご意見お考えが気になるところですね。結構バラけるような気がするので、読了感想会たるものがあるとしたらかなりエキサイトなものになりそう。
あ、ストーリーとしては伝えたいことが明瞭且つシンプルで(実はこれが凄く大事)凄く良かったと思います。
その点についてはまた別途述べます。
とりあえず今回は以上です!
このヘッダー画像、布教用素材として最高ですね!!
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彼方の空に花冠を 感想
今月追加された列伝:彼方の空に花冠を
の感想です。
・伏線の回収がお見事でした。
・話自体も、個人的には救いの仕方にかなりグッときました。話の仕掛けも凝っていて面白かったです。
・魔族視点での人間の見方はやはりかなり興味深いです。私達が人間である以上なかなか人間という生き物自体を客観視することはないため
・人間の手のひら返し感がリアルでした。いるいるこういう人。
・そことそこが繋がっていたのか、という感じで驚きもあり、良きファンタジーでした。
重すぎず軽すぎずのバランス感がいい感じでした。割とおすすめはしやすいかもしれないです。
割と伏線回収寄りな気がしたので、過去に出た関連列伝の
・千の光を率いる獣(個人的には超おすすめ列伝)
・ガルニエの怪人
を見た上でこの列伝を見た方がより楽しめるかと思います。
総合的に、個人的にはそこそこおすすめです。
伏線回収的なものが好きな方に対しては特に。
ここから下は個人的な感想になります↓
私が一番着目したのは、現実と理想の付き合い方についてです。
理想は高すぎると自分を無理やり縛るものになってしまい結果的に自身に苦痛をもたらす存在になってしまいますが、理想と上手く付き合うとかなり人生が上向きます。
実際に私も理想的な方というか、こういう人間になりたいなっていう方が明確にいらっしゃいます。
が、様々な方面でその人のようになるのは私はおそらく無理というか、そうなろうとすると自分が苦しくなります。余りにも理想とする方々が全てにおいて自分とかけ離れすぎているので。
ただ、理想とする方々がいること自体は決して悪くないどころか、自分自身のセーフティーネットになってくれます。圧倒的担保というか。
物理的な存在としての圧倒的担保、つまりこの人は私が辛い時にいつでも隣にいてくれる、駆けつけてくれる、というものではありません。
そうではなく、いつでもその人の教えとか人間としての在り方が自分の中に残っているというか。精神的な圧倒的担保です。
何かあったらそこに立ち返ってみる、要するにその理想の方々を思い出して、理想を再確認した上で自分の軌道修正を行います。
私はこういう人になりたい→ならなきゃいけないんだ ←こういう"ねばならない"思考になると自分が苦しくなることに気が付きました。(逆にこうならねばならないが苦しくなく原動力になるのであればそうした方が良い、それは人による)
私は理想とする方々は幸運にも一人ではないので、それぞれの方々の理想とするところを上手く自分の中に融合していく感じです。あくまでもベースは自分にある。
これで理想と上手く付き合っていけるようになりました。
理想と上手く付き合っていけるのもありますし、やはり何よりも圧倒的な精神的担保を得たのがかなり大きいです。心の余裕が全く違う。
何かあっても、理想とする方々というより私は尊敬に近いですが、そういう方々の人間としての在り方を思い出すと回復出来るので。
良い意味で今はそのような方々は自分の(物理的な)側にいないので、思い出すしかないんですけど逆に印象深い思い出であるからこそ圧倒的な担保になっている気もします。
こういう人間になりたい(出来ればそれはなぜなのか、どうやったら上手く理想を活かしていけるのかというところまで考えるとそこそこ現実的になります)を俯瞰しながら上手く付き合うとかなり生きやすくなります。
言い方を変えれば、こうならねばならない思考になると途端に焦りが出たりあの人と比べて自分は…となってしまう方は、
まずその理想には自分はなれないことを自覚して、その上で取り入れられるところは自分なりに取り入れるという形にするといいのかなと思ったりします(あくまでも個人的な考えなので、理想ってならねばならないものとは限らないということ)
例え話ですが、トマトはトマトソースにもなれるしトマトスープにもなれるしそのままでも食べられるし、自分の好きなように調理すれば良いですよね。
そんな感じなのかなーとこの列伝を通して思いました。
これ以外にも、過去の色々な魔族関連の列伝を読んでいても魔族は個性的でそれぞれが自由に生きていてそれぞれのその生き様が素晴らしいなと思いました。純粋に楽しそう。
今回は以上です!
