momomo1124’s blog

好きなものなどひたすら壁打ちしています。

批判は大事だと思います

昨今のニュースとその反応を見ていて思うこと(あくまでもインターネット上のみですが)

 

何にでも文句ばかりとか批判ばっかりして〜みたいなツイートやコメントをよく見かけるのですが、私はその"批判・指摘"(誹謗中傷は論外ですよ)を受け止められるか否かで自分も社会も先が変わってくると思いますね。

 

私も優秀ではないので、昔から怒られることの方が多かったですが、批判(指摘や批評)と誹謗中傷の違いに気付けたのが大学生の頃でした。

とあるグループでの発表があったのですが(ある課題に感してグループ内で分担して情報収集しまとめるみたいなやつ)、私が担当した箇所についてかなり教授にボロクソ言われて笑、その当時は自分の存在ごと否定されたように感じて、それ以来授業(ゼミ)が怖くなり行かなくなりました。笑

 

グループの人たちにも迷惑かけましたしね、それもあって嫌になってしまってずっとゼミ無断欠席していました。

社会人で言うなら無連絡で会社休むみたいなものなので今思えば最悪すぎるんですが、当時は本当に余裕がなかったし自尊心とか皆無だったので。

常に人(特に親)の期待に応えていなければならないみたいな圧迫についに耐えきれなくなった、優秀だと思われていたものが全然そうじゃなくてメッキが剥がれた感じです。

今思えばよく犯罪に走らなかったなと思いますね。昔から死ぬなら誰も巻き込まず自殺派ではありましたけど。

 

まあこんなことは本題ではないのでさておき、その時に教授に、私の発表内容について指摘しただけであって私の人格自体を否定しているのではないよ、ということを私と丁寧に向き合って下さり教えて頂きました。

正直それまで大人から真摯に、一人の人間として接してもらったことがなかったので最初はパニックになったというか…

じゃあ私はどう受け止めればいいのか、そもそも私の発表内容の否定=私自身の否定にならないの?どういうこと?っていう感じで。

 

そこから個人的に色々考えていった結果として、例えば敢えてダイレクトに書きますが、死ねと言われただけでは私の何がいけなかったのか、どうして私に死んで欲しいと思ったのかわからないですよね。

なので、先ずはそういった所謂否定的な言葉を向けられた時にこの人は私の何が気に食わなくて死ねと言ったのか、或いはただ単純にその人のストレスが溜まってて他者に死ねと言うことでストレス発散したかったのか、私のことが嫌いで仕方がないから傷つけてやろうと思って出た一言なのか、などなど

要するに発言した側のことを先ず想像してみるということです。想像して勉強してみたり、人に意見を聞いてみたりして、相手が私に対して死ねと言うに至った経緯を探ってみるという形ですね。

最終的にそれが私にとっても社会(他者)にとっても何か影響のある死ねなのであれば(性別や国籍に対する嫌悪だったり、年齢による見下しだったり)さらにそこを探究し思いを馳せてみる。

もしかしたら私以外の人もこういうことを言われているのではないかとかも考えたりします。

 

単純にその人のストレス発散として言われただけなら普通に腹立つのでお前のために死なねーよバーカ!そもそも人に直接(Twitterのリプとか引用リツイート、ニュースのコメント欄も含みますよ。)そういうこと言うな!と言い返します。

 

一旦は批判=否定、誹謗中傷と安易に結びつけず(決めつけず)、何故そういうことを言われたのか、はたまた自分が当事者でなくとも言われているのか、大々的に報道される問題になっているのかを考えてみる。

 

それを繰り返していくうちに、勿論自分の見極めも鍛え続けなければなりませんが、段々これは私と社会にとって意義のあるものなのかどうかがわかってきますが、この時にフラットな視線が大事なんですよね。これがかーなーり難しい。私も習得に何年もかかったしまだまだ授業中で…自分を否定するのではなく省みること、これがとても難しい。純粋な悪意をそのままぶつけてくる人もいるわけですし。

 

自分にとって耳が痛いこと、今時だと解釈違いと言えばわかりやすいかな、そういうことは言われて気持ちの良いものではないので、真っ当な批判つまり、それはこういう理由があるからダメだよ!とストップさせてくれるもの、自分を省みさせてくれる機会として受け止められるか、そしてそもそもそういうことを見極められるかどうかが問題で、

結構批判と誹謗中傷の区別が曖昧な人が多いのかなという印象を受けています。ただこれに関しては大学生まで私も区別出来ていなかったので、そんなこともわからないのか?みたいには言えないところはあります。

あとこれまでに私の場合は教授ですが真摯に自分と向き合ってくれた大人がいたかどうかというのも影響してきそうですね。

 

私は諦めずに自分を省みることをやってきたので過去に受けた私に対する指摘や批判に感謝出来ますが、勿論これは当てつけだろと思うことも沢山ありましたよ。そういうのは大体具体性が伴っていないものでしたね。

あとその人の都合良いように私を動かしたいから私に対して悪いことを言ってコントロールしてくるみたいなやつ。これは要警戒ですね。

 

でもそれと同じくらい良い大人にも恵まれてきたのでここまでなんとかやってこれてますが、最近の分断を煽るかのような、決して自分たちの過ちを認めず他者へのヘイトを利用した政治が目立っているのが怖いです。

これは公権力(つまり大きく影響を与え得る人)がやってしまうから余計マズいというのもあるんですよね。プライベートや小社会でもやるべきではないことですけども。

 

まあ反省材料として批判を受け止められるか、否定的なことは全て排除して自分にとって都合のいいことしか耳に入れようとしない姿勢をとるのか。

そこからこの人の言うことは信用出来るとかこの人の言うことは具体性に欠けるとかがわかってきて自分の中で取捨選択出来るようになれば、自分にとって許せないこともわかってくるしじゃあなぜ社会的にNGなのかということもわかってくるし、人の意見って本当捨てたもんじゃない(人によりますけど笑)と思うのでまずは耳を傾けてみるのはどうでしょう。

 

まあけど、段々人と違うということが許容されなくなっていく排他的社会になっていくんだろうなという未来が見えますね…

そういう時はユーキさんを見て魂だけは売らないと心に決めることにします。

 

なるべく不当に傷つけられる人が減って色んな人が共存していける社会になっていけばいいのですがね。一見矛盾しているように見えますがそう思うからこそ批判を受け止めて今ある現実から目を背けない。綺麗なものだけ見ようとして臭いものに蓋をするだけということはしない。

 

魂は売りません!

 

 

…批判しちゃダメというより人を傷つけるということはどういうことなのかというところから批判と誹謗中傷の授業って小学生から定期的にやった方が良い気がします