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鉱国の翔龍と英雄の歌 雑談⑦
鉱国の翔龍と英雄の歌
の雑談です。
ひと個人の考えとして一歩引いてご覧頂ければと思います。
*ここから下、列伝内のスクリーンショットを載せている為、まだ列伝をご覧になっていない方は閲覧ご注意下さい*
ここ最近、Twitterで企業の広告の仕方や企業として何に価値を置いているのか、おそらくこれは社会的に人権・倫理観が問われている(敢えて炎上とは言いません)ような感じがします。
なぜ炎上だとは思わないのかというと、私にとって人権つまり人間を人間扱いすること、
そして人間として生きるための最低限の人間への礼儀が自分はまだまだ欠けていると思うからこそ、他人事だとは全く思えないのです。
私が人間として生きるためには人間としての最低限の礼儀を無限に学ぶ必要があるのです。
たまたま私と仲良くしてくれている非常にレアな方々が本当に運良くいらっしゃいますが、私は本気でこれはただのラッキーだと思っていますし、自分がどうこうよりそういう人達の人間としての器が大きく優しいだけ。これは私の中での真実なんです。
私だってどうしてこんな人間が今でも生きているのかわからないし、お世話になった方々や友達は私を見限ることなんていくらでも出来たはずなのに、その機会はいくらでもあったはずなのになぜそうしなかったのか。
その理由を探しながらも、そういう人達のそれこそ魂を救うというのは私が人間を学び続けながら人間として生きることだと思っています。
最近の企業の発信の是非が問われている事の本質は、私の中では人間への礼儀や尊重とはどういうことなのかを問われている、
そしてそのある種の答えのようなもの(ただし答えとはいえ、変化していく社会に合わせて常に問い直し続けていく必要があるかと)が、人権意識や倫理観といったような、先人達の魂の結晶として織り成されたものだと私は思っています。
そしてこれは私自身が人間である以上、そして特に私は無自覚で生きていると相当まずいことを自覚している以上、無視したり炎上といったコンテンツで消費してはならないと感じています。
たまにこういう話をする機会があるとそんなに考えなくても、と言ってくれる人もたまにいらっしゃるのですが(そんな気張らなくても、という気持ちはありがたく受け取らせて頂きますが)、私が考えない人間になるといかに人を傷つけるか、人を無自覚に踏み躙りにいくかわからないことを自分自身がよく知っているからこそ、考えずにはいられないのです。
というか、考えない私だったら多分周りに友達も良くしてくれる人もきっと誰一人としていなかったことでしょう。
だったら考えて人を踏み躙ることをなるべくせずに過ごすには?という方向にシフトした方が随分マシだと思ったのでそうしています。
若干話逸れましたがそういったここ最近の件に触発され、以前にもこの話をしましたが改めてこのやり取りについて考えたいと思いました。
①
②
③
④
⑤
流れとしてはこのような感じです。
まず、①〜②のフェイロンの発言について。
まずベルモントにとってフアナの死について触れられることは言葉に出来ない程の、一生癒えない傷を抉られるくらいの苦しい経験であると私は解釈しました(これについては祈りの翼と英雄の歌をご覧頂ければと思います)
で、フェイロンはまだ人と話せるようになって数年な上に、まだ人の感情がわからないということを自覚しています。(これより前のシーンで言及あり)
だからといって人との会話における、ある種のその人にとってのタブーな話題なんてものもわかるはずがないのです。
また、フェイロンは
大切な人を亡くすという、人にとっては立ち直れない程の傷を負う出来事に心を動かされない、つまり痛みがわからないのです。
なので、当然ベルモントにとってのフアナの死がどれほど彼にとって苦しかったのかもなんてわかるはずもないですよね。
先ずここで、フェイロンに対しその話はベルモント本人にしちゃダメでしょう、と思った方も多いと思うのですが、私はフェイロンなりにベルモントを気遣おうと試みているなと思ったので(ベルモントの辛さは正直わからないが、きっとベルモントは辛いのだろう、といったフェイロンの予測の元の発言であることは汲み取れるため)
正直どちらも責められない。思ってないことを言ったフェイロンが悪いとは私は言い切れない。
けれども、このような他者のデリケートな話については、私は特に考えないといけない部分だなと感じています。今まで何度も失敗してきたから。
ただし、⑤のベルモントの発言には依然としてNO。これだけは変わらないかと思います。
現段階での私なりの対策↓
・自分からは聞かず相手から話されるのを待つ(そこで、例えば家族の話とかであれば、父母子がいて当然でみんな愛されていて仲良しだ、みたいな、一般的な常識みたいなのが万人に通じるとは思わないという前提を自分の中にセットしておきます。)
・人権意識や倫理観を問われている今、様々な意見に触れてこの人は人間への尊重や愛がベースにあっての助言だなと思う方のご意見を勉強させて頂く(もちろんその判断力は私自身も磨き続けなければいけないもの)
・仮に話をされたら、下手にわかる、とは言わない なぜならその人の痛みはその人にしかわからないから
・あまり話してない段階で自分がもし無自覚にそういう話に踏み込んでしまっていたら素直に謝ると同時に、その人と話す機会がまたあれば二度とその話はしない
が、なるべく事前に所謂"失礼"と言われる話のケースの大方を把握しておく(被害を避けるため)
・流石にそれはどう考えても理不尽だろってところで怒られて且つ差別的な発言を浴びせられたら毅然に対応する(和解するか、それが出来なくて相手は自分は悪くないの一点張りだったら必殺怒る人の話にひたすら耳傾けて、なんで怒ったのかを確認し合い、その場はどうにか鎮火の術を使う)
その後、向こうからの差別的な発言に対する謝罪がなければこいつの言うことを真に受けたら損シールドを張る
しかし自身の圧倒的致命傷として、私はしくじり先生の応募候補者としての資格は十分に持ち合わせている自信があります。
それ故、私自身、特に触れられたくない話題というものがないどころかそういう自分のやらかしを存分にオープンにしてとにかく私みたいな人間にはならない方がいいと訴えたい気持ちの方が強いため、ベルモントの気持ちを正直かなり理解し難いところがある。ここが致命傷です。
次いで、ベルモントの③〜④の発言について。
これはかなり私にとって重くのしかかりました。
ベルモントが悪い奴だと言う気もないし、フェイロンは純粋だから許してあげてという気もない。
その人の痛みはどれほどのものか、その人にしかわからないわけです。フェイロンのように人を気遣ったつもりが皮肉にも気遣いになるどころか怒らせたり不快な思いをさせてしまう。
ここは割と見失いがちなので、ベルモントに気付かせてもらえたところがありました。
こちらはソーシャルゲームのストーリーですが、実際に私が会話するのは3次元の生身の人間です。
私にいくら悪気がないとはいえ、3次元ではそれでは済まされません。なので悪気はないというのを、悪気はないと発言する以外で態度や言葉で悪気のなさを示していかなければならないのです。
しかし場合によってはその悪気のなさオーラのようなものが相手にとって酷なものになってしまいます。
例えば共感してもらいたくて、慰めてもらいたくて話したのにそういった反応が薄いとか冷たいとか、そういうことも言われ得ますが、
この辺りはもう究極人それぞれなので答えを求めるというよりは相手がどういった意図で話したのか(例えばなんの反応も求めていないがとりあえず聞いてくれというだけという可能性もある)を互いに探り探りやっていくしかないと思います。
私はすぐに相手の要求を察知するのは得意ではないです。(が、だからといって他者とのコミュニケーションを放棄することとはまた話が別)
そこまで求められたら自分がすり減るラインに入ると思ったらあまり深入りせず他の人に求めてくれ、となりますが、それで良いと今は思っています。
とりあえず私はベルモントのような相手に対しては、
・雑談たるものはなるべく控える(今日は一段と寒いですねとか良い天気ですねとか、それくらいの話にとどめる)
・話されたとしても安易にわかると言ったりしない、共感しない
・相手から話されない限り決して深入りはしない
・無言でティッシュを渡す
・決して見下さない、そこにつけ込まない
といった態度を取るのが良いのかなと思っていますが、もしベルモントの気持ちがよくわかるという方がいらっしゃるのであれば是非ご意見をお聞かせ願いたいです。
ただ、⑤のベルモントの発言だけはNO
いくら怒りに震えた(琴線に触れた)としても、このような差別的発言(人を生まれ持った属性で括り、攻撃すること)はNGです。この発言に対しては反面教師にしたいと思っています。
前にも書きましたが、この後オスティナさんがベルモントを叱責していた部分がちゃんと描かれていたのは良かったです。
怒りに任せてそこまで言うのは(差別的発言をするのは)良くない。と言いたかったのかなと解釈しました。
この会話はどうにか人間として生きようとしている自分の中にずっと残るものであり、一生の課題になるだろうなと感じました。ある決まった答えはないというか、変わっていく答えを他者と紡ぎ出し続けていかなければならないことと、そのために最低限の礼儀と人権意識は私にとって意識的でいる必要があるな思った次第です。
最後に余談ですが、
ブログというツールはボーナスステージだという認識です。ここで思考を言語化し、それを3次元において昇華させていきたいと思っているので、あくまでもボーナスステージです。
ボーナスステージって普段出現しないからボーナス、なので
私は第一印象はあまり良くないことが多い(私自身も相手がどんな人か最初は探り探りの姿勢なので、何考えてるかわからない怖い・よくわからない人だと思われがち)ですが、逆に良くないからこそ話すと意外と…ということが多く、この点についてもやはりラッキーを享受してる感は強いです。
とはいえ誰からも好かれるタイプというわけでもないため、話しても嫌な人間だと思ったらすまん
今回は以上です!
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